○資料02:遊歩の舞台としての六甲山とは

★このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに加筆・再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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山の山並みと岩国周東町の山影を合成
六甲山の山並みと岩国周東町の山影を合成

平凡な?裏山…六甲山

六甲山系は、日本各地のどこにでもあるごく普通の山塊です。日本アルプスなど内陸地帯にある山系に比べれば、標高、スケールなどでは到底およばない小規模で、しかもかなり観光化、はっきり言ってかなり俗化された山域だといえます。ドライブウェイを始め、ケーブル(3系統)、ロープウェイ(3系統)などによる山上へのアクセスも整備され、植物園、牧場、スキー場、ホテル、レストラン、博物館、ゴルフ場(日本最古)住宅地、別荘群、郵便局、小学校などの行政施設も整った都市機能があるというか、もう都市そのものでもあります。
 東西約30km~南北約10km、100余りのピークがあり、931.3mの最高峰をもつこの山塊は、数十万年前から始まった大阪湾からのプレートの圧迫で準平原が隆起でできあがったと言われています。火山活動や氷河作用をあまり受けていないので、単独峰や尖鋒が少なく、山上は大きな平たんな高原部分をもっています。
 1,000メートルに満たない標高ですが、南山麓は急な斜面が多く、アプローチがほとんど海抜20~50mといった地点から始まることを考えれば、内陸地の1500~2000m級に準じる実標高差をもっているともいえます。気象的には瀬戸内海の温暖な気候域に含まれ、さほど厳しさ・険しさはなく、降雪時のみ積雪する程度で冬期の登山も特に問題ありません。

満身創痍のステージ

 さて、我が裏山もこのような紹介であれば、何も遊歩においてもさほど際立つ特色があるとは言えないステージですが、「遊歩」がより遊歩のステージとして鮮明に浮き上がる重要な条件で、他の山域にはあまり類のない条件が六甲山にあります。  それは山麓に拡がる「巨大な都市圏」というものの存在です。東西南北から圧倒的な都市化の波を受け、また山頂もドライブウェイ沿いに観光化が戦前より進んでおり、自然の保全という点では、ほとんど六甲山系は満身創痍といえます。この点では日本各地の都市近郊の山系は大なり小なり似たようなものです。しかし、山麓に数百万という人口(ほとんどが都市生活者)を抱え、都市化の脅威と侵食を受けつつも、なおかつこの山系が 独自の自然の秩序…父親のような凛々しい威風と母親のような優しい慈愛を持ちつづけている のは不思議と言うほかありません。そう感じるのは私だけでしょうか。  「六甲山に一体、本来の自然がどれだけ残っているのか?」と問われることがあります。答えに窮する場合が多いのですが、未開のジャングルや未踏の深山のような状態を自然というなら、そういう自然は残念ながら、このエリアにはほとんど無いと言えるでしょう。近代に至るまでに平安の源平合戦、戦国時代の戦火でほとんどの樹木は伐採されていました。現在の植生の多くは明治以降の植林事業によるものだし、沢のほとんどが都市を守る名目で進んでいる堰堤(砂防ダム)100年計画で、無傷な谷はなく、都市化のあおりで猿、鹿などの野生の動物も消え去り、保護されているイノシシ(というより猟の危険から都会人を守るためか)は野生を忘れ料金所で餌をねだっています。はたしてこの地に自然なるものがあるのか?私たちのウィルダネスになりうるのだろうかという疑問はぬぐえません。

摩耶山(702m)から望む神戸の市街地
  摩耶山(702m)から望む神戸の市街地

内なる六甲山とは?

 「六甲山は巨大な公園だよ」とか「でっかいおもちゃ箱だろう」と断言する人もいたりする。それも確かに立派な言い草なのだけれども、もっと大切なことは、そこに望むべき自然があるかどうかということよりも、自分の内に向かって「自然とは何か?」という問いかけを続けることと思います。 ヒマラヤやアマゾンでこれが自然だと頭を垂れる人もいれば、そんな場所に立ち会ったところで、文明だけを妄信する人なら素直に目の前の自然を受容できない人もいる。アウトドアと称しながら、室内道具を満載して学校の校庭のようなオートキャンプ場でキャンプ張る。これでは日常のドアから少しも足を踏み出していない。アウトドアの振りをしたインドアと言わざるを得ません。要は、自然とは何かを問う前に、自身の中に自然を感じる感性がどれだけあるか、その問題の方が重要なのです。  茶人や花人のように、高層マンションの鉄筋であっても、部屋の中で飾られた一輪の花に無限の自然を感じることができる人ならば、その部屋には自然があり、カルキ臭い水道水であっても、その源流を知る者、沢を登り詰め岩の間からわずかに滴る水を一度でもノドに通したことがある者にとっては、自然の何であるかを、また不自然の何であるかを 十分に思い知ることができます。ビルの屋根にかかるどす黒い雨雲も、それを山上から雲海として眺めたことのあるのにとっては、また愛しい雲の仕業だと受け入れることができます。風であれ雨であれ然り。わが内にある自然がどれだけリアルなのかが問題なのです。  私たちは自分の足で〝歩く〟ことによって、そういう体感を得て、感性を身につけていくことができます。そういう意味で六甲山は私の裡に形作られていき、私にとってのウィルダネスとなっていくように思えます。  話は少し逸れましたが(詳しくは「自然とは何か?環境問題と六甲山」の項目を読んで下さい)自然と不自然が圧倒的にせめぎあっている状態がこのエリアにあらゆる場所で感じられるのです。 

★このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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