★案内・目次(山歩き・遊トレッキング読本)

遊歩のススメ表紙
弥山(大山)1,709m photo by 四万十川洞安

●遊歩の世界へようこそ!

 登山、トレッキング、ハイキング、散歩などと、楽しい歩きをはじめ、苦しくて辛い歩きも含めてトコトン〝歩き〟の一歩一歩を紹介していきたいと思います。〝遊歩〟このステキで幸せなアクティビティをまだ、見知らぬ方々はぜひともお立ち寄りくださいますようお願い申し上げます。
 以下、カテゴリーのご案内と読本の各項目の目次を紹介させていただきます。

カテゴリー「裏山・野山での歩き」

 ダンシングサークルの仲間たちに呼びかけて、自然の中で自己の表出を!と始めた近所登山パフォーマンス(第1回 1985年)が出発点です。1986年に「六甲遊歩会」を結成して、例会などで六甲山系を中心に彷徨うように歩いた山日記をベースにしています。三十路半ばで突然のように始まった山歩きですが、思春期から二十歳代にかけての青春時代の奮闘、そのほとんどは挫折の連続でしたが、その総決算として始まった〝遊歩〟は第二の青春をしっかりと彩ってくれました。2003年、六甲遊歩会退会後は、山口県の山々を辿ったり、時折に六甲山に帰ったり、各地の気になる山々を歩いています。基本、高度な技術が必要な冬山や高山でのお話しはありません。

裏山での歩き、生活にある歩き、人生を刻む歩き

カテゴリー「●読本:遊歩のススメ」

 上記の資料を読み直しておりますと、青臭いところとか、自分でもよく分からないところがままあって、一から書き直してみるかと思いました。内容に大きな変化はありませんが、あれこれ手を加えたり、切口を変えてみたりして分かりやすく書き下ろそうと思います。一応、終活というか、総決算という気持ちで書いていこうと思います。
 どこから読んでも〝遊歩とは?〟が考察しやすいように、マガジン風に再編集して、下のような項目で投稿していく予定です。(※リンク箇所は投稿済み)

読本1・遊歩とは何か? 
読本2・幸せは歩きの距離に比例する?
読本3・孤高の人・加藤文太郎を追いかけて・・・
読本4・戸惑いの〝歩き〟の正体
読本5・あるく・のぼる・あそぶ・まう・おどる・うたう・えんじる
読本6・ウォーキングは健全なる狂気?
読本7・遊歩のステージ(舞台)に立つ
読本8・一人歩く時ほど孤独より遠い?
読本9・自分の一歩、己の居場所(地図・コンパス・GPS)
 ・遊歩におけるエマージェンシー(遭難・道迷いとは?)
 ・孤高の歩き、群れた歩き
 ・裏山は永遠のトイボックス?
 ・遊学歩学
 ・動的な禅への誘い(立禅歩禅)
 ・迷うことを潔しとする
 ・山に入れば必ず自然と出会えるとは限らない。
 ・私たちにとってのウィルダネスとは(原郷とは?)
 ・遊歩を極めれば、人生は変わる?

先人たちの遊歩

 ●読本10・解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き種田山頭火
 ●読本11・何時までも歩いていたいよう!中原中也
 ●読本12・世界と通じ合うための一歩一歩アルチュール・ランボオ
 ●読本13・バックパッカー芭蕉・おくのほそ道にみる〝遊歩〟松尾芭蕉

 十人十色の〝歩き〟が百人百様の人生を彩る。順次、投稿しますのでご期待を!

カテゴリー「○資料:遊歩アーカイブ

 私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)に記述・編集したものを「資料:遊歩アーカイブ」としてデジタル化できた分だけを収めています。

資料01-1・〝遊歩〟とは?(1)散歩? 登山? 冒険?
資料01-2・〝遊歩〟とは ? (2) アート? 禅? 旅行?
資料02 ・ステージとしての六甲山(資料)
資料03 ・引き裂かれた六甲山(ウィルダネスとは?)
資料04・ 調査遊歩レポート(ホタル・水質・地理など)

カテゴリー〓回想╱阪神大震災 」

 震災直後から手元にあったノートに、走り書きのように書き留めていたメモがありました。このメモは、21日目後の2月6日に途絶えていました。はっきりとはその理由は覚えてはいませんが、その時点で「何かが終わった」のだろうと思います。

 それをもう一度、省察してみたいと、震災から十二支が一巡りした2007年の1月、このメモを読み返しながら、地震前日からの足跡を、さらにそこから続いた12年間の足跡を、辿ってみた旧ブログをこのカテゴリーに移しました。現在、本ブログへ転載作業中です・・
 

