★このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに加筆のうえ再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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■『六甲山における赤テープ問題』
………………1985年……………… 「ルート表示用の赤テープは一体何を意味するのか?」という疑問から、六甲山をフィールドにした各山岳会、大学サークル、官公庁、団体・個人へのアンケート調査と赤テープ表示の特集記事をまとめ、BUN-BUN別冊2号として発行(9月)。
……「え~と、右は◯◯か」「左が◯◯か」 道標(社会通念)をついつい追って歩いてしまう。こんな歩きは周囲の地形(社会)を自らの内にイメージできていないから、道標がなくなった時(迷った時)に進むべき方向を失う。…… このような意味合いのことをエリアマップ「六甲山」の著者・赤松滋氏が書かれていました。この言葉がこの調査のきっかけであったことは間違いありません。 確かに山中のルート(社会)は複雑で、とくにビギナー(年少者)が迷わず歩く(生きていく)には、折々の分岐点には、正確な道標(目的の確かな選択肢)を用意しておかなければ不安です。その内に地形(社会)そのものが頭の中でイメージできるようになれば、自分が選んだ目的に向かって、遠回りであろうが、近道であろうが、自分に合ったルートを自由に選んで、歩けるようになります。これは凄い!ことです。つまりルートを失った時や迷った時(挫折した時)にもパニックにならず、進むべき方向(再出発~復興とも言いますか)を自身の中から(社会通念に惑わされず)見い出すことができるのです。
赤テープも一つの道標です。六甲山の支尾根、支谷いたる所で、まるでゴミのように巻き付けられている赤テープ、これが奥深い雪山なら生命を救う目印となるかも知れませんが、六甲山ではただ私たちを煩わせ惑わせるだけです。安易で過剰な赤テープ(過保護)は結局、ルートの選択力(人生に立ち向かう力)を育むことを疎外します。冷たい言い草ですが自然のフィールドとは厳しいものです。そういう厳しさを保全するために私たちは過剰な赤テープを撤去したいと考えます。同時に自らの内にある『赤テープ』も剥がしていきたい。
(※当時は、息巻いて赤テープを剥がしていたようで、共感より反感を買っていたようです。2010年9月)
■六甲山を見つめ直すシリーズ╱その1
六甲山に於けるテープ表示に関してのアンケート集計結果報告(昭和63年度)
当時の兵庫県山岳会、自然保護協会の関係者や六甲山ガイドブックの著者の方々などからも「赤テープ類によるルート表示」に関しまして貴重なご意見をいただきました。
の内容につきましてはPDF化が滞っていますので、とりあえず画像を掲載しておきます。しかしながら、当時の昭文社エアリアマップ「六甲山」(六甲山のハイカーが愛用するルート地図)の著者・赤松滋さんより編集部にいただいた寄稿文は含蓄ある噛みしめたい一文ですのでテキストに起こしてみました。ぜひ、一読ください。(2019年8月:追記)
■『六甲全山縦走路測量』
………………1989年3月~1989年8月………… ・計5回の巻尺を使った実測と万歩計やコンピュータ分析での距離測定。
・調査結果は『六甲山を見つめ直すシリーズ/その2』BUN-BUN別冊4号として発行。
これは大変な調査でした。この年の神戸市が主催する「市民縦走大会」の公式マップのルートを50mメジャーで実測したのですが、この馬鹿げた測量遊歩を見つめる一般ハイカーの視線を気にしつつ、50mのメジャーで1000回に近い尺取りをしたものですから…。調査結果が神戸新聞に発表されたもので、各方面から賛否両論の大反響を頂きました。
従来から六甲全山縦走路の距離は「56.4km」と記されたのが多い。(「55.0km」とか「55.4km」と紹介するガイドもある)この『56.4km』は私たちの憧憬の数字でした。そしてその数字自体に何も不満や不信感もありません。しかしながら、実測結果の距離は「45.1km」でした。 いまさら、この数字をどう私たちが受け入れるのか?この数字に一体どんな意味があるのか? その辺りは調査報告の中でも触れていますが、確かなことはここでも受難の六甲山の姿を深く痛感したことです。私たちの「内なる六甲山」は永遠に『56.4km』であることは疑う余地はありません。
