■遊歩は動的な『禅』かもしれない?
ここで話は千年以上昔に遡ります。中国やインドではさらに千年、二千年も古の時代なのでしょう。密教行者、修験者が自然(宇宙)の神秘を自らの身体に体得すべく、ひたすら山野を、峰々を、岩場を歩き巡りました。「瞑想」と共に重要とされたこの行は「抖そう行」と呼ばれたらしいのですが、自然の摂理、宇宙の哲理を頭だけで勉強するのではなく、険しい山林を自分の足で歩き回り、身体全体で自然や宇宙を掴みとろうとしたようです。比叡山の千日回峰、吉野山の奥駆けなどは代表的な「歩き」による修行です。
後の禅宗では、「歩き」より「座禅」という瞑想的な方法での修行が盛んになりました。禅を勉強したわけでないので、的外れかも知れませんが、「渓声山色」自然の中を歩かなくても、我が身をして自然と悟れば、己が何処にあろうが、渓谷の音を聞き、山の色を見ることができるといいます。「歩く」という行為をも「座る」という行いの中に取り込んでしまう。この禅的修行の代表的な境地が「無心」とするならば、慌ただしい都会で、日々生活に追われている私たち凡人にはなかなか手の届かない境地だといえます。やはり、私たちに合ったそれなりのフィールドが先ず必要となるのでしょう。
私自身たまに、いや「一人歩き」の場合には、往々にして「無心」を体験することがあります。疲れに喘いでいたり、ルートを必死で探していたり、風景に圧倒されたり、「無心」というより、「夢中」に近いかも知れませんが、全く自分が真っ白になって、自然のフィールドで踊っているような、踊らされてるような、心地のよい状態になることがあります。考えごとをしているようで、何も考えていない。何も考えていないようで、充実している。自然に対して素直で、柔軟な自分になっている時、それも「無心」の一つというなら、遊歩は立派な「動的な禅」とも言えます。
■遊歩は「アート」なのだ!?
次にアートという切り口で「遊歩」を紹介してみましょう。
「パフォーマンスアート」という言葉がありますが、最近では、思わせぶりな行為をさして世俗的に使う場合が多いですが、本来は一つの芸術思潮で60年~70年アメリカのアーティストを中心に流行しました。簡単に言えば「アートとは作品そのものでなく、作品にいたるまでの行為こそアートなのだ」と言うことです。
初期の遊歩会では、私を含めモダンダンスをやっていたメンバーが数人いたこともあって、「歩き」をダンス表現の一つとして考えてみようという試みがありました。まさに再現不能の一回性アート、六甲山という巨大なステージで、観客は不在のパフォーマンスでした。とは言っても踊りながら歩いた訳ではなく、草原状の東お多福山々頂でストレッチをしただけで、見かけはごく普通のハイキングとさほど変わりないものでした。しかし、これを期に「歩き」における自己の表出の可能性を深く考えることとなりました。
1986年に「近所登山パフォーマンス」と冠して13回の遊歩を、公募でメンバーを集め実施いたしました。現在の中心的なメンバーですが、彼らのほとんどが「アートとしての歩き?」「自己の表出?」「なんのこっちゃ?」と思いつつ、戸惑いつつも六甲ハイクを楽しんでいました。
こういう彼らに「山へ行けば、必ず自然があるとは限らない。ひらいた風景の中で、子供のように素直に心がひらかれなければ、自然と出会えないのだ…」「そして自然と出会うとき、まだ見ぬ自分を発見するだろう。自分との出会いが遊歩なのだ。」というメッセージを会誌「ぶんぶん」の中で送りつづけました。 巨大なステージの中では、作為的な個人の行いなど微々たるものでしかありません。それよりもよりステージの中に自然に、素直に溶け込み、自分を委ねてしまうことの方がいかに自分らしくなれるか。アートとは自己の表出に他ならない。そこには普通の感性や想いだけではなく、屈折したり、密かに押し込められたものもあるだろう。枠にはめられ、あふれた情報に混乱して、自分自身や自らの進む道を見失いがちな現代社会に暮らす私たちにとって、見知らぬ自分、隠された己と出会うことは大切な事です。それも「テレビ」「麻薬」「株」という現代のバブル的ツールに拠らない方法で…。
舞踏の創始者といわれる土方 巽の言葉にも数多く「遊歩」連なるものがあります。
「舞踏とは自らの肉体と出会うことだ」「我が肉体に降りていく」
遊歩もまさしくそうありたいものです。
■放浪、遍歴の旅~『私に向かう旅』