サブカテゴリー「生活周辺にある歩き」

 阪神大震災契機に山口県に移住後は、じねんじょう山芋の生産・販売会社のWEB管理の縁をいただき、併せて、その産物としての高付加価値を活用した中間山間地の地域振興・農業再生・担い手育成などの活動プロジェクトに参加、その報告やエコツーリズムを介した地域資源の発掘アイディアなどの話を綴っています。
 都会の遊民としての山々での自然との交感は、内なるリアリティをたくさん呼び起こしてくれ、見失っていた多くの自分と再び出会うことができましたが、田舎暮らしでの大地との交感は、生活者として正面から自然に向き合うことになりました。大地に根を下ろすための「生きるための知恵」を数多く学び、その喜びに心が躍りました。まさに第三の青春と呼ぶにふさわしいストーリーです。

 七十路を超え、高齢者に向かうプレッシャーをひしひしと感じつつ、己のステージも終活に移りつつとあるとはいえ、足下の〝歩き〟は、歴然と生に向かっています。まだまだリアルタイムの一歩一歩に悪戦苦闘している次第です。脚力も衰え、物忘れや神経痛に悲鳴をあげつつも〝働く〟場所を確保していかなければなりません。そんな愚痴っぽい話もつづっていきたいと思います。
 愚昧とお叱りをうけるかもしれませんが、このカテゴリーにて〝遊歩〟のコンテンツ化(商品化)を提案していこうと考えています。団塊の世代以上の諸先輩たちの〝人生の歩き〟を可視化・現金化しようとする危うい試みですが、こればかりは多くの人たちの力が必要です。どれほどの闊達なプロジェクトになるかどうか、わが第四の青春が問われるところです。
 是非ともコメントなどを通して叱咤や激励をもって、ちいさな共生プランへの工夫やアイディアをいただければと思います。(目下、計画中です)

○資料目次:遊歩資料館アーカイブ

再度山・洞川林道の樹林
再度山・洞川林道の樹林

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★本カテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)

目次は下記の通りです。(資料が増えた次第、順次リンクを貼っていきます)

 ■「遊歩とは何なのか?」
   狂気? 散歩? スポーツ? 登山? 冒険? 健康? 禅? アート? 放浪?

 ■「遊歩の舞台としての六甲山とは?」(編集中)
   せめぎあう都市と山岳の最前線、遊歩の舞台としての成立条件。

 ■「自然とは何か?」(編集中)
   「引き裂かれた私」の発見、
   「内なる六甲山」「内なる自然」との出会いを求めて・・・

 ■「調べる遊歩?」
   ホタル? 56.4km? 水? 自らの内に潜んだ「赤テープ」を剥がす・・・

※注:ログのアップ日時はソート的処理(収録日時)で記述日時とは関係ありません。
その他、当時のママで生じる不確定な記事があるかも知れません。ご了承下さい。
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本カテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに再収録したものです。

○資料04:調査遊歩レポート

紫陽花の葉の間から、山芋のツルが伸びる
神戸市立高山植物園・アジサイ園 Photo by jiro

★このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに加筆のうえ再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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■『六甲山における赤テープ問題』

………………1985年………………

 「ルート表示用の赤テープは一体何を意味するのか?」という疑問から、六甲山をフィールドにした各山岳会、大学サークル、官公庁、団体・個人へのアンケート調査と赤テープ表示の特集記事をまとめ、BUN-BUN別冊2号として発行(9月)。
……「え~と、右は◯◯か」「左が◯◯か」 道標(社会通念)をついつい追って歩いてしまう。こんな歩きは周囲の地形(社会)を自らの内にイメージできていないから、道標がなくなった時(迷った時)に進むべき方向を失う。…… このような意味合いのことをエリアマップ「六甲山」の著者・赤松滋氏が書かれていました。この言葉がこの調査のきっかけであったことは間違いありません。 確かに山中のルート(社会)は複雑で、とくにビギナー(年少者)が迷わず歩く(生きていく)には、折々の分岐点には、正確な道標(目的の確かな選択肢)を用意しておかなければ不安です。その内に地形(社会)そのものが頭の中でイメージできるようになれば、自分が選んだ目的に向かって、遠回りであろうが、近道であろうが、自分に合ったルートを自由に選んで、歩けるようになります。これは凄い!ことです。つまりルートを失った時や迷った時(挫折した時)にもパニックにならず、進むべき方向(再出発~復興とも言いますか)を自身の中から(社会通念に惑わされず)見い出すことができるのです。
 赤テープも一つの道標です。六甲山の支尾根、支谷いたる所で、まるでゴミのように巻き付けられている赤テープ、これが奥深い雪山なら生命を救う目印となるかも知れませんが、六甲山ではただ私たちを煩わせ惑わせるだけです。安易で過剰な赤テープ(過保護)は結局、ルートの選択力(人生に立ち向かう力)を育むことを疎外します。冷たい言い草ですが自然のフィールドとは厳しいものです。そういう厳しさを保全するために私たちは過剰な赤テープを撤去したいと考えます。同時に自らの内にある『赤テープ』も剥がしていきたい。

