○資料01:〝遊歩〟とは ? (2) アート? 禅? 旅行?

山口県山口市・東鳳翩山 ( 743m) 愛犬クッキーと登頂
山口県山口市・東鳳翩山 ( 743m) 愛犬クッキーと登頂

■遊歩は動的な『禅』かもしれない?


 ここで話は千年以上昔に遡ります。中国やインドではさらに千年、二千年も古の時代なのでしょう。密教行者、修験者が自然(宇宙)の神秘を自らの身体に体得すべく、ひたすら山野を、峰々を、岩場を歩き巡りました。「瞑想」と共に重要とされたこの行は「抖そう行」と呼ばれたらしいのですが、自然の摂理、宇宙の哲理を頭だけで勉強するのではなく、険しい山林を自分の足で歩き回り、身体全体で自然や宇宙を掴みとろうとしたようです。比叡山の千日回峰、吉野山の奥駆けなどは代表的な「歩き」による修行です。
 後の禅宗では、「歩き」より「座禅」という瞑想的な方法での修行が盛んになりました。禅を勉強したわけでないので、的外れかも知れませんが、「渓声山色」自然の中を歩かなくても、我が身をして自然と悟れば、己が何処にあろうが、渓谷の音を聞き、山の色を見ることができるといいます。「歩く」という行為をも「座る」という行いの中に取り込んでしまう。この禅的修行の代表的な境地が「無心」とするならば、慌ただしい都会で、日々生活に追われている私たち凡人にはなかなか手の届かない境地だといえます。やはり、私たちに合ったそれなりのフィールドが先ず必要となるのでしょう。
 私自身たまに、いや「一人歩き」の場合には、往々にして「無心」を体験することがあります。疲れに喘いでいたり、ルートを必死で探していたり、風景に圧倒されたり、「無心」というより、「夢中」に近いかも知れませんが、全く自分が真っ白になって、自然のフィールドで踊っているような、踊らされてるような、心地のよい状態になることがあります。考えごとをしているようで、何も考えていない。何も考えていないようで、充実している。自然に対して素直で、柔軟な自分になっている時、それも「無心」の一つというなら、遊歩は立派な「動的な禅」とも言えます。

■遊歩は「アート」なのだ!?


 次にアートという切り口で「遊歩」を紹介してみましょう。
「パフォーマンスアート」という言葉がありますが、最近では、思わせぶりな行為をさして世俗的に使う場合が多いですが、本来は一つの芸術思潮で60年~70年アメリカのアーティストを中心に流行しました。簡単に言えば「アートとは作品そのものでなく、作品にいたるまでの行為こそアートなのだ」と言うことです。
 初期の遊歩会では、私を含めモダンダンスをやっていたメンバーが数人いたこともあって、「歩き」をダンス表現の一つとして考えてみようという試みがありました。まさに再現不能の一回性アート、六甲山という巨大なステージで、観客は不在のパフォーマンスでした。とは言っても踊りながら歩いた訳ではなく、草原状の東お多福山々頂でストレッチをしただけで、見かけはごく普通のハイキングとさほど変わりないものでした。しかし、これを期に「歩き」における自己の表出の可能性を深く考えることとなりました。
 1986年に「近所登山パフォーマンス」と冠して13回の遊歩を、公募でメンバーを集め実施いたしました。現在の中心的なメンバーですが、彼らのほとんどが「アートとしての歩き?」「自己の表出?」「なんのこっちゃ?」と思いつつ、戸惑いつつも六甲ハイクを楽しんでいました。
 こういう彼らに「山へ行けば、必ず自然があるとは限らない。ひらいた風景の中で、子供のように素直に心がひらかれなければ、自然と出会えないのだ…」「そして自然と出会うとき、まだ見ぬ自分を発見するだろう。自分との出会いが遊歩なのだ。」というメッセージを会誌「ぶんぶん」の中で送りつづけました。  巨大なステージの中では、作為的な個人の行いなど微々たるものでしかありません。それよりもよりステージの中に自然に、素直に溶け込み、自分を委ねてしまうことの方がいかに自分らしくなれるか。アートとは自己の表出に他ならない。そこには普通の感性や想いだけではなく、屈折したり、密かに押し込められたものもあるだろう。枠にはめられ、あふれた情報に混乱して、自分自身や自らの進む道を見失いがちな現代社会に暮らす私たちにとって、見知らぬ自分、隠された己と出会うことは大切な事です。それも「テレビ」「麻薬」「株」という現代のバブル的ツールに拠らない方法で…。
 舞踏の創始者といわれる土方 巽の言葉にも数多く「遊歩」連なるものがあります。
「舞踏とは自らの肉体と出会うことだ」「我が肉体に降りていく」
 遊歩もまさしくそうありたいものです。

