・デジャヴの遊歩・かさなる私(布引の滝〜市ケ原)

布引渓谷からツエンティクロス
布引渓谷からツエンティクロス

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 久しぶりに六甲山を歩きました。
 六甲山系には、北側には神戸電鉄が、南麓に近いところには阪急電車、山陽電車などが通じていますが、その駅のほとんどに背山への登山口が通じています。芦屋川駅からは、表銀座コースといわれるロックガーデンや魚屋道(ととやみち)を辿って最高峰から有馬という人気コースが有名。六甲駅駅からは摩耶山周辺の尾根道や谷道へと足をのばすことができます。長田や須磨の方からの登り口も、それこそ山の数に合わせたほどあるでしょう。もう一つ人気ルートを束ねる登山口が、新幹線・新神戸駅の直下にあります。ホームを降りてコンコースを出るとすぐに、布引の滝で有名な渓谷の入口があって、ここからいきなり沢歩きや尾根歩きコースが楽しめます。
 那智の滝、華厳の滝と比べると少し知名度が低いですが、布引の滝は〝三大神滝〟の一つに選ばれています。この滝に打たれ、六甲の峰々を斗藪(修行)の舞台とした修験者・役小角(えんのおづね)が開いという滝勝寺(現・徳光院)が滝のすぐ東にあります。
 この滝を左に見ながら、渓谷を詰めてくと、谷が少し開けて中世のヨーロッパ風の要塞を思わすような石積みのダムが目の前に現れます。日本最古の大型コンクリートダムで、明治から大正期には、世界中の船乗りたちが垂涎したというKOBEウォーターを湛えています。さらにダムを登ってダム湖のふちを辿っていくと、市ケ原に到着します。ここには朝から早朝登山の愛好家が集ういくつかの茶店があって、朝食をとったり輪投げに興じたりしています。再度山からの沢も合流しており河原も広がり、シーズンは飯盒炊さんやキャンプで賑わいます。この辺りまで滝から1時間足らず数キロの山径は、子供の頃から親しんだなじみの深い沢道です。
 六甲遊歩会で遊歩を始めてからも、このルートを起点に摩耶山や再度山、森林植物園へとよく足を伸ばしました。そのルートを辿っていく時に、たびたび不思議な既視感に見舞われることが多々ありました。デジャブっていうやつでしょうか。今までの遊歩体験の中にも節目節目・折々に現れてくる現象です。現象としては、まま日常的にも良くあるような軽い錯覚のようなものなのですが、六甲遊歩においては重要なキーワードとなる現象です。大仰な言い方をすれば、この既視感に私の六甲遊歩の原点のひとつがあるといって過言ではありません。

かつての私と これからの私

 子供の頃から歩き続けきたルートといっても、夏休みや春休みに近所の遊び友達や家族と今でいうデイキャンプを楽しんだ程度で、早朝登山のように毎日のように歩いていたという訳ではないのですが、この布引道は目をつぶっていても歩けるような感覚があります。自分の身体のリズムや感覚と周囲の情景が、何の違和感もなく一体化したお気に入りのルートなのです。
段差にある岩や河原の飛び石の、その形や表情もひとつひとつを記憶しているような感覚があります。ぐっと次の一歩を出してその足が着く直前に、そいつの表情をもう見知っていて「おおっ、お前か」ってな感じで、その岩を踏みしめるのです。枝を払ってカーブを切るときも、曲がった先の目に入ってくる風景は、予想通りの見知った景色で、今まで見ていたような感覚がダブります。汗をぬぐおうと頭を上げた時に目に入ってくる稜線や、ドーンと立ち構えている堰堤も、何度も繰り返すフォトフレームの画像のように自分が写した映像のように目の前に現れてきます。
 これはまるで、私が歩いているドキュメント映画を、自分で見ながら歩いているようで、何とも言えない臨場感で不思議な感覚に包まれます。それはデジャブというより、過去に刷り込まれた体験がフラッシュバックしているに過ぎないのだろうと思われるかも知れません。いや、そう考えるのが自然なのでしょうが、やはり、この既視感は過去の体験から来るモノだけではないのです。どうしても未来の自分を、自らの歩きを見ているようなトリッピーな感覚がつきまとわっているのです。
オカルトっぽい現象ではありませんが、そういう世界に私を誘い込んでくれる何か、時の流れという波紋を、ざわめかす何モノかがどこかに居るような気がします。「こいつは一体何者なのか?」その正体を求めて六甲中をさまようように歩き探し始めたのが、六甲遊歩・自分探しの旅そのものだったのです。今の自分というものが、それだけで在るではなく、かつての私と、これからの私が微妙に重なり合って〝命風〟をはらませながら歩みを進めているのではないでしょうか。そんな私の遊歩の出発点に導いてくれたこの布引道は、数ある多くの山野ルートの中でもなかなか巡り会えない不思議な縁のある小径だったです。
 私に限らず、誰もが必ずやこのような経験が何処かにあるのではないでしょうか。それは慌ただしい日常についつい埋没しがちですが・・・。もしそんなデジャヴな感覚におそわれた時には、ふーと一息ついて、過去から眺めている自分、遠い未来から振り返っている私とで、静かに語らうのも良いでしょうね。

市ケ原からツエンティクロスの河原

この連休、古い山仲間3人と久しぶりにテントなどを詰めたリュックを担いで、市が原まで歩きました。例のごとくデジャブ感覚も体験しました。これから先も重い荷物を背負って生きていく未来の自分の姿を垣間見た訳です。まだまだ捨てたものではありません。アゴを出しつつも、生きる力をたっぷりと彼らから注入してもらいました。
 夕闇が訪れる頃に、もう一人の後輩も遅れて到着。この面子でのキャンプは十数年ぶりになるのでしょうか?遊歩会の創立時には、大学生や、就職直後の五月病気味の彼らでしたが、今ではもうすっかり社会の中堅オジさんに・・・。こんなオジさんばかりの違和感ただようキャンプの酒盛りが始まりました。
 娯楽も少なく、レジャーといえば、海水浴か山登りの子供時代、この河原には、テントが立ちならび、子供づれのファミリーや学生、カップルの歓声で賑わっていた。そんな輝くような情景が半世紀ほど経って、今では見る影も無くすっかり寂れて、ただの山草がおおい繁る河原となっていました。でも、大都市のすぐ裏に、古い仲間と旧交をあたためることのできるこんな場があるのは感謝です。これこそ六甲山の慈愛でなくしてなんでしょうか。疲れのせいか、歳のせいかほとんど話しの内容は覚えておりませんが、気持ちよく心の洗濯が出来たことは間違いありません。お家族と大阪で合流のため未明、後輩たちを残して早立ちしました。

千の手をもつ菩薩

 翌日は一転して京都。
 幕末の志士がゴロゴロしていたような安宿にお世話になって、学生下宿時代以来の清水寺などの寺巡り。三十三間堂にも寄ってみましたが、心底から驚嘆いたしました。初めて訪れた三十三間堂でしたがいくどもいくどもデジャヴ感におそわれました。千体もの千手観音を目にして、これほどの慈悲・慈愛を形におきとどめさせようとした人々の願いも、いっそ現世では叶わないものかと・・・。この度の震災の情景が強烈によぎりました・・・

★この記事は2011年05月の投稿に追記、再編集したものです。

かつての眠っている六甲遊歩の記録ならびに資料類を、これを機にこのブログへ引っ越しさせております。資料的には古くて価値も消耗しているものと思いますが、関心のある方は、カテゴリー「資料:遊歩アーカイブの方も訪れて下さい。
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