(※当時は、息巻いて赤テープを剥がしていたようで、共感より反感を買っていたようです。2010年9月)

■六甲山を見つめ直すシリーズ╱その1
 六甲山に於けるテープ表示に関してのアンケート集計結果報告(昭和63年度)
 当時の兵庫県山岳会、自然保護協会の関係者や六甲山ガイドブックの著者の方々などからも「赤テープ類によるルート表示」に関しまして貴重なご意見をいただきました。
の内容につきましてはPDF化が滞っていますので、とりあえず画像を掲載しておきます。しかしながら、当時の昭文社エアリアマップ「六甲山」(六甲山のハイカーが愛用するルート地図)の著者・赤松滋さんより編集部にいただいた寄稿文は含蓄ある噛みしめたい一文ですのでテキストに起こしてみました。ぜひ、一読ください。
(2019年8月:追記)


■『六甲全山縦走路測量』

………………1989年3月~1989年8月…………

 ・計5回の巻尺を使った実測と万歩計やコンピュータ分析での距離測定。
 ・調査結果は『六甲山を見つめ直すシリーズ/その2』BUN-BUN別冊4号として発行。
 これは大変な調査でした。この年の神戸市が主催する「市民縦走大会」の公式マップのルートを50mメジャーで実測したのですが、この馬鹿げた測量遊歩を見つめる一般ハイカーの視線を気にしつつ、50mのメジャーで1000回に近い尺取りをしたものですから…。調査結果が神戸新聞に発表されたもので、各方面から賛否両論の大反響を頂きました。
  従来から六甲全山縦走路の距離は「56.4km」と記されたのが多い。(「55.0km」とか「55.4km」と紹介するガイドもある)この『56.4km』は私たちの憧憬の数字でした。そしてその数字自体に何も不満や不信感もありません。しかしながら、実測結果の距離は「45.1km」でした。 いまさら、この数字をどう私たちが受け入れるのか?この数字に一体どんな意味があるのか? その辺りは調査報告の中でも触れていますが、確かなことはここでも受難の六甲山の姿を深く痛感したことです。私たちの「内なる六甲山は永遠に『56.4km』であることは疑う余地はありません。

神戸新聞の第一面

■六甲山を見つめ直すシリーズ╱その3
 六甲全山縦走路の距離実測報告(平成2年)
全山縦走路の距離に関しての調査報告書は、機関紙「ぶんぶん」別冊として発行し、協力いただきました関係行政機関や六甲山の各施設・関係者に配布させていただきました。
 PDF化されていません。写真にだけは撮ってみましたので、見にくいですが、関心のある方はご覧ください。

■『表六甲山におけるホタル調査』

………………1990年より開始…………現在も単発的に調査続行
表六甲山のホタル調査

 ・平成2年度の調査結果はBUN-BUN別冊5号として発行。(調査は5年計画でした)
 六甲山系の渓流における水質調査のケミカル調査と並行した水棲生物調査の一環として企画されたものですが、きっかけは、都会の生活からほとんど無縁になってしまった『ホタル』が果たして六甲山麓、山中に生息しているだろうか?という単純な疑問から出発したものです。しかし、短い羽化期間のホタルを広い六甲山で実際に追跡する調査は大変なことでした。
 6月1日~7月21日の間、21回、計32ケ所、延べ85名での作業。暗闇の六甲山中を、居るか居ないか分からぬホタルを追い求めるのは、実に探検・冒険のようでワクワク感が先行しましたが、頭で描いていたような光の乱舞どころか、一匹の成虫をなかなかに見つけることもできず、イライラと焦る気持ちがつのっていく遊歩となりました。調査を始めて8回目に初めて「天然ホタル」を山中の河原で発見した時は、言葉にならない感動で長い時間立ちすくんでいました。それからは闇の六甲山中で点滅するか細い輝きにすっかり魅了されることになりました。
 しかしながら、その見つけた「ホタル」が天然なのか、人為に放流されたものかを、合わせて調べることとなり、特殊な自然環境を形成する六甲山特有の二重の「アリバイ」調査でもありました。

■六甲山を見つめ直すシリーズ╱その3
表六甲山ホタル調査概要(計画書)とその調査報告書(平成2年度)

★ホタル調査概要(計画書)とその調査報告書は、機関紙「ぶんぶん」別冊として発行し、協力いただきました関係行政機関や六甲山の各施設・関係者に配布させていただきました。
 そのデジタル(PDF)化には未だ手をつけていません。写真にだけは撮ってみましたので、見にくいですが、関心のある方はご覧ください。

