・崩落の山岳(伯耆大山〜足立美術館)

 上:北からの大山連峰、右下:西から眺めた大山(弥山 1.729m)

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 恒例・春の連休遊歩、三瓶山〜出雲大社(h29年)、宇佐神宮〜湯布岳(h30年)と続き、令和元年は伯耆大山〜大神山神社(プラス足立美術館)と相成りました。麓にある「森の国」にて単身キャンプ(カーサイドテントで、平日とあって小生一人っきり)早朝、登山口にてY夫妻と合流。
 ヘッド右中の写真※1が西の米子方面から眺めた大山(これが私のイメージでもありました)別名・伯耆富士と呼ばれているのもうなずける端正な姿ですが、ちょっと北側に回り込んで元谷の方から見上げたのがメイン写真。ナイヤガラの瀑布を連想するような幾重もの砂走り(石走り?)が荒々しい風景です。これを早朝、スキー場のリフト越しに見上げた時には、「ええ?嘘、こんな山だったの?」美形の仮面の裏はこんなものかと新たにテンションをリセットし直しました。

伯耆大山

 昔は事細かに地形やルートを調べてから、山に取り付くようにしていましたが、近年は大雑把にルートを確認するか、登り口の案内看板の地図を見る程度で登ってしまうことが多い。一人の時は特にそうだ。映画を見るときに絶対レビューや評論を見ないのと同じで、余計な予備知識で心ゆさぶる眺望との出会いのインパクトや新鮮さが薄れるのが嫌なので、なるべく白紙で入り込むようにしている。逆にこういう情報を知っていたのなら、それをもっと意識しながら歩いた方が良かったのかな?というマイナス面もあるものの、まずは行き当たりばったりにいろんなものと遭遇しながら歩くというのがスタイルになりつつある。(面倒くさいこともあるけれど)
 今回は、久しぶりに同道者がいて現地集合ということもあって、登山口までのドライブルートはG地図のストリートビューで幾度もPCでトレースした。最近は、山道までグーグルのカメラが入っていて、たいがいの山ならバーチャルで登山道を辿れるようになっている。富士山頂のお鉢巡りなども360度のフルビューで楽々と絶景を味わえるが、調査ならいら知らず、そんなものを見てからリアルで後追いしても新鮮な喜びや楽しみが半減するだけでつまらない。
 ということで「大山(伯耆富士)」という山も一般的な印象と知識だけで挑むことにした。まあ〝標高1700mで、最高峰への縦走路は危険で事故も多い。冬季も雪が厳しい。崩落が進んでいるので登山者は石を運び上げる〟この程度が事前の予備知識だった。それと、一昨年に歩いた石見と出雲の国境にある「男三瓶山」で知った神話・国引き神話。八束水臣津野命が島根半島を海の彼方より大きな綱で引き寄せ三瓶山を西の杭として、東の杭を大山(大神山)として結びつけたというお話。そんな事などを下敷きに謎多き神々の出雲国の眺めを頂上から俯瞰できればという趣向の大山詣であった。

