・ミステリー小説「つたなき遊歩」出版までの道のり

自分の影を追うようなストーリー
 自分の影を追っかけたような人生ストーリー

すいません、まずお詫びからです。今回は〝遊歩〟以前のお話しで、愚痴とそれが高じた、とんでもない愚案?妙案?を語ることになります。〝え?遊歩〟じゃないのならと思われた方は、速攻スルーしてください。

70歳を越えてからの仕事探しは、困難極まりない。平凡なスキルや前歴は大した役には立たない。

 ハローワークで70歳と入力して「バイト・パート」で求人を検索すると、返ってくる求人票の多くは、よくて60歳か5年延長雇用がある企業だ。60、65歳以上はダメですとはっきりと書けない建前があるゆえに、条件欄は「年齢不問」となっている。10社余ほどに応募をしてみたが全て不採用になった。(もちろん歳だけのことではないだろうが、多くは年齢的にはじかれた)
 そんな中でも、期間限定や時間制限のあるパートで70歳以上OKの求人がたまにある。「健康な方なら年齢不問」これぞ本当のシニア活力、人材再発掘の国の施策に沿うものなのだろうが、在住する地域(10〜15万の地方都市)では、職種が、警備・交通整理か清掃か、もしくは悪名高い介護に限られがちです。(悪名とは腰痛という職業病である)別にそういう仕事が嫌いではないが「高齢者にはキツイですよ」といわれ、すでに腰痛・膝痛のある私の選択肢から消えた。他の職種においても大なり小なりだろう。実際に今、勤めているバイトでは、一見、体力はなくても勤まるように思えたが、炎天下、風雨、極寒となれば、自分の体力で果たして継続していけるだろうかと自信がもてない。まあ、ぜいたくは言っておれないがこれが「人生100歳時代」の現実なのです。

定年前後の〝やってはいけない〟」(郡山史郎氏・著)の本帯にあったキャッチコピーは納得するものです。
・雇用延長で働く
・資格・勉強に時間とお金をつかう
・過去の人脈を探す


 これらみんなに バツがつけられている。ご本人もソニーの取締役を退任後の再就職の苦労したことから、自信のあったビジネススキルや前職のキャリヤが役に立たなかったこととをつづられている。そんなエリートビジネスマンでも苦労する70歳からの就職ですが、よほど希少な、特殊なスキルでない限りは、思惑通りには進まないようです。
 私の場合も同様で、凡庸な経験とスキルだけではハードルを超えられませんでした。はやり自分の中にある商品性を見つけ出すことしかありません。それが、そこそこの価値を持つコンテンツになるまで、何とかバイトで食いつなぐというのが目下の残されたか細い道筋と観念しています。DTP技術や画像処理という自負できていたスキルでも、進化スピードの速いこの時代にあっては、もう若い人には勝てるものではありません。ここはやはり、馬鹿みたいになって六甲山を歩き回っていた頃から、今に至るまで自分を支え続けてくれた〝遊歩〟というものに特化して、それをコンテンツ化するしかないだろうと思ってのチャレンジです。

第三の青春から第四の青春へ、前を向いた終活。


 自分自身にある、また、あったストーリーをコンテンツ化するために、新しいブログを立ち上げ、自伝的小説の執筆にもかかりました。この作業は、就活と同時に終活でもあります。人生の終わりを飾るものであり、終焉をソフトランディングさせるための作業と折り重なるものです。まず手をつけたのが、私自身の足跡を子ども達に残しておく。それも具体的な事実をつなげたものでなく、今まで生きてきた心気やプライド、拙くはあってもその想いを何らか分かってもらえるようにしておきたい。そして、自分を亡くした後の事後処理も混乱しないようエンディングメッセージとして、そこに書き込んでおくことにしました。
 旧ブログのタイトルが〝第三の青春〟でしたので、新ブログ「遊歩のススメ」も、〝第四の青春〟という位置つけで、決して後ろ向きな終活だけにはならないよう戒めている次第です。
 書き起こした自伝をミステリー仕立てにして一本の小説にまとめてみました。出来上がった後、すぐに、すばる新人賞の応募が目についたので〝もしかして〟と期待を込めて投稿しましましたが、案の定、第一次審査で見事に落選、いわゆる下読みで落とされた訳です。これが自分のもつコンテンツの現実的な価値なんだろうと、恨む前に現状認識を改めることになりました。小説家になる気はありませんが、確かにスキル的には無理があったようです。ブログ記事は数をこなしましたが、小説となれば別物です。書いている途中でも自分の表現能力の低さ、語彙の劣化や時代遅れのキーワードにイラつきました。齢70の限界なのでしょう。
 どの世界でもトップレベルなると、そのコンテンツに関わるところで非常に価値が急上昇します。世のムーブメントを起こすようなものでは、驚異的な価値を持つ訳です。「パイナップル アッポー」などがそんな極端な例です。そこまでいくと〝山を当てる〟ギャンブル的世界ですが、自分の落選を機に(実はもっと以前から)考えていたことがメラメラと、ふつふつと湧き上がってきました。

