・山奥でヤマメ養殖はいかがですか?

岩国周東町・山芋の里でヤマメの養殖を
岩国周東町・山芋の里に流れる三瀬川の支流

  ■
  ■
  ■

●田園回帰

 2003年の山口移住後、2〜3年経った頃に、初めて「三瀬川・山芋の里」を訪れました。(上の写真はその時に撮影)じねんじょう(自然薯)の生産ネットワークで進めていた「おっとろろ村構想」という中山間地での農業振興・担い手の育成のモデルケースの候補地にどうかということで、見学を兼ねてヤマメ釣りに行きました。
 錦川の数多くある支流の一つの根笠川のまた支流である小さな沢を心細い気分で遡って行くと、突然、谷が開けて、周囲が杉山に囲まれた、いくつかの棚田と数件の住居跡がある小さな里が現れました。数年前に最後の住人が、この里を離れて、集落崩壊した里です。少子高齢化、過疎化、限界集落化が進む中山間地では、日本の何処にあっても不思議じゃない、よくある光景です。
「このように日本の農山村は消滅して行くのだろう・・・」という消滅論が頭をよぎって、寂しい気分になるのと同時に、人が山や森や川、自然と格闘しながらその恵みを得て生きてきた山里の原型に初めて触れたような感動がありました。「移住の前にこの風景を見ていたら、きっと、ここに移り住んでいたろう」と思ってしまうような、「この大地をしっかり踏みしめながら生きていきたい」と思わせるような目には見えない力を感じました。

「人の空洞化は、土地を空洞化させ、ムラを空洞化させる」そして「ふるさとへの誇りそのものが空洞化することがより深刻だ」「過疎地に人が戻って、耕作放棄地を再生させ、コミュニティを充実させる」ためには「個の生き方」「自然や土地に向き合うそれぞれの生き様」を確かめる必要がより求められているというような趣旨でした。  かつての日本の集落・里山では、一人一人が山村で自給自足的な生活を可能にしていました。そういう農的な文化は、特に意識しなくても自然に受け継がれていたものです。今でいう「パーマカルチャー」的な生き方です。誇りの空洞化を埋め、ふるさと(大地)再生を行うには、これから、このことを強く意識しなくては難しいのかもしれません。「農」とは、やはり「産業」ではなく、「生き方」でありその「継承」なのです。

 この地への新規就農者を募集を始めて、日本各地から反響をいただき、幾人かは実際に見学に来られましたが、この地で、この営農計画で基づけば、本当に生活は成り立つのか?と経営面の数字に重きを置いた方々は、残念ながら実際の計画に参画へ踏み出すことはありませんでした。住居、田畑そして生産性の高いじねんじょう栽培のノウハウがあるといっても、一から移住してここで生きて行くというのは大変な決断が必要だと思います。
 最初の参画者は、移住地を探して各地を巡っていた関東在住の若い夫婦でした。1歳半の娘さんを抱えての見学でしたが、私が初めてこの風景を見た時に感じたトキメキが、彼らにもきっと感じたのでしょう。生きていけるか?という数字や物理的な障害は二の次で、「ここで生きたい!」と決心されたものと思います。  その後の一家の足取りは、過去の記事を追っていただければ、その着実さを分かっていただけます。この集落の下流ですが、家族や若い仲間を増やしつつ、生き生きと地域の空洞を埋めつつ暮らされています。(実際に地域人口が増加)

養殖アマゴ
養殖アマゴ

■ヤマメの養殖・後継者を求む

 若夫婦が移住してくる前より、この山芋の里に流れる小川で、ヤマメの養殖に力を注いで、十年以上にわたって近隣の料理店に供していた青年がいました。その彼が、やむをえない事情により本年でこの仕事を手放すことになりました。
つきましては、誰か後継者に引きついでいただければとの依頼があって、このブログでも紹介することにしました。
 趣味半分の近隣からの通いでも、丸ごと移住でも(空き家あり)ご自由です。そのスタイルに合わせて対応できるものか一度(社)じねんじょうプロジェクトへお問い合わせください。また、本情報を拡散していただける方には、ぜひとも拡散・シェアをよろしくお願いいたします。
  ■
  ■
  ■

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です