★案内・目次(山歩き・遊トレッキング読本)

遊歩のススメ表紙
弥山(大山)1,709m photo by 四万十川洞安

●遊歩の世界へようこそ!

 登山、トレッキング、ハイキング、散歩などと、楽しい歩きをはじめ、苦しくて辛い歩きも含めてトコトン〝歩き〟の一歩一歩を紹介していきたいと思います。〝遊歩〟このステキで幸せなアクティビティをまだ、見知らぬ方々はぜひともお立ち寄りくださいますようお願い申し上げます。

「裏山での歩き」

 ダンシングサークルの仲間たちに呼びかけて、自然の中で自己の表出を!と始めた近所登山パフォーマンス(第1回 1985年)が出発点です。1986年に「六甲遊歩会」を結成して、例会などで六甲山系を中心に彷徨うように歩いた山日記をベースにしています。三十路半ばで突然のように始まった山歩きですが、思春期から二十歳代にかけての青春時代の奮闘、そのほとんどは挫折の連続でしたが、その総決算として始まった〝遊歩〟は第二の青春をしっかりと彩ってくれました。2003年、六甲遊歩会退会後は、山口県の山々を辿ったり、時折に六甲山に帰ったり、各地の気になる山々を歩いています。基本、高度な技術が必要な冬山や高山でのお話しはありません。

「生活での歩き」

 阪神大震災を契機に山口県に移住後は、じねんじょう山芋の生産・販売会社のWEB管理の縁をいただき、併せて、その産物としての高付加価値を活用した中間山間地の地域振興・農業再生・担い手育成などの活動プロジェクトに参加、その報告やエコツーリズムを介した地域資源の発掘アイディアなどの話を綴っています。
 都会の遊民としての山々での自然との交感は、内なるリアリティをたくさん呼び起こしてくれ、見失っていた多くの自分と再び出会うことができましたが、田舎暮らしでの大地との交感は、生活者として正面から自然に向き合うことになりました。大地に根を下ろすための「生きるための知恵」を数多く学び、その喜びに心が躍りました。まさに第三の青春と呼ぶにふさわしいストーリーです。

「人生を刻む歩き」

 七十路を超え、高齢者に向かうプレッシャーをひしひしと感じつつ、己のステージも終活に移りつつとあるとはいえ、足下の〝歩き〟は、歴然と生に向かっています。まだまだリアルタイムの一歩一歩に悪戦苦闘している次第です。脚力も衰え、物忘れや神経痛に悲鳴をあげつつも〝働く〟場所を確保していかなければなりません。そんな愚痴っぽい話もつづっていきたいと思います。
 愚昧とお叱りをうけるかもしれませんが、このカテゴリーにて〝遊歩〟のコンテンツ化(商品化)を提案していこうと考えています。団塊の世代以上の諸先輩たちの〝人生の歩き〟を可視化・現金化しようとする危うい試みですが、こればかりは多くの人たちの力が必要です。どれほどの闊達なプロジェクトになるかどうか、わが第四の青春が問われるところです。
 是非ともコメントなどを通して叱咤や激励をもって、ちいさな共生プランへの工夫やアイディアをいただければと思います。(目下、計画中です)

裏山での歩き、生活にある歩き、人生を刻む歩き

「資料:遊歩アーカイブ

 私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)に記述・編集したものを「資料:遊歩アーカイブ」としてデジタル化できた分だけを収めています。

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〝遊歩〟にオススメな厳選ハイキング・グッズ10選

※その1、ライト編(スマホ要る?)

「読本:遊歩のススメ」

 上記の資料を読み直しておりますと、青臭いところとか、自分でもよく分からないところがままあって、一から書き直してみるかと思いました。内容に大きな変化はありませんが、あれこれ手を加えたり、切口を変えてみたりして分かりやすく書き下ろそうと思います。一応、終活というか、総決算という気持ちで書いていこうと思います。
 どこから読んでも〝遊歩とは?〟が考察しやすいように、マガジン風に再編集して、下のような項目で投稿していく予定です。(※リンク箇所は投稿済み)

イラスト by 四万十川洞安
イラスト by 四万十川洞安

・遊歩とは何か? 
・幸せは歩きの距離に比例する?
・孤高の人・加藤文太郎を追いかけて・・・
・戸惑いの〝歩き〟の正体
・あるく・のぼる・あそぶ・まう・おどる・うたう・えんじる
・ウォーキングは健全なる狂気?
・遊歩のステージ(舞台)に立つ
・一人歩く時ほど孤独より遠い?
・自分の一歩、己の居場所(地図・コンパス・GPS)
 ・孤高の歩き、群れた歩き
 ・裏山は永遠のトイボックス?
 ・遊学歩学
 ・動的な禅への誘い(立禅歩禅)
 ・迷うことを潔しとする
 ・山に入れば必ず自然と出会えるとは限らない。
 ・私たちにとってのウィルダネスとは(原郷とは?)
 ・遊歩を極めれば、人生は変わる?
・ステージとしての六甲山(資料)
・引き裂かれた六甲山(資料)

先人たちの遊歩

 ・そぞろ神のものにつきて心をくるわせるもの(松尾芭蕉)
 ・解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
 ・何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
 ・世界と通じ合うための一歩一歩(ランボオ)

 十人十色の〝歩き〟が百人百様の人生を彩る。順次、投稿しますのでご期待を!

ただ今、タイトルの変更やカテゴリーを再編集しながら、他サーバ(gooブログ/第三の青春-遊歩のススメ)から引っ越し中です。以上のような切り分けで収納しています。少しずつ投稿していきますので、気長にお付き合いくださいませ。

●読本11:中原中也の散歩生活にみる〝徘徊的遊歩〟

冬の長門峡・中原中也(長門峡入り口の詩碑)
 冬の長門峡・中原中也(長門峡入り口の詩碑)

 前回は〝動けない心を動かすためには、体をうごかさなければならない。歩き続けるしかなかった〟という山頭火の放浪の〝遊歩〟を取り上げましたが、今回は地元・山口県にゆかりのある文人として、コアなファンも多い中原中也の〝歩き〟を覗いてみたいと思います。ちょうどこの10月22日が〝中也忌〟にあたります。それまでには投稿をと思いつつ、畑違いの〝詩歌〟の中に遊歩を見出すことに手こずって間に合いませんでした。ご容赦を。
 山頭火が小郡の「其中庵」を離れ最終ステージに選んだ松山にいたるまでの一年足らず、仮に身をよせていたのが、山口市の市街地にある湯田温泉近くの龍泉寺となりの「風来居」でした。ここで俳友を通じて、縁を得て中也の生家であった「中原医院」に出入りするようになり、中也の弟や家族らと交流を温めています。その中原医院の跡地に現在の「中原中也記念館」が平成6年に建てられています。
 山口県へ移住後、山頭火の句碑めぐりなどはしたものの、中也記念館へ足を運んだのは、本年の1月、この地に移ってから実に16年も経ってのことでした。山頭火の記念館の方は、不思議なことに全国的な人気を誇る山頭火にしては遅く、平成29年になって、やっと生家近くの防府天満宮下に「山頭火ふるさと館」がオープンしたばかりです。私の個人的感想ですが、様々な不幸が重なった種田家、自身も身持ちが悪く、生活破綻者のような山頭火に対しては、地元では、身近者への反感のようなものがあったのでしょうか、何かしらウケが悪いような印象があります。「風来居」などは未だ記念碑はおろか、目印になる標柱もないようです。(各所に句碑はたくさんありますが)句友以外には厄介者でかしかないような山頭火が中也の実家に出入りするようになった一年前、昭和12年に中也は、鎌倉の病院において30歳で夭折しています。(結核性の脳膜炎といわれています)
 俳句もそうでしたが、詩歌にも全く造詣がうすく、中也の詩を語ろうにもその資格は全くありませんが、かろうじて次のフレーズだけが、感受性に振り回されて、ダダイズムにも酔っていた若き頃の私の胸の奥底に焼き付いています。

  汚れつちまつた悲しみに
  今日も小雪の降りかかる
  汚れつちまつた悲しみに
  今日も風さへ吹きすぎる


 詩集(山羊の歌)で読んだわけでもなく、この詩の全文を覚えているわけでもない〝汚れつちまつた悲しみに〟というフレーズが丸々、私が吐きだしたような言葉のように感じられ、そのまま心の奥深くに刺し込まれていたのでしょうか。この詩以外は、ほとんど中也との接点はありませんでしたが、一昨年の真夏遊歩が、中也の生き様の中にあった彼の〝遊歩〟に導いてくれましたので、しばし、その前段の話にお付き合いください。

長門峡
長門峡(山口県・阿武川)

「山高きが故に貴からず」中也との出会いの伏線?