■『六甲山の水質調査』

………………1990年6月~1991年4月…………
六甲山の水質調査
西山谷にて水質調査(ケミカル及び水棲生物)1990年5月20日

・計6回、14ヶ所、延べ66名で簡単なケミカル調査(6要素)と水棲生物の観察
・各回の調査結果は会報BUN-BUNにて、その都度発表。
 調査の発想は、六甲の水は美味しいか?名水はどれだけ山中に存在しているか? という単純なものでした。しかし、いままで何も気にせず飲んでいた沢の水が「ちょっと心配」になるような結果も出て、残念ながら六甲の傷の深さを痛感。

六甲名水探偵団
住吉谷の水質調査・1990年3月11日

■『現代遊歩研究会の調査遊歩』

…1992年度のテーマを『六甲山における密教的風景』に選定して4回にわたる実践遊歩を実施…

・Vol.1「幻の密教伽藍をさがす~裏六甲・古寺山」……1992年2月
・Vol.2「天狗たちの姿を求めて~古の抖そう行のルートを歩く・鷲林寺~石ノ宝殿」……同年5月
・Vol.3「空海の足跡を追う~再度山・大竜寺」……同年9月
・Vol.4「山上の密教的風景を訪ねて~巨岩伝説と山岳信仰」……同年11月
このテーマはちょっと!のめり込んでしまいそうになる!ハイカーの守備範囲を大きく超えてしまいそうなので1993年に予定していた『六甲山における超古代文明』は個人的な仕事におきかえることになりました。

★以上の調査報告書は、まだデジタル化されておりません。
折々にテキストに起こしますのでそれまでお待ちください。
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○資料03:引き裂かれた六甲山(わがウィルダネス)

六甲山最高峰 931.25 m・山頂標識
六甲山最高峰 931.25 m・山頂標識

★このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに加筆の上、再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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●自然とは何か

六甲山が抱えている現実的な環境問題はここでは紹介いたしません。この遊歩会とは別な形で取り組まなければいけないでしょう。 「私たちが六甲山に入ることで六甲山を傷つけている」という前提を胸に刻みながら、ここでは遊歩と自然との関わり合いを紹介したいと思います。 まずは、「神秘のフィールド/ウィルダネス」を紹介したばかりに、多くのバックパッカーを引き入れてしまったことに関して、C.フレッチャーが次のように語っています。

 バックパッカーの数が次第に増え、自然そのものの存在が危機に瀕しているとすれば、私のやった仕事(ガイドの著作など)は、そうした侵略を促進させる役割を果たしているのではないかと思えてきて、(遊歩大全の)改訂版を出すことに躊躇を感じていたのだ。 そのとき、ある人が言ってくれた。「問題はウィルダネスに入り込む人の数の多さにあるのではなく、本当の生活、最も正しい生き方を知らずにいる人間の多さにあるのだ。われわれには、このような本がもっともっと必要なのだ。」私はこの好意あふれる気持ちが正当なものかどうか確かめることもせず、ひたすら嬉しくなって、すべてを受け入れてしまったわけである。(C.フレッチャー著「遊歩大全」より)

 太字部分の本当の生活、最も正しい生き方とは価値観の問題で、その多様な中味は一言で云々できませんが、とりあえず一般的なナチュラリスト的な言葉として考えておきましょう。私個人からは、一体何が「本当」何が「正しい」のかを断言するつもりは毛頭ありませんし、その勇気もありません。
 今、言えることは、都会的な生活が間違いで、ナチュラリスト的な生活が正しいという単純な理屈は不毛だということです。私は、週末は自然の静寂の中に身をおいても、それ以外では都会の喧噪の中で暮らしています。どちらが是か非かの問題ではなく、その両極を自由に行き来できる自在さを「遊歩」に求めることが大切なことと考えています。 自然というものは、自然と呼ばれるエリアがあって、そこへ行けば必ず自然と出会えるというものではありません。逆に、カルキ臭い水道水、どんよりした空、埃っぽい風…都会的な環境の中であっても、自然を感じ、掴み取ることもできるのです。要は感性の問題です。そして、天才的なアーティストか悟りを開いた聖人でない限り、この感性はバーチャルな環境では決して磨かれることはありません。われわれ凡人は手足、肌、目、耳、口を使って自然の何であるかを実際に体感し、自らの「内にある自然」と出会っていく以外にはありません。

