田植唄もうたはず植ゑてゐる

娘たちとの田植え

移住風景断片
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 土曜日、娘たちと一緒にじいちゃんちの田植えを手伝った。
本当はもう少し前に、植え終えてしまいたかったらしい。私の休日に合わせて、小生がへこたれない程、一反弱のたんぼを残してくれていたというのが正しく、手伝いというよりは小生のこの時期の田舎暮らしのステージをわざわざしつらえてくれたのが実態のようです。
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 土や泥にまみれて生きることを体験しながら育っていない小生には「田植え」という風景に、のめり込むような憧憬を感じます。大げさにいえば本邦の文化の根底ある風景のように感じています。美しく、豊かなイメージです。テレビや古い映画に出てくるような大勢の百姓さんや田植え唄に彩られた楽しい情景なのです。
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 今どき、早乙女や田植え唄に出会うことなど希有ですが、時折、ワイワイと10数人で田植えしているグループを見かけます。昼時などは、田んぼの横でピクニックのような楽しげな食事風景を見るとほのぼのしてきます。田植えはこうじゃなければ・・・と。
残念ながら、近所で見かける田植え風景は、寂しいものばかりです。多くても夫婦二人(それも高齢の方)で、大概は一人で黙々と作業していいます。賑やかなものとは縁遠いものになっています。

種田山頭火行乞記で・・・・
このあたりも、ぼつ/\田植がはじまつた、二三人で唄もうたはないで植ゑてゐる、田植は農家の年中行事のうちで、最も日本的であり、田園趣味を発揮するものであるが、此頃の田植は何といふさびしいことだらう、私は少年の頃、田植の御馳走――煮〆や小豆飯や――を思ひだして、少々センチにならざるを得なかつた、早乙女のよさも永久に見られないのだらうか。

と記して、
「一人で黙つて植ゑてゐる」「田植唄もうたはず植ゑてゐる」などという句を残していますが、小生も全く共感します。
 山頭火の時代から半世紀以上経って、現代では田植え唄はエンジン音に取り代わって、黙々と田植機を走らすだけの作業と変貌していますが、出来る限り、じいちゃん・ばあちゃん・息子・娘・孫など総出の楽しいイベントで在り続けたいものです。
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■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
小説「坊ちゃん」の正体・・・(弘中又一)
零余子蔓 滝のごとくにかかりけり(高浜虚子)
貴族・宮廷食「芋粥」って?(芥川龍之介)

■読本・文人たちに見る〝遊歩〟(2021年追記)
解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
世界と通じ合うための一歩一歩(アルチュール・ランボオ
バックパッカー芭蕉・おくのほそ道にみる〝遊歩〟(松尾芭蕉)