 低山派ハイカーの決まり文句だけれど、ついつい嵩のない山を侮って酷い目に会うこともままあります。「せっかくの夏季休暇、九州まで足を伸ばすか・・・」とテント、シュラフを車に押し込んで、行き先未定のまま取り合えず出発する予定が、早朝のスコールのような雨に腰を折られて、遠出の意欲はくじかれ、どこか近場の低山、楽チンコースは無いものかとシフトを切り替えました。しかし、この安易な転向、低き山を侮ったことが失敗の元、火の山(268.2 m)のアタックもカンカン照りの太陽と、ベトっと湿気が肌にとりつくような暑さに見舞われて、案の定リタイヤすることになってしましました。(遊歩の達人への道はまだまだ)
 このフラストレーションを晴らすために、次の日、納涼をかねて訪れたのが阿武川上流にある長門峡。道の駅・長門峡側から渓谷に入りましたが、起点が川上となっており、ほぼ水平かと思うほどのなだらかな流れに沿って谷を下っていくコースです。下山路ではなく歩き始めから谷を下りはじめるのは、何か違和感がありました。(反対側の起点から入れば良いことですが・・・)コースは整備されていて、のんびり渓谷を楽しむには文句はありませんでしたが、如何せん昨日からの高温多湿、おまけに風もなく、身体中に湿気がへばりつき、企んだ納涼とは、ほど遠い蒸した谷歩きとなりました。折り返し復路、歩き始めには気を止めなかった渓谷の入口横の廃屋のトビラに、今にも朽ち落ちそうな看板に「洗心館は閉鎖・・」との文字が目に留まりました。そして、そのすぐ先の橋のたもとで中原中也の詩碑「冬の長門峡」と出会うことになりました。(冒頭の画像)

 長門峡に、水は流れてありにけり。
  寒い寒い日なりき。
 われは料亭にありぬ。
  酒酌みてありぬ。
 われのほか別に、
  客とてもなかりけり。
 水は、恰も魂あるものの如く、
  流れ流れてありにけり。
 やがても密柑の如き夕陽、
  欄干にこぼれたり。
 ああ! そのような時もありき、
  寒い寒い 日なりき。

 50年ほどの時間が逆流するかのように〝汚れつちまつた悲しみに〟のフレーズがクロスオーバー。まだ、陽も高く、季節も真夏でこの詩の情景とは違っていたものの、何やら悲しい寂然さを感じずにはおられませんでした。料亭で酒を飲みながら夕日を眺めていたのでしょうか。先ほどの廃屋がその料亭のようです。さっそく帰宅後にググってみると、やはり、中也はこの長門峡でよく遊んだようで、あの廃屋は中也が友人たちを誘って訪れていた「洗心館」という料亭でした。この詩を書いた前月に、2歳になる長男の文也を亡くしていることを知って〝水は、恰も魂あるものの如く、流れ流れてありにけり〟というところの寂然さに思い当たりました。
 この長門峡がキッカケとなって、その秋、中也記念館を訪れることになりました。奇しくもテーマ展示は「中也の散歩生活」という彼の身体性を主題に、〝歩き〟の中から生み出されていったポエムの数々、そして、中也が日常生活において、「歩く」といことをどのように思っていたのかがよくうかがえる展示がありした。

詩人・中原中也

散歩というよりは徘徊というべき〝歩き〟のボリューム

大正十二年より昭和八年十月迄、毎日々々歩き通す。読書は夜中、朝寝て正午頃起きて、それより夜の十二時頃迄歩くなり」(中原中也・詩的履歴書より)

 この記述を真に受けると、実家を離れて詩作を始めた十六歳から結婚するまでの十年程の間、毎日、1日の半分12時間は歩いていたことになる。これは〝散歩〟とか〝散策〟というような言葉では当てはまらないだろうとツッコミたくなる程の歩きっぷりです。アスリートなら〝訓練・修練〟であり、求道者なら〝修行〟そのものと言ってもよいレベルかと思います。まずは、この生活の中で占める圧倒的な〝歩行〟のボリュームに驚きました。それは、詩人が気分転換にぶらっと出歩くというような、ましては私の毎朝夕、半時間程の〝犬連れ散歩〟や低山ハイクとは比べようもないボリュームです。中也が強く影響を受けたといわれる天才詩人アルチュール・ランボオも〝歩行三昧〟もすごいものがあります。ヨーロッパや北アフリカを歩き回って〝放浪〟の詩人とも称されていますが、中也の場合は、京都や東京の巷をウロついている感があって、その歩きっぷりは〝放浪〟というよりは〝徘徊〟に近いものがあります。私個人では〝徘徊の詩人〟と認識を新たにするものでした。

 歩きといっても、酒場に通ったり、文人仲間の家を訪れ、情報交換をしたり、論戦したり、車や電車のインフラが乏しい頃で、そのために、あちこちを徒歩で歩き回っていたこともあったでしょう。実際〝歩く〟という言葉をそういう意味で使っていたようですが、京都や東京の街中で出くわす風景のそれぞれを点検するようにほっつき廻っている姿を、作品や書簡の中からも窺い知ることができます。

僕はねえ、やっぱり毎日お歩きです」(友人への手紙)
近頃の夜歩きは好い。月が出ていたりすると僕は何時まででも歩いていたい。実にゆっくり、何時までも歩いていたいよう!」(友人への手紙)

 兎にも角にも、中也は、己の命と鋭い感性を、数行の言葉に押し込めるために、張り付いた壁紙のような下宿部屋から抜け出して、日々、川沿いの土手や街中を歩き廻ったと思います。自分が移動した分、草木や月と出会い、建物や街灯が映り、違った風景が次々と現れ、歩行のリズムの中で五感が触発され、そぎ落とされた詩句が体感として沸き上げってきたのかもしれません。空気や風の微妙な違いにも、自分の命や存在を投影していったのかもしれません。そういう〝歩き〟は、私のような凡人が見ることもない異界を覗き込むための〝徘徊〟といえるような〝歩き〟だったと勝手に想像します。そしてそれは、〝本来の愚に帰ろう、そしてその愚を守ろうと〟遊化の道につき進んだ種田山頭火に通じているように思えます。「我が生活」という散文の中で、歌舞伎を観たくなって、本を売り見料と電車代をひねり出して明治座まで出かけるが、昼飯代が無い。観劇の途中、空腹に耐えかねて退散し、家まで歩いて帰る途中・・・

歩き出すと案外に平気だつた。初夏の夜空の中に、電気広告の様々なのが、消えたり点つたりする下を、足を投げ出すやうな心持に、歩いてゆくことは、まるで亡命者のやうな私の心を慰める

と銀座の風景を語りながら、自分の性格や生き方など心境も語りはじめます。そして、生活者としての不便さ(不甲斐なさ)も嘆きながらも、夢見る自分を次のように語っているところに私の目がいって、あの愚の道を歩んだ山頭火を思い起こしたところです。

然し人生には、どんな荒んだ社会にもなお小唄があるやうに、詩人といふものは在るものなのである。その詩人なるものに、多分は生れついてゐる、否、それ以外ではツブシも利かないのが、私といふものだつたのである

主な略歴
1933年(昭和8年)
『ランボオ詩集(学校時代の詩)』を三笠書房より刊行。上野孝子と結婚。
1934年(昭和9年)
長男文也(ふみや)が誕生。『山羊の歌』を刊行。
1935年(昭和10年)
5月 『歴程』が創刊され同人となる。「青い瞳」を『四季』に発表。
1936年(昭和11年)
文也死去。精神が不安定になる。次男愛雅が誕生。
1937年(昭和12年)
『ランボオ詩集』(野田書店)を刊行。『在りし日の歌』原稿を小林秀雄に託す。
10月22日、結核性脳膜炎を発症し死去。墓所は山口市吉敷。
1938年(昭和13年)
愛雅死去。創元社より『在りし日の歌』を刊行。
1994年(平成6年)
山口市湯田温泉の生家跡地に中原中也記念館が開館。
1996年(平成8年)
山口市等が新たに中原中也賞を創設。


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※歩かない人のための歩きレクチャー読本

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〝遊歩〟ハイキンググッズ10選・トイレ編

※その2、出したものは全て持ち帰る?