Uアイコン お知らせ
キンドル出版にて、
山端ぼう:著つたなき遊歩・ブラインドウォーカー」を出版いたしました。定価¥500

遊歩大全をバイブルとして六甲山を巡り歩いた老いた遊歩人とブラインドサイト(盲視)という不思議な能力をもつ全盲の青年とが、巻き起こすミステリアスな物語です。 全山縦走路、旧摩耶観光ホテル、徳川道、ツエンティクロスなど六甲山系の各所から、穂高岳連峰を舞台に目の離させない遊歩が展開します。 続きは・・・

自分のコンテンツ化、自身に商品化できるものがあるか?

 その〝アイデア〟というのは、「自身が持ちえているコンテンツの最適化」というものです。これが何モノかと言えば、前述した、ちょっとした芸が数億円の価値を産んだり、確かに素晴らしい芸術や人に無い才能に対して、数十億円とかの価値が付加されることがあります。現在の商業システムでは当然なことでしょうが、その反面「逆もあるでしょう?」という訴えです。
 世に出ていない多くの市井の人たち、その人々の中にもコンテンツとして売れるものがあるんじゃないだろうか。いや全ての人にあるはずです。特に焦点を当てたいのは、日々の生活に困っている人たち、心理・精神面で追い詰められているとかでなく、単純にお金の問題で苦労している人です。一番みぢかで見る・聞くパターンは、年金が少なく、なおかつ働けない高齢者です。(私の場合も近い)行政的な支援を受けるまでのことはないが、生活はギリギリ(本当は足りない)というカテゴリーで、あと数万円、2〜3万円でもあれば、どれだけ暮らしに一息つけるのに、という人や所帯が多くある。
 若い人なら働く場は、その気になって探せばガンバれる。働いても、まだ苦しいという人たちにも、自分たちが作ったものや見つけたものをコンテンツ化する手立て、フリマやネット販売などの手立てを使うこともできるが、そういうスキルや環境をもたない高齢者には、なかなか売れるようなコンテンツを自分の周りから探し出して商品化するのは難しい。

 ここでちょっと極端な例で誤解をうむのを承知で、例として〝自伝〟というもので考えてみましょう。これは誰もが必ず一つ持っている人生というストーリーです。これをコンテンツ化して価値をつけ売買するシステムがあれば、どうでしょうか? 但し、誤解がないように念をおしますが、その人が必死になって生きてきた人生そのものを評価しようという不遜なものではありません。それは、全く意味のないことです。ここでは、自分が生きてきたことを事実関係などにあまりとらわれずに、自分が生きてきた想いやプライドをストーリーにするだけです。波乱万丈もあれば、通り一遍の人生もあるでしょう。そんなことは問題ではありません。(見かけはどうあろうと、各自の中ではそれぞれに様々なものがうず巻いていたことを他人が推し量れるものではありません)結果的にそれがフィクションであっても良い訳です。そのお話しというコンテンツに価値をつけるだけです。