■六甲山を見つめ直すシリーズ╱その3
六甲全山縦走路の距離実測報告(平成2年)
★全山縦走路の距離に関しての調査報告書は、機関紙「ぶんぶん」別冊として発行し、協力いただきました関係行政機関や六甲山の各施設・関係者に配布させていただきました。
PDF化されていません。写真にだけは撮ってみましたので、見にくいですが、関心のある方はご覧ください。
■『表六甲山におけるホタル調査』
………………1990年より開始…………現在も単発的に調査続行 ・平成2年度の調査結果はBUN-BUN別冊5号として発行。(調査は5年計画でした)
六甲山系の渓流における水質調査のケミカル調査と並行した水棲生物調査の一環として企画されたものですが、きっかけは、都会の生活からほとんど無縁になってしまった『ホタル』が果たして六甲山麓、山中に生息しているだろうか?という単純な疑問から出発したものです。しかし、短い羽化期間のホタルを広い六甲山で実際に追跡する調査は大変なことでした。
6月1日~7月21日の間、21回、計32ケ所、延べ85名での作業。暗闇の六甲山中を、居るか居ないか分からぬホタルを追い求めるのは、実に探検・冒険のようでワクワク感が先行しましたが、頭で描いていたような光の乱舞どころか、一匹の成虫をなかなかに見つけることもできず、イライラと焦る気持ちがつのっていく遊歩となりました。調査を始めて8回目に初めて「天然ホタル」を山中の河原で発見した時は、言葉にならない感動で長い時間立ちすくんでいました。それからは闇の六甲山中で点滅するか細い輝きにすっかり魅了されることになりました。
しかしながら、その見つけた「ホタル」が天然なのか、人為に放流されたものかを、合わせて調べることとなり、特殊な自然環境を形成する六甲山特有の二重の「アリバイ」調査でもありました。
■六甲山を見つめ直すシリーズ╱その3
表六甲山ホタル調査概要(計画書)とその調査報告書(平成2年度)
★ホタル調査概要(計画書)とその調査報告書は、機関紙「ぶんぶん」別冊として発行し、協力いただきました関係行政機関や六甲山の各施設・関係者に配布させていただきました。
そのデジタル(PDF)化には未だ手をつけていません。写真にだけは撮ってみましたので、見にくいですが、関心のある方はご覧ください。
■『六甲山の水質調査』
………………1990年6月~1991年4月…………・計6回、14ヶ所、延べ66名で簡単なケミカル調査(6要素)と水棲生物の観察
・各回の調査結果は会報BUN-BUNにて、その都度発表。
調査の発想は、六甲の水は美味しいか?名水はどれだけ山中に存在しているか? という単純なものでした。しかし、いままで何も気にせず飲んでいた沢の水が「ちょっと心配」になるような結果も出て、残念ながら六甲の傷の深さを痛感。
■『現代遊歩研究会の調査遊歩』
…1992年度のテーマを『六甲山における密教的風景』に選定して4回にわたる実践遊歩を実施…
・Vol.1「幻の密教伽藍をさがす~裏六甲・古寺山」……1992年2月
・Vol.2「天狗たちの姿を求めて~古の抖そう行のルートを歩く・鷲林寺~石ノ宝殿」……同年5月
・Vol.3「空海の足跡を追う~再度山・大竜寺」……同年9月
・Vol.4「山上の密教的風景を訪ねて~巨岩伝説と山岳信仰」……同年11月
このテーマはちょっと!のめり込んでしまいそうになる!ハイカーの守備範囲を大きく超えてしまいそうなので1993年に予定していた『六甲山における超古代文明』は個人的な仕事におきかえることになりました。
★以上の調査報告書は、まだデジタル化されておりません。
折々にテキストに起こしますのでそれまでお待ちください。
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★遊歩資料アーカイブの目次へ
昨年(2020年)8月に正式入会した「ともくら」こと北澤です。
ホタル調査や赤テープ、はたまた水質検査と六甲山を縦横無尽に愉しんでると感じました。
もっと早く入会して一緒に愉しみたかったです。
御免!
コメント管理をサボっていたので、今頃になってからの発見でした。
実名を隠してコメントを承認させてもらいました。
これからも遊歩会でいろんな調査遊歩を楽しめるものと思います。どしどし提案してくださいませ。
六甲山ハイカーのファッション、人気スポットランキング、特にエマージェンシーに関するデータ化など会として記録を残していくことはたくさんありそうです。
個人的には、高齢者ハイカーと六甲山の関係なども調べたいですね。
遊歩人