●読本10:遍歴、放浪の俳人・山頭火に見る〝遊歩〟

風の中声はりあげて南無観世音
 長沼隆代作の和紙人形(山頭火ふるさと館

解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た

 種田山頭火との出会いは、いつ頃だったのかよく覚えていない。俳句といえば、芭蕉や蕪村、一茶ぐらいですか、それも有名な数句が思い浮かぶ程度で、ましてや自由律詩などというものには、ほとんど触れたことがありませんでした。しかし、いつか、何処かで〝山頭火〟という名がうっすらと気にはかかっていたのでしょう(テレビの金八先生か?)うすい文庫本一冊を買いおきしていたようで、本棚に紛れていたその本を手にして開いたのが、「孤高の人(新田次郎)」「遊歩大全(コリン・フレッチャー)」と並んで、私の〝歩き〟に大きく波紋を与えるに絶妙なタイミングとなりました。
 直接的に六甲山という舞台へ私を誘ってくれた加藤文太郎、その六甲山彷徨の〝歩き〟に、精一杯に自分を解放、寛がせることの楽しさを教えてくれたコリン・フレッチャーとの出会いの間に、現れたのが山頭火でした。文太郎の足跡を追っかけるように歩き出したは良いが、いざ、歩き出した後は自分でもコントロールの効かない、赤子の泣きながらの道迷いのような〝なぜ歩くのか?〟〝歩かされているのか?〟と自問自答しながら、さまようように歩いていた頃です。偶々だったのか、何かに導かれたのか、手に取った文庫本をめくってみると、目に入ってきたのが・・・
[大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た]という一文に釘付けになりました。「分け入っても分け入っても青い山」この有名な句の前書きです。

 母の自殺、酒造場の経営・破綻、夜逃げ、離散、被災、作句に情熱をそそぎつつも、家族を捨て自儘な酩酊の生活に堕ちてのあげくに、42歳の時に熊本・報恩禅寺で得度する。ここから仏道に導かれて、穏やかに作句の余生をと思いきや、翌年、この味取観音堂の堂守を捨てて、本格的な行乞放浪の旅が始まるのでした。この旅立ちにあたって書かれていた〝解くすべもない惑ひ〟とは何なのか? 放浪の末に世を捨て、出家した彼がなおも抱えつづけていた〝惑い〟を軽々に推しはかるつもりはありませんが、慣用的な〝煩悩〟という言葉だけで説納得しきれない何かを感じます。心があることにしがみついて動こうにも動けない。こびりついている感じですか、動けない心を動かすためには、体をうごかさなければならない。歩き続けるしかなかった。そんな感じでしょうか。彼の行乞流転の旅をそういう風に勝手に受けとってみると、当時の私の〝戸惑いの歩き〟とピッタリと折りかさなって、強烈なシンパシーをおぼえました。
 人は、いつも自分自身の絵を描いていて、その「描かれた私」と向き合いながら生きています。そして、或る日、その私というものがブレたり、かすんで正体不明になってしまうことがある。彼の人においても、お堂で悠然と禅をむすんでいるだけでは己を掴まえきれなかったのかもしれません。とにもかくにも己を探すべく山頭火は歩き始めたのでしょう。彼にとっては確かな成算があって歩き出したのではなく、背負った惑いを解くために、つまり、我執にからまれ動きのとれない心を動かすために、とにかくは「歩きだす」しかなかったのでしょう。重苦しい〝独り歩き〟が始まりました。

  鴉啼いてわたしも一人
  捨てきれない荷物の重さまへうしろ
  どうしようもないわたしが歩いている
  風の中おのれを責めつつ歩く

 
 松岡正剛が千夜千冊「山頭火句集」の中で・・・

 修行僧としては当然の行脚だが、どうも山頭火のそれは一途な行脚とちがっていた。味取観音堂でじっとしていられない。寂しくて寂しくて、それで旅に出る。そうすると寂しいことが動いていく。その動きが見える。いや、見えるときがある。寂しさというものが山や道のどこかで、ふうっと動く。それを句に仕立て、また行乞をする。
 山頭火はそこで「途上、がくねんとして我にかえる」ということを知った。そうであれば、それが最善だとおもうようになっていった。山頭火はそこを「空に飛ぶ」とも言っていた。「空」は色即是空の「空」で、「飛ぶ」はおそらくは「遊化」であろう。
と評している。

 長沼隆代作の和紙人形(山頭火ふるさと館)

遊化 (ゆけ) は遊行教化という仏語。心にまかせて自由自在に振る舞うこと、遊戯 (ゆげ) に通じる。

 「遊化三昧」とは、楽しい事、苦しい事、嬉しい事、悲しい事、迷う、悩む、出来上がる、壊れる、成功した、失敗した・・・ 世の中に起こる全ての出来事を遊んでしまいましょう、という意味でポジティブ教化に使われます。〝遊〟の字が垣間見えたあたりで少し〝遊歩〟にも近づいてきたでしょうか。
 俳句は、言葉というより映像です。私にとって山頭火の自由律句は、体感のビジュアル化そのものです。彼の想いや意味とは違っていたとしても、私が感じていることを私の一歩に上手くのっかってくれます。本当は行く先をちゃんと指し示してくれる一本道が歩きやすいのですが、敢えて山あり谷あり、曲がりくねったルートファインディングに挑んで不安な一人歩きに四苦八苦している。そんな時にポッと目の前に長い一本道が現れると・・・
  まつすぐな道でさみしい 
 などと、本当はホッとしているのだが、強がってそういう句を当てはめる。ホタル調査で夜通し歩いて、沢で飛び石に足をかけようとしたとき・・・
  うしろから月のかげする水をわたる
 少し肌寒いが、木漏れ陽の草むらで横になって休憩する・・・
  石を枕に秋の空ゆく
 尾根を伝っていると突然しぐれて、雨に打たれた・・・
  あの雲がおとした雨にぬれてゐる
 浮石や枯葉に足をすくわれて転倒したとき・・・
  すべつてころんで山がひつそり
 などなど、私の〝歩き〟一歩一歩の肌触りを見事にビジュアルにしてくれます。

   水音といつしよに里へ下りて来た
  山から山がのぞいて梅雨晴れ
  人生即遍路
  このみちをたどるほかない草のふかくも 
  道がなくなり落葉しようとしてゐる

 厳しい漂泊の旅を一段落させようと、50歳の時、小郡(現山口市)にて其中庵をむすんで、自足の生活へ入り「孤高自ら持して、寂然として独死する」と願い庵居生活を始めます。が、独坐も長くつづかず、寂しさのゆえか、動かぬ心を動かすためなのか、また旅に出ることとなり、旅先で病を得てその旅にも頓挫してしまいます。気が塞いだのでしょうか、庵居にてカルモチン(睡眠薬)による自殺未遂。
 ついにはこの庵居を捨てて、死に場所を求めるような流浪の旅に出ていきます。やはり、山頭火を生き生きさせるのは、やはり旅なのでしょう。自分らしい句を追い求め、コロリと逝くことを願いながら面目躍如たる〝歩き〟の中に身を置きます。57歳の時、近代俳句のメッカといわれていた四国・松山を訪れ、その地で最後の庵をむすび、終活というべき一代句集「草木塔」を出版します。「若うして死をいそぎたまへる╱母上の霊前に╱本書を供へまつる」との扉書きには、山頭火が喪失したウィルダネスを偲んでいるような印象をいだきます。

  歩かない日はさみしい
 飲まない日はさみしい
 作らない日はさみしい
 ひとりでゐることはさみしいけれど、
 ひとりであるき、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない。

 本来の愚に帰ろう、そしてその愚を守ろうと、遊化三昧の果てに山頭火は、昭和15年(58歳)松山の一草庵にてコロリ往生を遂げました。辞世の句とされるのが・・・

 もりもり盛りあがる雲へあゆむ

うまれた家はあとかたもないほうたる(生家跡の碑に置かれた酒)
うまれた家はあとかたもないほうたる(生家跡の碑に置かれた酒・分け入っても分け入っても青い山)