札束舞う山頂
何かコンテンツ化できるものがあるはずだ。

富の差を縮め コンテンツの価値の分散を

 素晴らしい文章で、感動や共感を生むようなものであれば、価値が上がりますし、ヘタな文章で平凡なものであれば価値は下がります。それは、そういう仕組みだと割り切りましょう。ここで何百万円というような価値を得られた方は、今ある現実のシステムでも十分評価されるでしょう。このシステムで大切なことは、現状でのシステムで「ゼロ」と評価されるものに、「ゼロでないプラスα」を見いだすことです。
「このおばあちゃんのストーリー、平凡でヘタくそだけど、20円で買っちゃう」的なプラスαです。実際、現状世界では、おそらく「ゼロ」でしかないものが「20円」になるとこです。あとは、このように評価した人たちが、100人、200人と「いいね!」するように集積されれば、それなりの金額がおばあちゃんに入ってくることになります。インスタグラムの〝人生ストーリー版〟みたいなものです。現実の商業システムでも価値がつきそうなものは、すぐに卒業してもらいます。おばあちゃんに良い書き手のお孫さんでもいれば、もっと高い値がつくかもしれません。人が持っているものをコンテンツ化するサポートシステムも構築していかなければなりません。
 これは、絵でも、書でも、手芸でも、生花でも何でも良い訳で、自分がもてるスキルを使ってできたもの。その作品にだれもが気軽に値をつけていくのです。売りたいけれど売れないし、売る場がない。自分の作品を大切に手元に置いておきたいという人も多いでしょうが、日々の暮らしのために糧に替えたいと思われている方もいるでしょう。困窮者の救いにもなれば言うことはありません。
 FBのマーク・ザッカーバーグみたいなイノベーターを待つか、各方面の賛同者を探してコツコツ拡げていくか、夢のようなシステムではありますが、貧富の差もさりながら、極端な〝価値の差〟をもう少し考えるべき時代だと思います。いくら素晴らしく、この世で無二の才能と言っても、たかが一個の人間の仕業です。一人で数百億円とか数百億ドルをもっててどうするものか。その価値を支えている無数の人たちが持っているコンテンツにも価値を分散させていくことが、これからの社会としても、文化としても求められることだと思います。みなさんいかがお考えでしょうか?

 このシステムの実現の前に、自分ストーリーに500円の価値をつけて、キンドル(KDP)システムに乗せてみました。一昔前なら、数百万かけて印刷本で自費出版という手順でしたが、幸いなことに、WEBの凡庸なスキルを持ち合わせていたこともあって、他人のサポート借りることなく、経費ゼロ円で出版することができました。後はどれほど読んでもらえるか、下駄を預けるばかりです。
(作ったが売れない。通り相場なんでしょう。誰かプロモーションできる方、ぜひ、ご協力くださいませ。)

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〝遊歩〟ハイキンググッズ10選・トイレ編

※その2、出したものは全て持ち帰る

山笑う、山滴る、山装う、山眠る

 このカテゴリーは、日本原産種の山芋・自然薯(自然生)生産団体に携わっていた頃の記事を中心に、折々のイベント、古き文人たちと山芋の関わりなどを歳時記風に記したものを集めています。

春山淡冶にして笑うが如し
夏山蒼翠にして滴るが如し
秋山明浄にして粧ふが如し
冬山惨淡として眠るが如し

春山淡冶にして笑うが如し

 山滴る季節、御縁の皆様方におかれましては・・・、と時候の挨拶にも使われる「山滴る」は俳句の季語でもあります。この言葉は中国、北宋(960年~1127年)の山水画家・郭煕の言葉で、「四時山」という漢詩が原典のようです。
日本では、正岡子規が初めて俳句に用いて夏の季語として使われるようになったとも言われています。因みに「山笑う」「山装う」「山眠る」もそれぞれ春、秋、冬の季語になっています。
 山を巡りその四季の風情を追い求める輩にとって、これほど簡潔でぴったりな言い表しには全く脱帽するところで、山の幸「自然薯(自然生)」にとっても、これはまさしく自らのフィールドを言い得て妙と納得するに違いありません。
 早春、地中で眠っていた山芋も、山面の萌えた感じ、淡冶(たんに)さに微笑んで、地上へ芽を押し上げて来きます。そして、この頃(夏)となれば、草木の瑞々しさが辺り一面に滴り、たっぷりの陽光を求めてツルを精一杯に伸ばし、葉を茂らし始めます。

