夏目漱石「坊ちゃん」の正体…

▲湯野温泉郷に流れる夜市川のほとりに建てられた坊ちゃん先生の像

 早くも来週は12月(師走)。12月にふさわしい人物歳時記の題材を探しているとき不図、思いついたのが〝師走〟の走り回っている〝師〟とは誰・・・?
 今月はひとつ〝師〟で真っ先に思い浮かぶ〝先生〟に因んだ話題をと思い、周南市の湯野温泉郷出身の「坊ちゃん先生」こと明治の教育者「弘中又一」を取り上げることにしました。

 自然生山芋の生産地の一つでもあり、古くから湯治で名の知れた温泉郷「湯野」、癒しの湯と健康食材の自然生山芋がよくマッチして現在特産・地域ブランド化が進んでいます。この集落の傍を流れる夜市川のほとりに、温泉街とは少し拍子(トーン)の異なった「釣りをする坊ちゃんの像(上の写真)」なるものがあります。この像が、湯野出身で「教育は王道なり」の言葉をのこし、近年、教育者としての生涯に評価を高めている「弘中又一」その人の少年時代の姿だそうで、彼の先人を顕彰するために作られたモニュメントの一つだそうです。やや山手の高台には、彼がのびのびと少年時代を過ごした生家と、没後、故郷にて供養をと設けられた墓所があり、その近くに記念公園も作られています。

 弘中又一は、同志社を卒業後、明治二十八年愛媛県の松山尋常中学校に教師として赴任しました。その日の夜に同じく同年に赴任したの夏目金之助(漱石)の訪問を受け、その後の長い交流がはじまったといわれます。
 当時の生徒からは、童顔からの印象なのでしょうか、「ボンチ先生」(ボンチとは松山地方でぼっちゃんという意味)と呼ばれていたそうです。互いに一年で松山中学校を去りますが、当時の学生達の数え歌に残るような個性的な名物先生ぶりだったようです。

 「一つや!一つ弘中シッポクさん」
 「七つとや!七つ夏目の鬼瓦」


 シッポクを四杯も平らげ、それを教室で生徒からからかわれた騒動を皮肉られたものらしい。その他「赤シャツ」や「鈴ちゃん」など小説「坊ちゃん」に登場するモデル達もこの数え唄の中で歌われています。

 よく「坊ちゃんのモデルは誰であるか、夏目自身なのか?」と取り沙汰されますが、今では弘中又一説が一般的です。
 弘中自身も後の手記に「主人公の坊ちゃんにしても、夏目自身のこともあり、僕のこともある。夏目と僕とは、毎日の出来事やら失策を互いに話しあって笑い興じることが多かったので、自然に二つが一緒になって一つの坊ちゃんが作り上げられているように思う。ただ、渡辺君(山嵐のモデルといわれる)は夏目とあまり交際がなかったので、山嵐相手の坊ちゃんは、僕である」と記している。

 松山中学から西条中学、そして徳島の富岡中学へ。小説家の羽里昌氏の「その後の坊ちゃん」によると、時の総理大臣・山県有朋の養子であった徳島県知事・山県伊三郎の激励のエピソードも紹介されています。
徳島でもよく生徒に慕われ、一目置かれる存在のようだった。当時の生徒の回想を綴った「小説『坊っちゃん』の其後」と題した記事の中で当時の名物先生ぶりがよく紹介されています。(次回に続く)
※主な経歴などは、月間「まるごと周南」2009年2月号から抜粋させていただきました。

 12月7日は『大雪』、22日は「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」の『冬至』、冬の気配が現れてくる頃です。旧暦の『師走』の「師」は俗説の「恩師」でなく本来的には「御師」(神社の参拝を世話する人)のことのようです。


■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
小説「吾輩は猫である」自然薯の値打ち(夏目漱石)
零余子蔓 滝のごとくにかかりけり(高浜虚子)
貴族・宮廷食「芋粥」って?(芥川龍之介)

■読本・文人たちに見る〝遊歩〟(2021年追記)
解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
世界と通じ合うための一歩一歩(アルチュール・ランボオ
バックパッカー芭蕉・おくのほそ道にみる〝遊歩〟(松尾芭蕉)