〝遊歩〟とは〝私自身に向かう旅立ち〟なのだろうと、ぼんやり意識できるようになるまで、私自身、なぜ六甲の山々に魅了されているのか、放浪に近いような歩きを続けているのか、しばらくの間は不明なものでした。そういう時に出会った山頭火の流浪の〝歩き〟は〝独り歩き〟の何たるかを良しにつけ悪しきにつけ教えてくれるものでした。

 分け入っても分け入っても青い山(草木塔より)

 この句が、やはり私の〝遊歩〟の全てを突き詰めています。説明もなにも不要です。文字通りそのまんまです。これを体感として味わえることは素晴らしいことだと思います。幸せなことだとも言えます。六甲山を分け入るようにさ迷う歩く中で〝青い山〟を見ることが出来たことは、終生の喜びで心底感謝するところです。そして、そんな遊歩の明け暮れの中で、うっすらと私は〝青い山〟の頂きから峰々に長く長く伸びた、自らの影を追い掛けていることに気がつきはじめました。「失われた私の影との出会い」これは、もちろん神秘的な現象ではありませんし、ことさら詩的に飾って言っている訳でもありません。六甲山というステージで〝青い山〟を見出したことは、「見失っていた私と再会」に大いに役立ちました。まだまだ、これから旅は続く訳ですが、右往左往はもうありません。〝遊化〟の一歩を一歩を刻んでいくばかりです。

※種田山頭火の略歴・足跡は「山頭火アルバム」(春陽堂:発行、村上護:責任編集)を参照させていただきました。
※写真の長沼隆代氏作の和紙人形は「山頭火ふるさと館」にて展示中のものです。機会がございましたらお立ち寄りの上、ぜひ実物をご覧ください。漂泊の俳人が見事に和紙の中によみがえっていました。

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長沼隆代作の和紙人形(山頭火ふるさと館)「雨ふるふるさとははだしであるく」
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遊歩のススメ・第1話(なぜ歩くのか?)はこちらから

※歩かない人のための歩きレクチャー読本

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〝遊歩〟ハイキンググッズ10選・トイレ編

※その2、出したものは全て持ち帰る?

●読本9:自分の一歩、己の居場所(地図・コンパス・GPS)

スマホとGPS機器
GPSが歩きを変質させていくのか?

 地図(マップ)を取り上げるのは、「遊歩ハイキング必携グッズ10選」の中で、と思っていましたが、やはりこのテーマは、単なる技術話しでは終わらないようですので、読本として取り上げてみたいと思います。

迷い歩きとルートファインディング・読図

 インスタやツイッターで#登山#山歩きの流し読みをしてみると、まあ何と!写真もそうですが、スマートでクールな遊歩ファッション、グッズで身を包んだ山男・山ガールが次から次へ出てきますね。初心者の集まりで街中ファッションのジーンズやスタジャンで山歩きしていた初期の遊歩会などの時代と比べると隔世の感があります。同様に、GPS時代に突入した現代では、地図読みに関しても大きく様変わりしています。
 活動が始まった頃は、当然ながらGPSやスマホなどはありませんでしたから、地図とコンパスによる何百年もの続いてきた伝統的なアナログ方式による〝読図〟地図読みを会得することになりました。こればかりは、ラフなファッションのようにおざなりにはできません。〝一人で歩けないものは、皆とも歩けない〟というセオリーが出来つつあった頃で、山中にて一人なったとしても行動できるようにと、皆さんには真剣に取り組むようお願いしました。実はこの〝地図を読む〟というスキルには、遊歩を支える基本的な技術であると同時に、人としての〝歩き〟の姿勢を決定する大切なものが反映されることにもなります。
 もともと地図遊びが好きだった私は、この〝ルートファインディング〟にのめり込みました。「アレレ、どこを歩いていいるのだろう?」「こんな所に着いてしまった」などという〝迷い歩き〟が好きでした。その迷いの不思議感と、それを解き明かしていくプロセスが、何ともいえないミステリー感覚にあふれてて興奮するところです。会でも、ルートファインディングそのものを楽しむという企画をよく催しました。目的地を決める。それが頂き(ピーク)なら、そこに通じるいくつかの尾根や沢があります。その中から自分たちのルートを決めて辿っていきます。ピークに突き上げる本谷ルートの沢筋を使う場合ならば、途中いくつもの支谷に遭遇します。そこで読図力が試されることになりますし、迷って枝谷にもぐり込んだ時のルート回復もその力が活きてきます。そうやって読図ができるようになって、さまよい歩きにも慣れると白地図でも、自由にルートファインディングを楽しむことができます。

 当初は初心者ばかりでしたので、地図に一般的なルートが赤い線で描かれたルート地図(昭文社・山と高原地図 No.51)を使うことにしました。六甲山エアリアマップは、赤松滋さん(当時)が調査執筆されていました。後にご縁をいただいて、遊歩に関するさまざまな助言をいただいたり、一緒に歩く機会などもいただきました。氏の著書からも、多くの含蓄あるお言葉を拝借することになります。その一つに、
迷うことを潔しとし、道を見ず、地形を見てそこから道を案ずることを試みている」続けて、
この道は谷へ通じていく、尾根へ上って行きそうだと、先に思いを巡らせて足もとの道を選ぶようになった。単に道標を目安に右へ左へと分岐を選ぶのではなく、遠くまで視野を広げ、地形を意識していれば、たとえ道をはずれてかけても気がつくのが早い。また、どこで何故はずれたかが分かる」 
〝迷い歩き〟から始まった私には、この的を得た一文に大納得。さっそく「迷うことを潔しとす」が座右の銘になりました。この文脈をよく頭に留めいただいて、〝読図・ルートファインディング〟の話を先に進めましょう。

山頂近い山並み風景

アナログ地図とGPSアプリ

 読図の基本は〝目的地と自分現在地を知る〟というとてもシンプルなものです。しかし、これが案外と難しい。アナログなら、地図とコンパスで、方位角を探りながら、また、等高線の微妙なつまり具合やカーブを、3次元の頭の中でイメージに再生・再現させながら、周囲の地形と照らし合わせて自分の現在地と目的地を探っていきます。特にガスなどで視界を失うと情報量は激減します。これらの経験を幾度も積みかさねて、地形を読み取る感覚を養っていくしかありません。根気のいる作業でもあります。渡り鳥や野生のケモノが持っているような方向感覚を本能的に目覚めさせていくような作業なのかもしれません。私たち人間にもそういう本来的な力に迫っていくような体験をすることも、遊歩ではとても貴重なものになります。
 しかし、GPS・スマホ時代になると一変します。ポンッとタップすると「予定ルートから何メートル○方向に外れています」と一瞬に教えてくれます。最近のスマホは耐寒性にもさほど問題がないようです。アプリの性能は米軍レベル並みの機能性をもっているようです。以下は、GPS推奨派のサイトから引用させていただいたコメントです。

■GPSなんか使うから読図が身に付かないのだ
 という反GPS派の意見に対して、
それは逆だと、GPS推奨派はこう答えています。
「読図できない人が紙の地図なんか見たって自分の位置は分からないでしょう。地形を読むのも慣れていないと難しい。GPSは『地形と地図に慣れるまでの先生』になってくれ、読図の先生がいないと出来なかったことが人間以上の精度で可能になる」 

■GPSなんかに頼ったら登山がつまらなくなる。という指摘には、
 紙の地図を読んで地形を味わいながら歩くのは、それはそれで楽しいものです。でも山の楽しみは一つだけではありません。読図は普通、手段であり目的ではありません。読図が目的の登山があってもいいでしょうが、そうでない登山もあります。読図が趣味の人が道迷い遭難なんてなかなか起こさないのでしょうが、万一があります。万一のために保険としてGPSやスマホを持ち、正しい使い方を覚えるのはリスクヘッジとしては必要なことだと考えています。道に迷って遭難した時に『GPSを持たずに山に入るなんて非常識です!』と言われる時代が必ず来ます。と、スマホにGPSアプリを詰めて山へ行くのがマナーになると断言されています。

 私からはこのご意見を、一つの提言として受け止めておきましょうとしか言えません。しかし、何かしっくりしない。違和感を感じるのも確かです。この提言に賛同した人の「紙情報と有視界に拘っているのは、日本の山屋ぐらいでは無いかと思います」というコメントもあった。この人の言によれば、私もやはり、日本のアナログ派の山屋の部類に入ってしまうのかなと思ったりします。
 道迷いが死に直結しやすい高山や冬山には縁のうすい低山派の私においては、ほぼほぼGPSアプリ使うことはないのですし、道迷いが一つの楽しみ、味わいになっている六甲山エリアでは、全く無用のものです。(最近は地図も持っていかない)もちろん迷うのが嫌!という方も多いでしょうし、GPSアプリをどのように有効利用するのかは、各人の対応に任せれば良いと思いますが、『GPSを持たずに山に入るなんて非常識です!』と面と向って言われれば、とても困惑してしまいます。

木に巻かれた赤テープ
匿名的な存在のような赤いテープ

救われる?惑わされる? 赤テープは道しるべ?