夏山蒼翠にして滴るが如し


 そして、多くの植物がそうであるように、山芋たちも秋に向けて花を咲かせて実を付けます。その装いの秋になってからようやく地下では、芋部が太ってきます。冬への準備が始まるのです。たっぷり夏秋のエネルギーを栄養として蓄えます。
 太古より、人為的な栄養がない山中の腐葉土で育ってきたじねんじょう山芋は、栽培の畑でも同じく人為的な栄養や、有機でもあってもその栄養過剰を嫌います。水と光と空気というシンプルな三要素で、肥料なしでも逞しく育つのが本来の姿です。その野生の元気さが、外来のひ弱な野菜たちと違う所でしょうか。
 そして、準備を終えた山芋たちは、ツルを自ら切って地中で長い冬を眠って過ごすのですが、この当りで人間様やイノシシが都合良く登場して、その豊かな恵みをいただいてしまう訳です。ところが山掘り人もイノシシも心得たものです。ちゃんと春には芽が出るよう首部を残しておく知恵があります。
 イノシシの食い残し、ガリガリ齧られ傷ついた芋からでも、腐らず春には芽を出します。その元気さこそ、今日よく言われる健康機能性の素がぎっしり凝縮されている由縁なのでしょう。実に有難い植物です。

秋山明浄にして粧ふが如し
冬山惨淡として眠るが如し

 

■山芋人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
小説「坊ちゃん」の正体・・・(弘中又一)
小説「吾輩は猫である」自然薯の値打ち(夏目漱石)
零余子蔓 滝のごとくにかかりけり(高浜虚子)
貴族・宮廷食「芋粥」って?(芥川龍之介)

貴族・宮廷食「芋粥」って?芥川龍之介

▲芥川龍之介と再現された「芋粥」

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 じぃさんが高野山の坊主だったせいもあって、「芋粥」と言えば、白粥にサツマイモを入れた粥を宿坊でよく喰わされたのを思い出す。(わたしは大好きやった)
てなこともあって、芥川龍之介「芋粥」って何なん?と、話が出た時も、子供の頃に寺でよく食べた、粗食の象徴のような坊主粥のイメージが真っ先に浮かんだ。

 しかし乍ら、原典となった平安時代の「今昔物語」の某五位(しがない中年役人)と山芋粥にまつわるお話では、いささか事情が違ってくる。この話の舞台は、サツモイモ(唐芋)が、大陸から列島にやってくる何百年も前の時代で、しかも、宮廷の超グルメコースの〆を飾る「珍味・佳味」の代表食・宮廷粥として登場してくますので、坊主の修行食の粥とは〝天と地〟ほど差のある別世界の代物です。

 芋は、大量生産が可能なサツマイモと違い、当時から〝珍味・佳味〟と重用された希少な天然の山芋(自然薯)を使用、それを刻んで、当時においてはこれまた貴重な甘味料であった甘葛(アマヅラ)で煮込んだものが、「万丈の君にも献上された」といわれる超高級スイーツ「イ・モ・ガ・ユ」である。坊主粥とは月とスッポンほどのステイタス差、さもありなん。

 何と!この幻の珍菓を再現した方が居る!?と驚くほどのことでもない。鎌倉時代の料理書『厨事類記』にもレシピが紹介されています。山芋を薄く切って、甘い汁でさっと煮るだけ、天然山芋やアマヅラらしき物もネットで仕入れる事ができる時代だし、腕の立つ調理人でなくても、料理下手の野郎でも雪平鍋さえあれば簡単に作れる代物です。 
 アマチャヅル葉のお茶を煮詰めたり、米飴や蜂蜜を代用したり、メープルシロップを使ったり、アマズラの代りにいろいろと甘味料を使って工夫はできるのものの、やはりそれぞれの甘さのもつ香り・風味は微妙に違うだろうし、自生の山芋がもつ野生的な山の風味とのマッチングを想像するに、やはり本物の「芋粥」を味わうには、これまた「アマヅラ」をその時代のやり方で再現するしかないでしょうがこれがまた大変な作業です。