山口市秋穂・火の山 303.6m

 —-なぜ人は、冷えたシャンペンの方が、マウンティン・クリークから流れ落ちるあの氷のように冷たい水よりも「リアル」なのだと考えるのか。なぜ、ほこりっぽいアスファルトの歩道の方が、あおタンポポのじゅうたんよりも「現実」なのだろうか。ボーイング747
ジャンボジェットは、日の出と一体になって飛翔する純白のペリカンよりも「リアル」だと、なぜ言えるのだろうか。言葉を換えて、もう一度言おう。ウィルダネスの美、沈黙、孤独から生まれ出るものより、シティーライフから生じる行動、感情、価値観の方が、なぜ「リアル」なのだろうか。(中略) こうしたもの(文明的な物)こそ、動物と人間とを別の存在にさせてしまい、私たちの視野を狭いものにしてしまっている原因なのだ。私はこう結論したい。山の清水、砂漠の花、白い鳥の夜明けの飛翔、こうしたものこそ、いっそう激しさを増した現代生活の複雑さの根本にあるリアリティーであり、シャンペン、アスファルト歩道、ジャンボジェットは、その真のリアリティーの延長線上にあるものとして視野に捕らえてこそ、初めて意味を持ち得るのだと。(C.フレッチャー著「遊歩大全」より) 

 広大なウィルダネスと六甲山とでは、事情はかなり異なりますが、六甲山域でも都会生活ではなかなか見いだせない「リアル」と数多く出会うことができます。
 神戸市内には数本の小さな川が六甲山から流れています。護岸されて、水もきれいといえない川ですが、その流れをどんどん遡っていくと大変、面白い体験ができます。山中にさしかかると護岸もなくなり、自然の沢状、時には渓谷状になります。できる限り水際を歩いていきます。ゴミが浮いていた流れが、清流に変わり水中の生物などもたくさん現れ、変化し、所によってはそのまま飲める水になります。ダムや堰堤に度々遮れますが、なんとかそれを乗り越えて行きます。谷の核心部分では素晴らしい滝がいくつも姿を見せます。それも危険でない程度に巻きこんで乗り越えます。いくつかの支谷を過ぎやり、本流と思える沢をつめると徐々に流れは細くなります。そして、いよいよ源頭に辿りつき、岩の間からポタポタと湧き出る水滴を、または地中からしみ出る小さなたまりを発見するでしょう。これは感動です。(感動せん奴も居るかも?)ここまでが、短い沢で半日、長い沢でもまる一日あれば充分です。時間があれば一泊キャンプするものいいかもしれません。6月中旬頃なら、もしかして天然のホタルなんかと出会うかもしれません。
 私は、自宅の蛇口から流れる水道水に「哀れさ」を感じると同時に「大いなる自然の営み」も同時に感じることができます。その「二つのリアリティ」を持ち得ることができます。それも、その水が何所でうまれ、何処から湧き出てきたのか、源流のあの水滴をこの目で見て、この手ですくい、この口で味わっているからです。そういう本来的な水と出会った感動があるからです。風や雨もしかり、木々や日ざしも然りです。
 禅から生まれた茶道の茶室には、よく一輪の花が飾られます。それだけで大自然の多くをそこに凝縮させている訳ですが、禅の達人でなくとも、遊歩で積み重ねた体験があれば、一輪の花から、一陣の風から、小さな木漏れ日から、「リアル」を感じ、心を動かすことができます。

引き裂かれた私

 よく現代人は「引き裂かれている」と言われることがあります。この引き裂かれた状態とは、バーチャルな環境(生活)においての自分と本来的な自分(これが何かは難しいが)とのギャップをさすと思います。「自然」というテーマに絞れば、上手な言葉ではありませんが、「私たちが今、定義している自然」(頭で考えている自然)と「あるべき自然」(感性で実体験した自然)のギャップがあって、その「二つの自然」に引き裂かれている状態を感じてしまいます。
 俗化した六甲山なんかに本当の自然はあるのか? と毒づく方がたまに居ます。また、六甲山の自然を守れ!とか叫ばれる方も多いです。しかし、そう言う前に「豊かな自然、守るべき自然」とは何なのかを、まずは深く突きつめなければいけないと思います。その問いかけは「傷つき続ける六甲山」自体から発せられているように感じます。その問いかけに応えるためには、「私」がハッキリと感じえた「リアル」を積み重ねていくしかありません。これこそが「内なる六甲山」と言えるのではないでしょうか。 自らの内に六甲山を見い出すことが、内なる自然との出会いへと通じています。ここに至れば私たちの「二重の現実」をよく見渡すことができます。その上で環境問題や自然保護の課題を考えてみてください。そして、自分の生活も…。そこから先は貴方次第です。

★このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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○資料02:遊歩の舞台としての六甲山とは

★このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに加筆・再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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山の山並みと岩国周東町の山影を合成
六甲山の山並みと岩国周東町の山影を合成