 もう一つルートファインディングに関していえば、山道の木々に巻きつけられた〝赤テープ〟に言及しなければいけないでしょう。
 背を超えるヤブの中で、大海原の漂流者のごとく方向を失ったものにとって、パッと目に入った赤テープは、救世主の導くともしびのように映るだろうし、いく先々にこれ見よがしにベタベタ貼り付けられたテープは、でしゃばり者の余計なお節介モノのように映る。
 六甲山を歩き始めた頃、この赤テープに惑わされて、こっぴどい目にあったことが度々あります。テープを追っていくと、とんでもないところに連れていかれたのです。通常のルートではない、どこかのサークルが自分たちのイベント用のルートに設置して、そのまま外さずに放置していたのかもしれませんが、それならせめてテープに使用目的を書き込んでおけよと、妙に腹立たしくなりましたが、同時に「なぜ、自分で判断しなかったのか」と、それを追っかけていた自分の不甲斐なさに対しても呆れてしまう。
 この〝赤テープ表示〟コース上にある道標とちがって、意味も目的も不明なものが多く、煩わしく感じ始めて、ついにはこれは〝単なるゴミ〟ではないのか?と、不要なテープを剥がしていくようになった。しかし、それはそれで、独断でしょうと会内でも異論がでて、それならばと、阪神間の六甲山をフィールドにしていると思われる各山岳会、大学サークル、官公庁、団体・個人の岳人などへアンケート調査をお願いして、その意見をいただくことになりました。この〝赤テープ問題〟の詳細はここでは割愛させてください。(この調査の集計・結果報告はPDF化できれば、掲載させていただきます)
 先の赤松滋氏にも「テーピング」と題した一文を報告書にいただきましたが、これも次回の報告書にて紹介させてください。報告書のまとめにある次の一文にて、全体的な論調をご推察くださいませ。
「現在、六甲山におけるルート表示は煩雑で、見苦しい状態であり、本来の意味も失われているものが多い。部分的に必要なテープを除いて、現存している一時的意味合いのテープ表示は、撤去すべきだろう」

赤テープなるもの、実は六甲山以上に、僕たち社会のまわりにもベタべタ貼られている

 同じく報告書にある私の投稿に・・・、
「山での出来事を山で、都会での生活はそこで済ましてしまうと言うのでは、何故、人は山と都会を行き来するのかという問いに答えることができなくなる。(中略)ベタベタと貼られたそのお節介な赤テープのおかげで、行く道を惑わされることもある。しかし、考えてみると赤テープなるもの、実は六甲山以上に、僕たちの社会のまわりにもベタべタ貼られていることに気付くだろう。幼少期は何の疑念もなく、親たちが付けてくれた赤テープを頼りにヨタヨタと辿っていき、反抗期ともなると、それらを無視して逆の方向へと進んだしたりする。思春期に入ると、周囲の煩雑たる赤テープの氾濫に頭を悩ませることになる。「大学?」「就職?」「ああしろ」「こうだろう」あまりのプレッシャーで社会への適応に自信を失うこともある。しかし、ややもすると自分を見失いがちになる時に、「こう考えたら? そう生きたら?」と生活や人生の指針となるべき赤テープとも出会うことも大いにあるのだ。
 このように僕たちの人生にとっても赤テープ(情報)の選択が大事でもあるのだが、テープの正体をよく掴まないまま、それを追っかけて進む悪癖が身についてしまうと、それを順に辿って、自分がどこに居て、どこを歩いているのかが不明のまま、次の赤テープだけを探すような生き方・歩き方に陥ってしまうこともあるだろう。

 ここでもう一度、赤松滋氏の「迷うことを潔しとす」という文脈を思い出しながら、GPSアプリの話に戻ります。氏の一文を、

「迷うことを潔しとし、与えられた指針を見ず、広く社会を見てそこから進路を考えよう。この生き方はこうなるだろう。このやり方はあのようになるだろうと、先に思いを巡らせて足もとから進路を選ぶようになった。目の前の規範だけを目安に右か左かと選択するのではなく、遠くまで視野を広げ、社会や人間関係を意識していれば、たとえ進む道をはずれてかけても気がつくのが早い。また、どこで何故はずれたかが分かるはずだ」というように読み直すことができます。

 スマホをタップしたら、地図の上にすでに予定のルートが既に表示されており、自分の人形がそのコースに乗っている。線上ならOK。外れていればコースに戻れば良いだけです。まさに簡単!わが現在地がバーチャルに表示されます。しかしながら、この赤テープを追っかけているような作業の中で、何かしら大切なものが欠けているような気がするのは私だけでしょうか?
 GPSはリスク回避には最適なグッズです。山の歩き方、楽しみ方も様々ですが、同時にリスクに対する考え方も多様だと思います。安全が第一だとは思いません。安全第一を求める人は山に入らないことが一番です。私は、読図によって自身の一歩が深化していくものと信じています。その自分を支えている一歩一歩を確かめるために山を歩きます。道とは〝身〟〝地〟だと聞いたことがあります。己と大地のコンタクトの場所です。踏み出した一歩に自分を感じて、わが居場所を確かめます。その連続が〝遊歩〟だと銘じています。その大切な一歩と現在地を、GPSに委ねてしまうのはもったいない限りです。個人的には、二次的装備に留めておきたいと思います。(スマホは持っていないけど)

 ちなみにバックパッカーのコリン・フレッチャー師、遊歩大全〝ルートファイディング〟の項目で、「ルートファイディングをするために、地図なしで出かけたり、概略図だけしか持たずに行くことがある」と記している。地図は、あればとても便利だ。というスタンスのようだ。さすが〝遊歩の達人〟ただしコンパスは必携にしている。

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キンドル出版におきまして、
山端ぼう:著つたなき遊歩・ブラインドウォーカー」が出版されました。定価¥500

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遊歩のススメ・第1話(なぜ歩くのか?)はこちらから

※歩かない人のための歩きレクチャー読本
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〝遊歩〟ハイキンググッズ10選・トイレ編

※その2、出したものは全て持ち帰る?

・ミステリー小説「つたなき遊歩」出版までの道のり

自分の影を追うようなストーリー
 自分の影を追っかけたような人生ストーリー

すいません、まずお詫びからです。今回は〝遊歩〟以前のお話しで、愚痴とそれが高じた、とんでもない愚案?妙案?を語ることになります。〝え?遊歩〟じゃないのならと思われた方は、速攻スルーしてください。

70歳を越えてからの仕事探しは、困難極まりない。平凡なスキルや前歴は大した役には立たない。

 ハローワークで70歳と入力して「バイト・パート」で求人を検索すると、返ってくる求人票の多くは、よくて60歳か5年延長雇用がある企業だ。60、65歳以上はダメですとはっきりと書けない建前があるゆえに、条件欄は「年齢不問」となっている。10社余ほどに応募をしてみたが全て不採用になった。(もちろん歳だけのことではないだろうが、多くは年齢的にはじかれた)
 そんな中でも、期間限定や時間制限のあるパートで70歳以上OKの求人がたまにある。「健康な方なら年齢不問」これぞ本当のシニア活力、人材再発掘の国の施策に沿うものなのだろうが、在住する地域(10〜15万の地方都市)では、職種が、警備・交通整理か清掃か、もしくは悪名高い介護に限られがちです。(悪名とは腰痛という職業病である)別にそういう仕事が嫌いではないが「高齢者にはキツイですよ」といわれ、すでに腰痛・膝痛のある私の選択肢から消えた。他の職種においても大なり小なりだろう。実際に今、勤めているバイトでは、一見、体力はなくても勤まるように思えたが、炎天下、風雨、極寒となれば、自分の体力で果たして継続していけるだろうかと自信がもてない。まあ、ぜいたくは言っておれないがこれが「人生100歳時代」の現実なのです。