 アマヅラはツタの樹液を煮詰めてシロップ状にした甘味料だそうだが、カエデの樹皮を傷つけて、そこから流れでる樹液を自然に集めることが出来るメープルシロップと違って、ツタから「みせん」と呼ばれる樹液はそう簡単ではありません。この液を抽出するために棒状に切ったツタの枝の片方を口でくわえ、息を吹き込むと反対側からじわっと液のしずくがこぼれてきます。この樹液の「みせん」を鍋一杯に集めるのに大変な労力が要るのです。一人でフーフー頑張っても何日かかるか分からない。そしてこの集めた「みせん」をシロップ状に煮詰めてしまうと、わずか何十分の1の量にちじこんでしまう。(現代では生産性から考えて商品化は無理)
 この古代の貴重な甘味料「アマヅラ」の再現を試みた公開実験(奈良女子大)をネットで発見、大変さの詳細はこちらで

芋粥、食うべきか喰わざるべきか?

 話を小説「芋粥」に戻して・・・。

 才覚もなければ風采もあがらない、しがない中年の下級役人の五位の侍、日ごろ同僚からも馬鹿にされ、道で遊ぶ子供に罵られても笑ってごまかす、情けない日常を送っている。しかし、そんな彼にも、ひそかに持っているある夢がある。それが「芋粥を、いつか飽きるほど食べる!」というもの。
 ある集まりの際にふとその夢をつぶやき、その望みを耳にした藤原利仁が、「ならば私が、あきるほどご馳走しましょう」と申し出る。五位は戸惑いながらその申し出に応じ、利仁の館へ赴き、そこで用意された、大鍋に一杯の大量の芋粥を実際に目にして、五位はなぜか食欲が失せてしまうというストーリー。

 手の届かない時は羨望していたものが、いざ手の届く場所にきてしまうと、とたんに興味が薄れてしまう・・・。芥川によって軽妙に描かれたこの人間心理のカラクリ、現代においてもこの「幸福感・幸福観」はなんか胸をつくものですね。 

◼︎写真拝借/芋粥を作ってみた(アラフォーおひとり様DE漫遊記)

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■新ブログ・文人たちに見る〝遊歩〟(2021年追記)
解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
世界と通じ合うための一歩一歩(アルチュール・ランボオ
バックパッカー芭蕉・おくのほそ道にみる〝遊歩〟(松尾芭蕉)

秋山明浄にして粧ふが如し(むかご編)

▲山芋の蔓にぶら下がる子実・零余子(むかご)

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  秋山明浄にして粧ふが如し

 俳句での季語は「むかご」が中秋九月、「山芋」は晩秋十月となっていますが、実際のところは「むかご」は十月、「山芋」では十一月以降が収穫の最盛期となります。今回はこの「零余子(むかご・ぬかご)」についての四方山話を。

 山中だけでなく緑地や公園等などと案外と身近なところでも目にしている「むかご」ですが、風にあおられり、採ろうとするとポロリと落ちて藪や草むらにあっという間にきえてしまうとところから「幻の山菜」とも呼ばれています。本年は、秋が深まってから立て続けに台風が上陸しそうだというので、あたふたと収穫を急いだ農家さんも居たのではないでしょうか。
元々、収穫に手間取るところから作物というより、むかご飯など農家の賄い用に使うのがほとんどで、直売所にチラッと顔を出すことがあっても、一般の市場には出回ることがありませんでした。
 
 最近、料理研究家の枝元なほみさんが「チームむかご」を結成されて、この「むかご」を一般流通食材として、世に送り出そうと農家の方々を巻き込んだプロジェクトを発足。「むかご市場」などのユニークな活動を始められ、最近はやや認知度がアップしてきたようです。この零余子ですが古くから身近な山の幸として親しまれていたようで、多くの俳人・歌人に謳われています。江戸期を代表する俳諧たちの句にも夫々に登場しています。

 きくの露落て拾へばぬかごかな 芭蕉
 うれしさの箕にあまりたるむかご哉 蕪村
 汁鍋にゆさぶり落すぬか子哉 一茶

 明治に入って創作性を追求した正岡子規をはじめ、個人の生き生きした感性を謳歌する近代俳句が隆盛をきわめますが、その子規から門下生、大正・昭和にわたる数多くの俳人や物書き達の句にも表情豊かに「むかご」は登場しています。