平凡な?裏山…六甲山

六甲山系は、日本各地のどこにでもあるごく普通の山塊です。日本アルプスなど内陸地帯にある山系に比べれば、標高、スケールなどでは到底およばない小規模で、しかもかなり観光化、はっきり言ってかなり俗化された山域だといえます。ドライブウェイを始め、ケーブル(3系統)、ロープウェイ(3系統)などによる山上へのアクセスも整備され、植物園、牧場、スキー場、ホテル、レストラン、博物館、ゴルフ場(日本最古)住宅地、別荘群、郵便局、小学校などの行政施設も整った都市機能があるというか、もう都市そのものでもあります。
 東西約30km~南北約10km、100余りのピークがあり、931.3mの最高峰をもつこの山塊は、数十万年前から始まった大阪湾からのプレートの圧迫で準平原が隆起でできあがったと言われています。火山活動や氷河作用をあまり受けていないので、単独峰や尖鋒が少なく、山上は大きな平たんな高原部分をもっています。
 1,000メートルに満たない標高ですが、南山麓は急な斜面が多く、アプローチがほとんど海抜20~50mといった地点から始まることを考えれば、内陸地の1500~2000m級に準じる実標高差をもっているともいえます。気象的には瀬戸内海の温暖な気候域に含まれ、さほど厳しさ・険しさはなく、降雪時のみ積雪する程度で冬期の登山も特に問題ありません。

満身創痍のステージ

 さて、我が裏山もこのような紹介であれば、何も遊歩においてもさほど際立つ特色があるとは言えないステージですが、「遊歩」がより遊歩のステージとして鮮明に浮き上がる重要な条件で、他の山域にはあまり類のない条件が六甲山にあります。  それは山麓に拡がる「巨大な都市圏」というものの存在です。東西南北から圧倒的な都市化の波を受け、また山頂もドライブウェイ沿いに観光化が戦前より進んでおり、自然の保全という点では、ほとんど六甲山系は満身創痍といえます。この点では日本各地の都市近郊の山系は大なり小なり似たようなものです。しかし、山麓に数百万という人口(ほとんどが都市生活者)を抱え、都市化の脅威と侵食を受けつつも、なおかつこの山系が 独自の自然の秩序…父親のような凛々しい威風と母親のような優しい慈愛を持ちつづけている のは不思議と言うほかありません。そう感じるのは私だけでしょうか。  「六甲山に一体、本来の自然がどれだけ残っているのか?」と問われることがあります。答えに窮する場合が多いのですが、未開のジャングルや未踏の深山のような状態を自然というなら、そういう自然は残念ながら、このエリアにはほとんど無いと言えるでしょう。近代に至るまでに平安の源平合戦、戦国時代の戦火でほとんどの樹木は伐採されていました。現在の植生の多くは明治以降の植林事業によるものだし、沢のほとんどが都市を守る名目で進んでいる堰堤(砂防ダム)100年計画で、無傷な谷はなく、都市化のあおりで猿、鹿などの野生の動物も消え去り、保護されているイノシシ(というより猟の危険から都会人を守るためか)は野生を忘れ料金所で餌をねだっています。はたしてこの地に自然なるものがあるのか?私たちのウィルダネスになりうるのだろうかという疑問はぬぐえません。

摩耶山(702m)から望む神戸の市街地
  摩耶山(702m)から望む神戸の市街地

内なる六甲山とは?

 「六甲山は巨大な公園だよ」とか「でっかいおもちゃ箱だろう」と断言する人もいたりする。それも確かに立派な言い草なのだけれども、もっと大切なことは、そこに望むべき自然があるかどうかということよりも、自分の内に向かって「自然とは何か?」という問いかけを続けることと思います。 ヒマラヤやアマゾンでこれが自然だと頭を垂れる人もいれば、そんな場所に立ち会ったところで、文明だけを妄信する人なら素直に目の前の自然を受容できない人もいる。アウトドアと称しながら、室内道具を満載して学校の校庭のようなオートキャンプ場でキャンプ張る。これでは日常のドアから少しも足を踏み出していない。アウトドアの振りをしたインドアと言わざるを得ません。要は、自然とは何かを問う前に、自身の中に自然を感じる感性がどれだけあるか、その問題の方が重要なのです。  茶人や花人のように、高層マンションの鉄筋であっても、部屋の中で飾られた一輪の花に無限の自然を感じることができる人ならば、その部屋には自然があり、カルキ臭い水道水であっても、その源流を知る者、沢を登り詰め岩の間からわずかに滴る水を一度でもノドに通したことがある者にとっては、自然の何であるかを、また不自然の何であるかを 十分に思い知ることができます。ビルの屋根にかかるどす黒い雨雲も、それを山上から雲海として眺めたことのあるのにとっては、また愛しい雲の仕業だと受け入れることができます。風であれ雨であれ然り。わが内にある自然がどれだけリアルなのかが問題なのです。  私たちは自分の足で〝歩く〟ことによって、そういう体感を得て、感性を身につけていくことができます。そういう意味で六甲山は私の裡に形作られていき、私にとってのウィルダネスとなっていくように思えます。  話は少し逸れましたが(詳しくは「自然とは何か?環境問題と六甲山」の項目を読んで下さい)自然と不自然が圧倒的にせめぎあっている状態がこのエリアにあらゆる場所で感じられるのです。 

★このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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○資料01:〝遊歩〟とは ? (2) アート? 禅? 旅行?