定年前後の〝やってはいけない〟」(郡山史郎氏・著)の本帯にあったキャッチコピーは納得するものです。
・雇用延長で働く
・資格・勉強に時間とお金をつかう
・過去の人脈を探す


 これらみんなに バツがつけられている。ご本人もソニーの取締役を退任後の再就職の苦労したことから、自信のあったビジネススキルや前職のキャリヤが役に立たなかったこととをつづられている。そんなエリートビジネスマンでも苦労する70歳からの就職ですが、よほど希少な、特殊なスキルでない限りは、思惑通りには進まないようです。
 私の場合も同様で、凡庸な経験とスキルだけではハードルを超えられませんでした。はやり自分の中にある商品性を見つけ出すことしかありません。それが、そこそこの価値を持つコンテンツになるまで、何とかバイトで食いつなぐというのが目下の残されたか細い道筋と観念しています。DTP技術や画像処理という自負できていたスキルでも、進化スピードの速いこの時代にあっては、もう若い人には勝てるものではありません。ここはやはり、馬鹿みたいになって六甲山を歩き回っていた頃から、今に至るまで自分を支え続けてくれた〝遊歩〟というものに特化して、それをコンテンツ化するしかないだろうと思ってのチャレンジです。

第三の青春から第四の青春へ、前を向いた終活。


 自分自身にある、また、あったストーリーをコンテンツ化するために、新しいブログを立ち上げ、自伝的小説の執筆にもかかりました。この作業は、就活と同時に終活でもあります。人生の終わりを飾るものであり、終焉をソフトランディングさせるための作業と折り重なるものです。まず手をつけたのが、私自身の足跡を子ども達に残しておく。それも具体的な事実をつなげたものでなく、今まで生きてきた心気やプライド、拙くはあってもその想いを何らか分かってもらえるようにしておきたい。そして、自分を亡くした後の事後処理も混乱しないようエンディングメッセージとして、そこに書き込んでおくことにしました。
 旧ブログのタイトルが〝第三の青春〟でしたので、新ブログ「遊歩のススメ」も、〝第四の青春〟という位置つけで、決して後ろ向きな終活だけにはならないよう戒めている次第です。
 書き起こした自伝をミステリー仕立てにして一本の小説にまとめてみました。出来上がった後、すぐに、すばる新人賞の応募が目についたので〝もしかして〟と期待を込めて投稿しましましたが、案の定、第一次審査で見事に落選、いわゆる下読みで落とされた訳です。これが自分のもつコンテンツの現実的な価値なんだろうと、恨む前に現状認識を改めることになりました。小説家になる気はありませんが、確かにスキル的には無理があったようです。ブログ記事は数をこなしましたが、小説となれば別物です。書いている途中でも自分の表現能力の低さ、語彙の劣化や時代遅れのキーワードにイラつきました。齢70の限界なのでしょう。
 どの世界でもトップレベルなると、そのコンテンツに関わるところで非常に価値が急上昇します。世のムーブメントを起こすようなものでは、驚異的な価値を持つ訳です。「パイナップル アッポー」などがそんな極端な例です。そこまでいくと〝山を当てる〟ギャンブル的世界ですが、自分の落選を機に(実はもっと以前から)考えていたことがメラメラと、ふつふつと湧き上がってきました。

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自分のコンテンツ化、自身に商品化できるものがあるか?

 その〝アイデア〟というのは、「自身が持ちえているコンテンツの最適化」というものです。これが何モノかと言えば、前述した、ちょっとした芸が数億円の価値を産んだり、確かに素晴らしい芸術や人に無い才能に対して、数十億円とかの価値が付加されることがあります。現在の商業システムでは当然なことでしょうが、その反面「逆もあるでしょう?」という訴えです。
 世に出ていない多くの市井の人たち、その人々の中にもコンテンツとして売れるものがあるんじゃないだろうか。いや全ての人にあるはずです。特に焦点を当てたいのは、日々の生活に困っている人たち、心理・精神面で追い詰められているとかでなく、単純にお金の問題で苦労している人です。一番みぢかで見る・聞くパターンは、年金が少なく、なおかつ働けない高齢者です。(私の場合も近い)行政的な支援を受けるまでのことはないが、生活はギリギリ(本当は足りない)というカテゴリーで、あと数万円、2〜3万円でもあれば、どれだけ暮らしに一息つけるのに、という人や所帯が多くある。
 若い人なら働く場は、その気になって探せばガンバれる。働いても、まだ苦しいという人たちにも、自分たちが作ったものや見つけたものをコンテンツ化する手立て、フリマやネット販売などの手立てを使うこともできるが、そういうスキルや環境をもたない高齢者には、なかなか売れるようなコンテンツを自分の周りから探し出して商品化するのは難しい。

 ここでちょっと極端な例で誤解をうむのを承知で、例として〝自伝〟というもので考えてみましょう。これは誰もが必ず一つ持っている人生というストーリーです。これをコンテンツ化して価値をつけ売買するシステムがあれば、どうでしょうか? 但し、誤解がないように念をおしますが、その人が必死になって生きてきた人生そのものを評価しようという不遜なものではありません。それは、全く意味のないことです。ここでは、自分が生きてきたことを事実関係などにあまりとらわれずに、自分が生きてきた想いやプライドをストーリーにするだけです。波乱万丈もあれば、通り一遍の人生もあるでしょう。そんなことは問題ではありません。(見かけはどうあろうと、各自の中ではそれぞれに様々なものがうず巻いていたことを他人が推し量れるものではありません)結果的にそれがフィクションであっても良い訳です。そのお話しというコンテンツに価値をつけるだけです。

札束舞う山頂
何かコンテンツ化できるものがあるはずだ。

富の差を縮め コンテンツの価値の分散を

 素晴らしい文章で、感動や共感を生むようなものであれば、価値が上がりますし、ヘタな文章で平凡なものであれば価値は下がります。それは、そういう仕組みだと割り切りましょう。ここで何百万円というような価値を得られた方は、今ある現実のシステムでも十分評価されるでしょう。このシステムで大切なことは、現状でのシステムで「ゼロ」と評価されるものに、「ゼロでないプラスα」を見いだすことです。
「このおばあちゃんのストーリー、平凡でヘタくそだけど、20円で買っちゃう」的なプラスαです。実際、現状世界では、おそらく「ゼロ」でしかないものが「20円」になるとこです。あとは、このように評価した人たちが、100人、200人と「いいね!」するように集積されれば、それなりの金額がおばあちゃんに入ってくることになります。インスタグラムの〝人生ストーリー版〟みたいなものです。現実の商業システムでも価値がつきそうなものは、すぐに卒業してもらいます。おばあちゃんに良い書き手のお孫さんでもいれば、もっと高い値がつくかもしれません。人が持っているものをコンテンツ化するサポートシステムも構築していかなければなりません。
 これは、絵でも、書でも、手芸でも、生花でも何でも良い訳で、自分がもてるスキルを使ってできたもの。その作品にだれもが気軽に値をつけていくのです。売りたいけれど売れないし、売る場がない。自分の作品を大切に手元に置いておきたいという人も多いでしょうが、日々の暮らしのために糧に替えたいと思われている方もいるでしょう。困窮者の救いにもなれば言うことはありません。
 FBのマーク・ザッカーバーグみたいなイノベーターを待つか、各方面の賛同者を探してコツコツ拡げていくか、夢のようなシステムではありますが、貧富の差もさりながら、極端な〝価値の差〟をもう少し考えるべき時代だと思います。いくら素晴らしく、この世で無二の才能と言っても、たかが一個の人間の仕業です。一人で数百億円とか数百億ドルをもっててどうするものか。その価値を支えている無数の人たちが持っているコンテンツにも価値を分散させていくことが、これからの社会としても、文化としても求められることだと思います。みなさんいかがお考えでしょうか?