 ほろほろとぬかごこぼるる垣根哉 子規
 黄葉して隠れ現る零余子哉 虚子
 野分あとの腹あたためむぬかご汁 石鼎
 零餘子もぐ笠紐ながき風情かな 蛇笏
 瓢箪に先きだち落つる零餘子かな 蛇笏
 笊のそこにすこしたまれる零余子かな 風生
 八千草のあさきにひろふ零余子かな 青畝

 中でも女流俳人の句には女性ならではのきめ細かい情感が感じられます。

 ぬかご拾ふ子よ父の事知る知らず かな女
 拾ひたむ庵の零余子や昨日今日 淡路女
 みがかれて櫃の古さよむかご飯 久女


 また、小説家の句にも顔を出しています。やはり彼の時代には、生活の身近な処に「零余子」が居てごく自然なモノとして親しまれていたようです。

 手一合零余子貰ふや秋の風 龍之介
 雨傘のこぼるる垣のむかごかな 犀星

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■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
小説「坊ちゃん」の正体・・・(弘中又一)
零余子蔓 滝のごとくにかかりけり(高浜虚子)
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「山うなぎ」食べること自体が仏道の実践である!?

自然薯のとろろで作る精進うなぎの蒲焼き

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 日本食がなぜ世界的に認められるのか?

 日本食が世界遺産に登録されこの誇らしい文化が、世界的にますます普及しつつあるのは嬉しい限りです。東洋の小さな島国の「食」が普遍的な評価をうける訳は、その長寿国の基となった健康食であることもさりながら、根幹の一つにある精進料理の精神性も大きい。

 精進料理の中に「もどき料理」がある。「雁もどき」はその典型的なレシピ名。精進うなぎ(山芋の蒲焼き)も同様で、山芋を摺りおろしたとろろを、皮に模した海苔にのせて揚げたり、焼いたりするとうなぎの蒲焼きに〝姿も味わいもよく似たもどき料理〟が簡単に出来上がります。〝自然薯など上質の山芋〟だと、味付けらしい味付けをしない、摺り下ろしただけの〝生とろろ〟からでも、それらしい風味・食感を堪能できます。山うなぎと言われるだけに当然ながら栄養価も高い。
 
 精進料理といえば、茶道の形に則した懐石料理と永平寺で道元が確立した禅の料理などが代表的ですが、共に奥深いというか、洗練が極まって単なる食文化にとどまらず芸術・哲学の領域へと高められている。絶妙たる日本文化の誇るべきところです。
1970年代に気鋭の料理人ボキューズたちが産み出した新しいフランス料理、世界中に爆発的に広まった「ヌーベル・キュイジーヌ」には、精進料理である懐石料理の多くのコンセプトが取り入れられています。

 和の伝統食が菜食中心の健康食という点だけに注目を浴びているのではなく、料理をすること、食べること自体が仏道の実践であるという禅の教えに暗に共感を与えている所も大きいでしょう。
 多様化、複雑化、情報化する現代生活でありますが、生き物として食材と向き合い、生命を同化する。考えればこれが生活の第一義である。グルメとか贅沢志向とかではなく、ピュアに食べ物と向き合い、シンプルに頂戴するのが精進の第一歩なのでしょう。と言っても、多くの凡人はついぞ肉っけについ惹かれてしまいます。”もどき”は煩悩のなせる愛すべきレシピなのです。

追加記事
 この記事を書いた翌朝(今朝)ニューヨークで「ゼン バーガー」という肉の代わりに大豆を使ったハンバーガーが大人気で大行列が出来ているニュースを見ました。アメリカ版もどき料理です。”ゼン”はもちろん”禅”のことです。

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■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
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周南まちづくりコンテスト最優秀賞を受賞!

 報告がおくれましたが、今月3日、徳山大学にて行われました「周南まちづくりコンテスト2013」一般の部最優秀賞の栄誉をいただき、その受賞式に参加してまいりました。
(※詳細は、徳山大学・地域連携センターのホームページをご覧下さい)

嘘のようなホントの話し「ブチノミクス」で元気再生!