山口県山口市・東鳳翩山 ( 743m) 愛犬クッキーと登頂
山口県山口市・東鳳翩山 ( 743m) 愛犬クッキーと登頂

■遊歩は動的な『禅』かもしれない?


 ここで話は千年以上昔に遡ります。中国やインドではさらに千年、二千年も古の時代なのでしょう。密教行者、修験者が自然(宇宙)の神秘を自らの身体に体得すべく、ひたすら山野を、峰々を、岩場を歩き巡りました。「瞑想」と共に重要とされたこの行は「抖そう行」と呼ばれたらしいのですが、自然の摂理、宇宙の哲理を頭だけで勉強するのではなく、険しい山林を自分の足で歩き回り、身体全体で自然や宇宙を掴みとろうとしたようです。比叡山の千日回峰、吉野山の奥駆けなどは代表的な「歩き」による修行です。
 後の禅宗では、「歩き」より「座禅」という瞑想的な方法での修行が盛んになりました。禅を勉強したわけでないので、的外れかも知れませんが、「渓声山色」自然の中を歩かなくても、我が身をして自然と悟れば、己が何処にあろうが、渓谷の音を聞き、山の色を見ることができるといいます。「歩く」という行為をも「座る」という行いの中に取り込んでしまう。この禅的修行の代表的な境地が「無心」とするならば、慌ただしい都会で、日々生活に追われている私たち凡人にはなかなか手の届かない境地だといえます。やはり、私たちに合ったそれなりのフィールドが先ず必要となるのでしょう。
 私自身たまに、いや「一人歩き」の場合には、往々にして「無心」を体験することがあります。疲れに喘いでいたり、ルートを必死で探していたり、風景に圧倒されたり、「無心」というより、「夢中」に近いかも知れませんが、全く自分が真っ白になって、自然のフィールドで踊っているような、踊らされてるような、心地のよい状態になることがあります。考えごとをしているようで、何も考えていない。何も考えていないようで、充実している。自然に対して素直で、柔軟な自分になっている時、それも「無心」の一つというなら、遊歩は立派な「動的な禅」とも言えます。

■遊歩は「アート」なのだ!?


 次にアートという切り口で「遊歩」を紹介してみましょう。
「パフォーマンスアート」という言葉がありますが、最近では、思わせぶりな行為をさして世俗的に使う場合が多いですが、本来は一つの芸術思潮で60年~70年アメリカのアーティストを中心に流行しました。簡単に言えば「アートとは作品そのものでなく、作品にいたるまでの行為こそアートなのだ」と言うことです。
 初期の遊歩会では、私を含めモダンダンスをやっていたメンバーが数人いたこともあって、「歩き」をダンス表現の一つとして考えてみようという試みがありました。まさに再現不能の一回性アート、六甲山という巨大なステージで、観客は不在のパフォーマンスでした。とは言っても踊りながら歩いた訳ではなく、草原状の東お多福山々頂でストレッチをしただけで、見かけはごく普通のハイキングとさほど変わりないものでした。しかし、これを期に「歩き」における自己の表出の可能性を深く考えることとなりました。
 1986年に「近所登山パフォーマンス」と冠して13回の遊歩を、公募でメンバーを集め実施いたしました。現在の中心的なメンバーですが、彼らのほとんどが「アートとしての歩き?」「自己の表出?」「なんのこっちゃ?」と思いつつ、戸惑いつつも六甲ハイクを楽しんでいました。
 こういう彼らに「山へ行けば、必ず自然があるとは限らない。ひらいた風景の中で、子供のように素直に心がひらかれなければ、自然と出会えないのだ…」「そして自然と出会うとき、まだ見ぬ自分を発見するだろう。自分との出会いが遊歩なのだ。」というメッセージを会誌「ぶんぶん」の中で送りつづけました。  巨大なステージの中では、作為的な個人の行いなど微々たるものでしかありません。それよりもよりステージの中に自然に、素直に溶け込み、自分を委ねてしまうことの方がいかに自分らしくなれるか。アートとは自己の表出に他ならない。そこには普通の感性や想いだけではなく、屈折したり、密かに押し込められたものもあるだろう。枠にはめられ、あふれた情報に混乱して、自分自身や自らの進む道を見失いがちな現代社会に暮らす私たちにとって、見知らぬ自分、隠された己と出会うことは大切な事です。それも「テレビ」「麻薬」「株」という現代のバブル的ツールに拠らない方法で…。
 舞踏の創始者といわれる土方 巽の言葉にも数多く「遊歩」連なるものがあります。
「舞踏とは自らの肉体と出会うことだ」「我が肉体に降りていく」
 遊歩もまさしくそうありたいものです。