 このシステムの実現の前に、自分ストーリーに500円の価値をつけて、キンドル(KDP)システムに乗せてみました。一昔前なら、数百万かけて印刷本で自費出版という手順でしたが、幸いなことに、WEBの凡庸なスキルを持ち合わせていたこともあって、他人のサポート借りることなく、経費ゼロ円で出版することができました。後はどれほど読んでもらえるか、下駄を預けるばかりです。
(作ったが売れない。通り相場なんでしょう。誰かプロモーションできる方、ぜひ、ご協力くださいませ。)

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〝遊歩〟ハイキンググッズ10選・トイレ編

※その2、出したものは全て持ち帰る

●読本8:一人歩くときほど孤独より遠い

真田ケ岳620.7m (山口県)
真田ケ岳620.7m (山口県)

ひとりいる時こそ、もっとも孤独からへだたった世界である。 (エドワード・ギボン)

 この名言も、フレッチャー師の「遊歩大全」より拝借いたしました。
上巻・付録2にある「瞑想的ウォーカーのための名言集」に収録されていたギボンの言葉です。東西の哲学者・文学者・詩人・科学者・政治家・偉人、広範囲にわたる先人たちの言葉から〝ウォーキング〟の根っこに連なっていくような金言・妙言を集めたものですが、どの言葉にも、心に響くような共感があったり、深く納得するものあって「なるほど」と膝をうったりします。この撰集からでも、フレッチャーの〝深化した歩き〟〝解放された歩き〟をたっぷりと感じることができます。
一人いるときほど孤独より遠い」この言葉には、誰しもが思い当たることがある筈です。独り自分だけの時間の中でひたっている時のあの充足感です。一人でコーヒーを飲んでいる、音楽を聴いている、景色を眺めている。何かに心を預けたまま己が解放されている状態でしょうか。それはうら寂しい孤立感とは、ほど遠いものです。逆に、大勢の人に囲まれていても、にぎやかにコミュニケーションをとっているような時でも、フト自分が見えなくなって、時には激しい孤独感に襲われることがあります。
 ギボンは独り歩いているときに感じたのか、それとも書斎で物思いにふけっているときに、このような一人の世界を味わっていたものか不明ですが、コリン・フレッチャーにとっては、広大なウィルダネスの砂漠地帯を粛々と歩いている時に、または、漆黒の闇の中で、チラチラと揺れるキャンプの火を独り見つめている時に、ヒシヒシと感じていた至福の境地であったことは間違いのないことでしょう。
 孤独感とか孤立感は、自立を意識しはじめた思春期において、何かと心を騒めかせ、悩ませるものです。私の場合もそうですが、大勢の人に囲まれて中で感じる孤独感にどう対処していこうかと思い迷うことがありました。いわゆる社会的孤独というやつです。今の時代では「私はどうあれば良いのだろう」とあがきながらSNSの大海をさまよっている人も多いと聞きます。これを上手く乗り越えていけるかどうかで、その人の将来に大きい影響もたらすことになります。次のような(心理学的)対比からみていきましょう。(※青年期における孤独感の構造 落合良行 著を参照)    

1、孤独をどう見るのか(自己の存在の仕方)

ひとりでいることを紛らわしたい孤独とは人間の真の姿だ
ひとりだと思うと不安で怖いひとりということに優越感を感じる
孤独とは悪魔だ孤独とは人間の真の姿だ

2、共感についての感じ方 

他人は私を理解してくれない私を理解する人は何人かいる。
私の悩みを分かる人はいない悩みを分かってくれる人はどこかにいる。
イラスト by 四万十川洞安

 左は、マイナス思考の人、右はプラス思考の人だと考えれば、よく対比が見えます。要は、孤独に苛まれたくない、逆に、孤独愛にも溺れたくないと、考えるなら〝プラス思考〟で生きていけば良いのですが、これがなかなかに難しい。スイッチを切り替えるように簡単にいくものではありません。
 独りでいるときの快い孤独感、頭ではそういうのもアリだな、と思っても若いうちは、それがどんなものかが掴みにくいものです。「私はひとりきりだ〜」体の奥底から湧き上がってくる、その充足感というものをしっかと受け止める、というのは、禅坊主のような一種の悟りの感覚に近いものだから、若い人から〝その感じ、よ〜く分かります〟といわれても、「ホント〜?」と何かしっくりとは納得ができないところがあります。そう言うと年寄りの不遜と思われてしまうかもしれませんが・・・

孤独とは人間の真の姿だ

 言葉を絞ってみると、ひとつは「孤独とは人間の真の姿だ」というところでしょう。決して孤独は悪魔ではなく、それを踏まえて生きていくことが、社会性にもつながっていきます。人は争いや不幸があったり、病気や挫折、トラブルにあったりしながら、少しづつ〝孤独=真の姿〟をかい間みながら歳を経ていきます。中には、若いうちから本能的に〝孤独=真の姿〟を嗅ぎとっているような人もいるでしょう。
もう一つは〝独り〟だということを自分のどこで受け止めているのだろうかという点にあります。小理屈や座学という観念ではなく、身体、目や耳、手足や皮膚など自身の身体で体感できていなかったのか、体幹の芯までとどくような経験に欠けていたのかもしれません。観念的というか感傷的な甘ちゃんのまま、そういうチャンスや体験を齢30半ばまで持ち得なかって、それからの反撥が、突然の山狂いにつながったのでしょう。〝山を歩く〟という身体性を通すことで、しっかりと孤独と向き合うこと中年になってから、せっせとやり直したものと思います。 

防長百名山・大高神山 647.2m(山口県)からの日の出

 生きるということは所詮、自然との格闘です。それを抜きに他人や社会との格闘はありえません。土・水・風・雨・木々・花・草・石・岩・星・虫たちと交感し、自然とトコトンやりあって、それを自分の体でしっかり受け止めていくことが欠けていた、もしくは充分でなかったのでしょう。〝真の姿である孤独〟を求めて、いい大人が、あてどもなく山中をさまよい、ひとり谷奥で蛇やイノシシに怯えながらキャンプし、冬の山上でテントなしで夜をあかしたり、水も食べ物も持たずに樹林にこもったりしながら、子供の時のような体験を通して自然なるものと格闘していた訳です。〝自然に向う〟ことで多くの生きる知恵や元気を授かりました。自然と対決しているのではなく、自然に包まれていることも学びました。そういうところでも六甲山は父であり母だったのだろうと感謝している次第です。
 男の冒険譚? おとこのロマン? 〝孤独〟のおはなしは女性陣からは、「ただのお遊びでしょ」と、冷たくスルーされるのがオチですが、もともと女性の方が本質的に、孤独な存在だと思われます。そうでないとあの深い母性と共生・共感能力は持ちえないのだと、甘ちゃんの私としては、確信しつつ、冒頭の言葉を男性陣にむけて贈りたいと思います。

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山端ぼう:著つたなき遊歩・ブラインドウォーカー」が出版されました。定価¥500

遊歩大全をバイブルとして六甲山を巡り歩いた老いた遊歩人とブラインドサイト(盲視)という不思議な能力をもつ全盲の青年とが、巻き起こすミステリアスな物語です。 続きは・・・

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〝遊歩〟ハイキンググッズ10選・トイレ編

※その2、出したものは全て持ち帰る

〝遊歩〟ハイキンググッズ10選・トイレ編

トイレのルールとマナー
愉快な話ではないが、上品ぶってあいまいにすることでもない

 日帰りのウォーキング(ワンディ・ハイク)では、装備、テクニック両面とも、それほどの難問は登場してこない。必要と思ったものは全部ポケットに詰めこめばいいのだし、腰か肩に小さなポーチをつければ、その中にいろいろ詰められるから、いっそう便利になる。必要と思いながらも残していかなければならないものが出てきても、心配はいらない。なんといっても、その日のうちに家に帰りつけられるのだから。(コリン・フレッチャー著、遊歩大全より)

 山歩きでのオススメ品を紹介していますが、元々〝装備をはじめ、歩き方とは、もともと主観的なものだ〟というスタンスで話が始まっていますので、結局は「自分で必要だと思うものを持って行こう」というところがベースとなります。「その1、ライト編」にフレッチャーの言葉を借りて、ワンディ・ハイクの装備品(スマホを含めて)全般のことを書いておきましたので、途中ページから入られた方は、そちらから目を通していただけましたら仕合わせます。