「遊歩とは、限りなき自己への旅立ち」…。少しずつ「遊歩」の核心に近づいてきましたが、その前に少し「遊歩」と旅、それも「放浪の」とか「遍歴の」と形容される「旅」とのかかわりを考えてみたいと思います。こういう旅に身を置いた方々は数えきれません。古から、学問にしろ、武術にしろ、宗教上の修行にしろ、また、ごく些細なきっかけにしろ、とにかくもあてどなく「歩き」始めた人のそれぞれの軌跡を追ってみるのも「遊歩」を深める大きなヒントになるかもしれません。
現代を含めて、どの時代にも数多ある放浪の軌跡のうち「山頭火の旅」は私にはきわめて身近な軌跡に感じてなりません。
「分け入っても分け入っても青い山」この遍歴を告げる句の前書きには「解くすべもない戸惑いを背負うて。行乞流転の旅にでた」と記されています。お堂で悠然と禅をむすんでいるだけでは己を掴まえきれなかった。とにもかくにも己を探すべく山頭火は歩き始めたのでしょう。彼にとっては確かな成算があって歩き出したのではなく、背負った戸惑いを解くために、つまり、我執にからまれ動きのとれない心を動かすために、とにかくは「歩き巡り」しかなかったのでしょう。
「心があることにしがみついて動こうにも動けない。動けない心を動かすためには、体をうごかさなければならない。歩き続けるしかなかった。」こうゆう個的で切実で重い「歩き」をも遊歩と呼べるのだろうか、それにはためらいを感じます。あくまでも私たちにおける「遊歩」とは、個としての軌跡(単遊歩)と多くの仲間と共に描く軌跡(復遊歩)の両立を前提に考えているからです。
しかし、個としての歩き(単遊歩)を深めて考えるなら、こういう流浪、遍歴の「歩き」が遊歩の核として
「遊歩」とは「私自身に向かう旅立ち」
という一つのイメージが浮かんできました。こういう事をはっきりと意識できるようになったのは、私が歩きを始めてから、かなりの月日が経ってからのことです。友人には「ちょっと六甲山狂いをしています」と茶化していたものの、私自身、何故、六甲の山々に魅了されているのか、彷徨いに近いような歩き、何かに引きずられているような歩きを続けているのか、しばらくの間は不明でした。
長い遊歩の明け暮れの中で、うっすらと私は六甲のある頂きから峰々に長く長く伸びた、自らの影を追い掛けていることに気がつきはじめました。「失われた私の影との出会い」これは、もちろん神秘的な現象ではありませんし、ことさら詩的に飾って言っている訳でもありません。
〔中略〕
余暇の遊歩だけでなく、仕事上にも、人間関係の上でも年相応の色々な出来事を積み重ね、私自身が、不確かではありますが、自分自身が何たる存在かを少しづつ掴め始めています。それも三十路半ばから始まった遊歩で様々な体験、都市社会だけでは味わえない、自然のフィールドの中で体験できたことが、「見失っていた私と再会」に大いに役立ちました。まだまだ。旅は続く訳ですが、迷いはもうありません。
〔この項、長くなりそうなので、またの機会にアップデートします〕
■再び遊歩とは…
「遊歩」の簡単な定義とすれば…アルピニズムほどフィールドが苛酷でなく、競歩のように平易でない。多くは日帰りで、たまにはキャンプ道具をかつぎ数日間、自然の起伏の中を自然からのリスクを背負って歩き廻る…こういう感じでしょうか。しかし、このカテゴリーにあてはまるものとして、低山ハイキングやワンダーフォーゲル、バックパック、トレッキングとか言われるジャンルが既にあります。しかし、確かにそれぞれは立派な「遊歩」には違いないのですが、どれをとっても私たちの「歩き」を表し尽くしている心地がしません。何かしら物足りないのです。
私たちは有能なスポーツ選手でもなければ、アーティストでもなければ、ましてや山岳修行者でもありません。「歩き」を通して、己の恣意性を弾ましたり、自分の内の何かを表現したり、神秘的なものと出会ったりすることができます。また複数で歩くことによって、日常の社会や人間関係では整理しづらいことが、よく見えてきます。
冒頭のC.フレッチャーは自称バックパッカーですが、著作の「遊歩大全」のサブタイトルには「Conpreted Walk」と附け加えられています。
〔以下 略/続きは今しばらく!!〕
以上の拙文は、機関誌「ぶんぶん」および別冊「遊歩」、入会案内の「遊歩の手引き」そして現代遊歩研究会の資料などに使ったものをまとめ直したものです。後少しでその作業も終わりそうなので、ご期待ください。(2000年12月/再掲)
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