 今回、最優秀賞をいただきました「地域通貨 [Buchi] で周南の元気再生! 」はこのブログでも昨年に紹介しました道の駅でのプランの一つで、より具体的なイメージを添えて今回再提出したものです。ずばり周南版アベノミクスで「ブチノミクス」と命名させていただきました。
 まずは、当日のプレゼンで使いましたテキストを紹介させて下さい。イラストで紹介した循環図とプランの内容はA4で4ページにまとめたPDF(少し重い)にてご覧頂けましたら仕合せます。

  ●◯●◯● プレゼンテキスト ●◯ ●◯●

 フェイスブックの「地域通貨について考えるページ」でも紹介されていますように 日本のお金「円」は造幣局で作られます。その印刷されたお金を、日銀が買い取るんですが、この日銀は実は一私業です。たしか資本金は1億円で従業員は5000人足らずのまあ株式会社みたいなものです。
(所有資産が他の会社と違って、100兆円を有に超えていますが。当然ですよね。)

 その日銀が 1万円札も、5千円札も、千円札も、ほぼ(印刷実費の)1枚20円で買い取り、それを額面の金額で日本政府に貸し出します。1万円札の場合、元手20円ですから利益は9,980円でなおかつ貸し付けですから利息も取ります。こんな濡れ手に泡のようなビジネスが許されると思いますか?あまりにも美味しい話しです。

 しかし、このリアルマネーに対抗して、ここ周南市でやろうというのが、「ブチノミクス」という嘘のようなプランです。

 ★このからくり(流通システム)の詳細は、資料・循環図.PDFを参考にして下さい。

 資料の中にある中期目標が上記の数字です。これはドイツ・バイエルン地方で、流通している地域通貨キームガウアーの2008年度の流通規模を「ブチ」に置き換えた数字です。ちなみにこのキームガウアーは地元高校の先生と生徒で2003年に立ち上げたものです。
 5年でこの規模、(運用益2000万円)に成長したことを考えると、決して周南市でも不可能なことではありません。地域通貨としては世界的に見ても大きな成功例の一つと言えるでしょう。
 財政危機で、ユーロが回らなくなったギリシャでは「テム」という地域通貨が脚光を浴びています。まだまだエリアは限られていますが、ユーロが無くても生活できる地域が生まれつつあります。

 また逆に失敗例も沢山あります。特に国内では、いろんな運用例がありますが、ほとんどは、まだまだ試行、実験という段階で、地域通貨のもつ素晴らしいプラス面が発揮された成功例にはまだ至っておりません。

今でしょ!地域通貨が必要なのは!

 日本でなぜ地域通貨が成功しないのか?その要因の一つには、現在の円というリアル通貨で然程「困っていないから」という指摘もあります。
 しかし、現実はグローバルな経済がどんどん進行して、予定されるTPPのような環境を考えると、これから果たして日本の地方社会、里山社会がどれだけ先細りせずに生き残っていけるのか? このまま手をこまねいていては厳しいものがあると思います。
 地域が自力で生き抜いていくには、地域の在り方をもう一度深く考え直す必要があります。その意識を全市民的に喚起させていく為にも「地域通貨」の取組みは絶好だと考えて、提案させていただきました。
 ご清聴ありがとうございます。(当日プレゼンテキストより)

【補記】詳しいプランの内容紹介や反響等は追而掲載させていただきます。

●周南ツーリズム:関連ログ
 005:精神の健全性に繋がるヘルスツーリズム
 005:第2回ゆの浴衣まつり、魅力ある観光地の再建・強化がなるか?
 004:シビックプライドを支える山々
 003. 周南エコツーリズム基盤整備と宣言
 002. エコツーリズムの起点
 001. 従来型のイベントを打破できるか!「ゆの浴衣まつり」
 000. 道の駅・パブリックコメントに参加して…

●道の駅:関連ログ
 周南市は誰のために道の駅を作るのか?
 個人ブランド米 コレクションで売れるか!
 「地域通貨 Buchi」こども達が地域経済を押し上げる?
 新産業のイノベーション基地「ワッショイ周南」
 周南の未来を切り拓く道の駅
 周南デザイン最終稿「新たなる道標」
 周南デザイン4、周南アイデンティティを生み出す「道の駅」を創ろう!
 周南デザイン3、シビック プライド in 周南?
 周南デザイン2、イメージとスペース
 周南デザイン1、プライドとブランド
 周南市西部道の駅・見直し検討会?
 周南市PR映画・第一部が完成