その2、今回のオススメのトイレグッズは・・・

 ハイキング、山登りにおいて、トイレの話は決して楽しいものではありませんが、これに対してはよく準備をして、現場でも適切に対応しなければ、楽しいはずのウォーキングに少なからず水をさしてしまうことになります。周囲に素晴らしい風景が広がり、ずっぷりとその世界に身を浸しておきたいそんな時に、次のトイレポイントのことばかり気にして歩くのはオススメできません。勿体無い限りです。また、前の日から水分補給を控えるとか、喉が渇いても我慢するとかいうのは論外です。熱中症や高山病に関わってくることですから、適切に水分は摂って歩きたいものです。コーヒー好きなら、山上でいただく一杯は、味もさりながら達成感を飲み干すような、下界では味わえない〝至福の一杯〟です。こんな贅沢をトイレごときで我慢するのも悲しいことです。
 特にこの問題、ご婦人たちにはわずらわしい話のようです。「ようです」と言ってしまうように、私ら(男)には、そこに気を配らなければと思いつつも、切実さに欠けて、うまくサポートできなかったことも多々あるようです。(女性リーダーなどがよく対策しているとは思いますが)コースリーダーは最低限、事前にトイレポイントをよく調べて、ポイントまでの時間をよく説明しておくこととが大切です。
 男の私が具体的にこうしようとか言っても説得力はないでしょう。最近、急増している山ガールたちに、そのあたりの事情をうかがうのが最適だと思います。このキーワードでググれば、いろんな対処法が紹介されていますので、それをその人なりに、予定のコース状態に合わせて活用してください。その中で、目に留まった対処法をいくつかここでも紹介しておきます。

〈ハイドレーションシステム〉
 バックパック内の水筒からチューブを使っての水分補給法です。専用品もあり、それに対応したバックパックもありますが、手作りでも簡単に作れそうです。いちいちバックパックから取り出すことが不要で、行動性が高くなります。水分補給のポイントは、体に吸収される分を効果よく摂取することです。一気にペットボトル半分程を飲み干したところで、その水分の多くは尿の方に回ってしまいます。喉が渇く前に、口内を潤すほどの水分をじわっと、舐めるように頻繁に摂っていれば、吸収率は良いし、必要以上に水分補給を我慢することないでしょう。こいつは掃除が面倒なことと、ボトルを持って「残りこれだけか」という目視が出来ませんので、水の残量が把握しにくくなるので、そこは要注意です。

お花摘み〉
 喉が渇いた状態が続くのは避けましょう。普通に水分を摂って歩くに越したことはありません。大概は汗となって放出されますので、下界にいる時よりは尿意も少なくなります。それでもトイレチャンスはいくつか必要でしょうが、その時に施設がなかったり、使えなかったりする場合も少なからずあるでしょう。そういう時は〝お花摘み〟に行くしかありません。まあ、あまり気にせず、さら〜と済ませるようになるのも、遊歩スキルというところです。が、なかなか、そういう風に馴染めない人も多いでしょう。
 レジャーシートや傘(ツェルトでも)で隠せば、急な人目があっても大丈夫とかの提案もよく聞く。まあ一般的なやり方なのでしょうが、今一つスマートさに欠けるような気もします。ここは一番ポンチョがオススメでしょう。簡便で自然な感じがよいし、さりげなく羽織れば、それが周囲への暗黙の合図にもなります。携帯トイレや処理袋がセットになった防災用のポンチョもありますが、今頃では雨具のポンチョもファッション性の高いものが出回っていますので、気に入ったものを一つザックのサイドポケットに入れておきましょう。もちろんのこと雨具としても便利です。
 お花摘みでの注意点は、安全の確保です。トイレに気を取られて集中できず、その時に起きる事故や怪我も少なからず起こっています。中には携帯電話も含めて一切の荷物を仲間に預けて、藪の奥に入っていってしまい戻れなくなったという話もあります。その他、蛇やムシにも要注意です。山慣れてないメンバーであれば、経験者が花摘み場をチェックしてあげるのも必要なことです。
 しかし、隠れるところのない稜線や草原で、しかも大きい方が催してきた。などということもあるかもしれない。お腹の調子によってはあっても不思議じゃありませんが、この時は男性でも切羽詰まるでしょう。そこまでのことを心配される方には、ポンチョとセットで、やはり携帯トイレを用意しておきましょう。一つ200〜300円のもので十分でしょう。日常生活でも役に立つことがあるモノです。

★アウトドアカルチャー『A kimama』にイラストレーターの鈴木みきさんの〝用足し風景〟が紹介されいます。

 食べる・飲む・出すの最初の2つは楽しくプランニングしますが、出す方は、ついつい消極的で、その場限りの対処で終わってしまいがちです。自然のエリアに踏み込んでいるので、自然とうまく融和して、自然に処していきたいものです。個々の工夫はその人にお任せするにしても、マナーとかエチケットは共有すべき大切な課題です。これは、山に限らずその人の生き方・ライフスタイルに関わるものだと言ってもよいでしょう。

自分の出したものは全て持ち帰る

ネコ式トイレ法

 自然と多すぎる訪問者が生み出している環境問題にも、様々な論議があると思います。私自身は、無責任と思われるでしょうが、特にそういう議論に積極的に組みするつもりはありません。個人的な基本ルールは「全て持ち帰る」「現状保全」という2点です。「尿も便も持って帰っていたか?」
という問いに答える前に、ここでも師匠のフレッチャーに登場してもらいましょう。

トイレの問題は決して愉快な話ではないが、キャンパーたるものはだれでも、あまり上品ぶってあいまいにしておくことなく、他のキャンパーのためにもオープンな気持ちで考えることが必要だと思う。(遊歩大全 596頁)

と述べて、トイレの対処法を数ページ割いてあれこれ説明しています。彼の個人的セオリーは〝ネコ式トイレ法〟(cat sanitation)です。ネコのやるような方法をていねいに実践するのです。まあ、穴を掘って埋めるということなのですが、少なくとも10〜15cm、好ましいのは15〜20cmと、その穴の深さまで細かく指定しています。(場所も水系から最低は15m、理想は150mは離れたところで)使った紙はモノの上で燃やして、ハエの侵入を防ぎ、すぐに土を被せる。穴は深すぎるとダメだとも書いています。昆虫やバクテリア、菌類などが活発に働けない深い不毛地質まで掘ってしまったら意味がないとのことです。つまりこれは、有効な分解サイクルを確保するための方法なのです。分解しにくい土質であったり、多人数の場合は、石灰や消毒剤も持っていくべきだとも言っています。
 私の家も、上下水道共にないところに建てたものですから、井戸水と庭に埋め込んだ浄化槽によって下水を処理しています。その仕組みを自然のフィールドでもやりましょうということです。
 過剰が問題を引きおこす点を踏まえて、何が過剰でどこまでが過剰でないのか、判断のいるところですが、その線引きをするにはやはり、自然をよく見つめて、自然の仕組みをよく勉強しておかなければいけないということでしょうか。自然フィールドには野生の動物がくらしており、彼らも排泄をしていますが、バランスを崩すものではありません。いっときに同じ場所に過剰に集まってくると、その場所に環境の負荷がかかって、保全が崩れてくるのです。北米の広大なナショナルフォレストの中で、幾人かのキャンパーが入ったところで、そうそうバランスが崩れるものとは思いませんが、自然への細心の思いやりは必要不可欠です。

 私も毎朝夕、犬の散歩で土手道や田舎のあぜ道を使わせてもらいます。最近のペットブームでワンちゃんたちもずいぶんと増えてきました。土手道の草むらで一匹がマーキングすると、次から次にくるワンちゃんも同じ場所にマーキングしていきます。さすがにそんな風になると、草といえども悲鳴をあげて枯れてくる場合があります。尿の塩分や窒素で、木や芝も枯れることがあります。
 自然のバランスは案外とナイーブなものです。ワンちゃんには申し訳ないのですが、マーキングの後には水をかけなければなりません。少し話がズレたようですが、私がよく歩いている日本のしっけた腐葉土たっぷりの山路では、それほど厳密なネコ式トイレ方はいらないでしょう。しかも、ほとんどハイカーとも出会わないような過疎のところですから、〝出たもの〟を持って帰るという信条が、なかなか実践できておりません。しかしながら、人が集中して、環境に大きな負荷がかかっている山岳・高原では〝出たものは全て持ち帰る〟ことがセオリーとなっていくようです。既にそういう方向に向かっているエリアもありましょうし、実践されている方も多くいます。今では簡便で清潔な簡易トイレもよく普及しています。生ゴミを持ち帰るようになったように〝わが便り〟を持ちかえることなども当然のマナーになるのもそう時間はかからないでしょう。