山上の木道、大山(弥山)山頂 1709m
山上の木道、大山(弥山)山頂 1709m

 西側の夏山コースは、ほとんどピーク(現在は弥山1709mが頂上)に向けての直登ルート、3km少しの行程で1000mほどの標高を稼がなくてはいけない。3m歩いて1m登るので斜度はきつい。登り口から崩落を少しでも防ぐために丸太の階段が敷設されている。一般的な山では斜度が緩んでいるあたりで自然のままの山道になるところが何箇所かあるのだが、ここでは結局、8合目あたりまでこの丸太階段が続いた。6合目の避難小屋あたりからは、植生も低木となり日陰がなくなった。夏場は辛いだろう。(この日も5月と思えない気温だったが)
 8合目からは、丸太階段が延々と山頂へ続く木道に変わった。木立の上を空中回廊のように地面を踏みしめることなく、浮き上がったように歩く、この足元のおぼつかない遊歩感覚は初めての体験だ。考えれば、登り始めから山頂まで、幅員2mほどのルートには、沢へ下るような脇道やお花を摘みに行くようなめぼしい踏み跡もなかった。その2mからはみ出すことが許されない不自由きわまりない山道だったと気づく。弥山の山頂碑から剣ガ峰(本来のピーク)への縦走路の稜線も立入禁止(2014年より)になっている。裏山や六甲山では、自由気ままにいろんな踏み跡を追ったり、ショートカットしたりすることもよくある。山歩きとは目的のルートを追っかけることと、そんな恣意的な判断でルートを選んでいく絡みが醍醐味なのだが、ここでは丸太階段と木道以外を歩くことは許されない。決められたルートを強いられる。だからと言ってこの山の魅力が減じるものではないが、この山体の地肌を直接に踏みしめられないのは寂しい。
 地殻の隆起や噴火で生まれた高い山が、風化によって崩落していくのは自然の摂理なのだが、山上の緑化をめざした「一木一石運動」が始まった昭和60年以前の山頂の写真をググってみると出てきた。これを見て納得、大勢の登山客に踏み荒らされたまったくの禿山状態で驚いた。現在の緑あふれる風景とは雲泥の差だ。これは自然の摂理というより人災に近い。
 裸地化して風化が激しい山頂環境をどう保全するのか、入山規制や入山禁止が手っ取り早いが、この山では崩れた石を登る者がまた持ち上げ、木を植えていくというシンプルで原理的な方法をとった訳です。時間と根気のいる活動です。お陰で山上一帯にキャラボクの群生する現在があるので「山体を直接に踏みしめられないのは寂しい」というのは的外れな所感で、ここではその活動に感謝すべきことです。
 それでも崩落は進行していて、山頂碑が東斜面へ崩れるものと予想され、現在、碑の移転も計画されて、縦走路以外にも立入禁止区域が広がっていくことも考えられます。

麓の大神山神社奥宮
大神山神社奥宮

大神山神社奥宮

大神山と大神山神社奥宮

 元谷を下ってすぐに下山路が開け、突然のように大神山神社奥宮が現れた。
 権現造りで日本最大級とも言われる社殿は、想像外の立派さで圧倒された。まあ、これほどの迫力がないと、背景の御神体である大山(大神山)と釣り合わないのだろう。しかしながら、出雲大社ばかりに気に取られて、この宮を見過ごしていたのは不覚だった。やはり事前にもっとリサーチしておくべきだったか。
 大国主大神が押し込められた出雲神社も仏教の大黒天と習合し、広く出雲信仰として民間に浸透していきましたが、ここ大己貴神を御神体とした大山でも、修験道や仏教の影響を受けて権現さんや地蔵菩薩に変容していき、大山おかげ参りとして民間の習俗となっています。もひとり神事は山頂近くの池より採られた神水で五穀豊穣を祈るものです。
 山に暮らす古代人にとって、生きていくために不可欠な水、火をおこす木、そして生命をつなぐ食べ物としての木の実、果樹や山菜、獲物などこういった自然の恵みを生み出す「山」は生命の源泉そのものなのでしょう。国造りに邁進した大己貴神(大国主大神)はその象徴として崇められました。「山」とは日本人にとって、切っても切れないものです。国土の殆どを占める山岳風土、山々こそ古くから日本人の生活を支え、私たちの精神を培ってきたと言えます。稲作が伝来したのちは、平地を求めて山を下り、里の水田で稲を作るようになったものの、山への畏敬と崇拝は衰えるどころか、山そのものを神と崇め、自らの根源を投影してきたのでしょう。まあ、そういう理屈以前に、現代人の私たちであってもこの雄大で荘厳な山容を前にしたら、はやり神々しさを感じざるを得ません。
 大山寺〜白鳳の里・ゆめの湯で露天風呂をいただいた後、米子駅へ同道者を見送ってから単身ひたすら9号線を山口へ(帰宅まで7時間半かかった)。

足立美術館

 登山の前日「庭は一幅の絵画」昨今、人気急上昇の足立美術館を訪れた。ここは、とりわけ外国人からの注視度が高いとのこと。
 一般客の入れない日の出から開館までの時間は、庭師たちのみが目撃できる息を飲むほどの幻の瞬間があるとのこと。それを記録したNHKドキュメンタリーが来館の動機。遥か彼方の山なみの自然をキープするために、ここから見える山々すべて買い取ったという壮大な日本庭園、一日ではなかなか味わいきれない。紅葉期と積雪時に再訪してみたい。日本画(大観)と陶器(魯山人)の作品も多くて、館内巡りも大変だった。ここでも決められた順路があったが、大山登山と違って、時折スルーしたり、ショートカットしながら好みのものを中心に鑑賞した。

安来市・足立美術館
安来市・足立美術館

※1-冠雪した伯耆大山の写真は「ブログ・山猿の思うこと」より拝借しました。

※この記事は2019年06月01日に投稿したものを再収録しました。

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