■放浪、遍歴の旅~『私に向かう旅』


「遊歩とは、限りなき自己への旅立ち」…。少しずつ「遊歩」の核心に近づいてきましたが、その前に少し「遊歩」と旅、それも「放浪の」とか「遍歴の」と形容される「旅」とのかかわりを考えてみたいと思います。こういう旅に身を置いた方々は数えきれません。古から、学問にしろ、武術にしろ、宗教上の修行にしろ、また、ごく些細なきっかけにしろ、とにかくもあてどなく「歩き」始めた人のそれぞれの軌跡を追ってみるのも「遊歩」を深める大きなヒントになるかもしれません。
 現代を含めて、どの時代にも数多ある放浪の軌跡のうち「山頭火の旅」は私にはきわめて身近な軌跡に感じてなりません。
 「分け入っても分け入っても青い山」この遍歴を告げる句の前書きには「解くすべもない戸惑いを背負うて。行乞流転の旅にでた」と記されています。お堂で悠然と禅をむすんでいるだけでは己を掴まえきれなかった。とにもかくにも己を探すべく山頭火は歩き始めたのでしょう。彼にとっては確かな成算があって歩き出したのではなく、背負った戸惑いを解くために、つまり、我執にからまれ動きのとれない心を動かすために、とにかくは「歩き巡り」しかなかったのでしょう。
 「心があることにしがみついて動こうにも動けない。動けない心を動かすためには、体をうごかさなければならない。歩き続けるしかなかった。」こうゆう個的で切実で重い「歩き」をも遊歩と呼べるのだろうか、それにはためらいを感じます。あくまでも私たちにおける「遊歩」とは、個としての軌跡(単遊歩)と多くの仲間と共に描く軌跡(復遊歩)の両立を前提に考えているからです。
 しかし、個としての歩き(単遊歩)を深めて考えるなら、こういう流浪、遍歴の「歩き」が遊歩の核として

「遊歩」とは「私自身に向かう旅立ち」
 という一つのイメージが浮かんできました。こういう事をはっきりと意識できるようになったのは、私が歩きを始めてから、かなりの月日が経ってからのことです。友人には「ちょっと六甲山狂いをしています」と茶化していたものの、私自身、何故、六甲の山々に魅了されているのか、彷徨いに近いような歩き、何かに引きずられているような歩きを続けているのか、しばらくの間は不明でした。
 長い遊歩の明け暮れの中で、うっすらと私は六甲のある頂きから峰々に長く長く伸びた、自らの影を追い掛けていることに気がつきはじめました。「失われた私の影との出会い」これは、もちろん神秘的な現象ではありませんし、ことさら詩的に飾って言っている訳でもありません。
 〔中略〕
 余暇の遊歩だけでなく、仕事上にも、人間関係の上でも年相応の色々な出来事を積み重ね、私自身が、不確かではありますが、自分自身が何たる存在かを少しづつ掴め始めています。それも三十路半ばから始まった遊歩で様々な体験、都市社会だけでは味わえない、自然のフィールドの中で体験できたことが、「見失っていた私と再会」に大いに役立ちました。まだまだ。旅は続く訳ですが、迷いはもうありません。
 〔この項、長くなりそうなので、またの機会にアップデートします〕

■再び遊歩とは…


 「遊歩」の簡単な定義とすれば…アルピニズムほどフィールドが苛酷でなく、競歩のように平易でない。多くは日帰りで、たまにはキャンプ道具をかつぎ数日間、自然の起伏の中を自然からのリスクを背負って歩き廻る…こういう感じでしょうか。しかし、このカテゴリーにあてはまるものとして、低山ハイキングやワンダーフォーゲル、バックパック、トレッキングとか言われるジャンルが既にあります。しかし、確かにそれぞれは立派な「遊歩」には違いないのですが、どれをとっても私たちの「歩き」を表し尽くしている心地がしません。何かしら物足りないのです。
 私たちは有能なスポーツ選手でもなければ、アーティストでもなければ、ましてや山岳修行者でもありません。「歩き」を通して、己の恣意性を弾ましたり、自分の内の何かを表現したり、神秘的なものと出会ったりすることができます。また複数で歩くことによって、日常の社会や人間関係では整理しづらいことが、よく見えてきます。
 冒頭のC.フレッチャーは自称バックパッカーですが、著作の「遊歩大全」のサブタイトルには「Conpreted Walk」と附け加えられています。

 〔以下 略/続きは今しばらく!!〕
 以上の拙文は、機関誌「ぶんぶん」および別冊「遊歩」、入会案内の「遊歩の手引き」そして現代遊歩研究会の資料などに使ったものをまとめ直したものです。後少しでその作業も終わりそうなので、ご期待ください。(2000年12月/再掲) 
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