■放浪、遍歴の旅~『私に向かう旅』


「遊歩とは、限りなき自己への旅立ち」…。少しずつ「遊歩」の核心に近づいてきましたが、その前に少し「遊歩」と旅、それも「放浪の」とか「遍歴の」と形容される「旅」とのかかわりを考えてみたいと思います。こういう旅に身を置いた方々は数えきれません。古から、学問にしろ、武術にしろ、宗教上の修行にしろ、また、ごく些細なきっかけにしろ、とにかくもあてどなく「歩き」始めた人のそれぞれの軌跡を追ってみるのも「遊歩」を深める大きなヒントになるかもしれません。
 現代を含めて、どの時代にも数多ある放浪の軌跡のうち「山頭火の旅」は私にはきわめて身近な軌跡に感じてなりません。
 「分け入っても分け入っても青い山」この遍歴を告げる句の前書きには「解くすべもない戸惑いを背負うて。行乞流転の旅にでた」と記されています。お堂で悠然と禅をむすんでいるだけでは己を掴まえきれなかった。とにもかくにも己を探すべく山頭火は歩き始めたのでしょう。彼にとっては確かな成算があって歩き出したのではなく、背負った戸惑いを解くために、つまり、我執にからまれ動きのとれない心を動かすために、とにかくは「歩き巡り」しかなかったのでしょう。
 「心があることにしがみついて動こうにも動けない。動けない心を動かすためには、体をうごかさなければならない。歩き続けるしかなかった。」こうゆう個的で切実で重い「歩き」をも遊歩と呼べるのだろうか、それにはためらいを感じます。あくまでも私たちにおける「遊歩」とは、個としての軌跡(単遊歩)と多くの仲間と共に描く軌跡(復遊歩)の両立を前提に考えているからです。
 しかし、個としての歩き(単遊歩)を深めて考えるなら、こういう流浪、遍歴の「歩き」が遊歩の核として

「遊歩」とは「私自身に向かう旅立ち」
 という一つのイメージが浮かんできました。こういう事をはっきりと意識できるようになったのは、私が歩きを始めてから、かなりの月日が経ってからのことです。友人には「ちょっと六甲山狂いをしています」と茶化していたものの、私自身、何故、六甲の山々に魅了されているのか、彷徨いに近いような歩き、何かに引きずられているような歩きを続けているのか、しばらくの間は不明でした。
 長い遊歩の明け暮れの中で、うっすらと私は六甲のある頂きから峰々に長く長く伸びた、自らの影を追い掛けていることに気がつきはじめました。「失われた私の影との出会い」これは、もちろん神秘的な現象ではありませんし、ことさら詩的に飾って言っている訳でもありません。
 〔中略〕
 余暇の遊歩だけでなく、仕事上にも、人間関係の上でも年相応の色々な出来事を積み重ね、私自身が、不確かではありますが、自分自身が何たる存在かを少しづつ掴め始めています。それも三十路半ばから始まった遊歩で様々な体験、都市社会だけでは味わえない、自然のフィールドの中で体験できたことが、「見失っていた私と再会」に大いに役立ちました。まだまだ。旅は続く訳ですが、迷いはもうありません。
 〔この項、長くなりそうなので、またの機会にアップデートします〕

■再び遊歩とは…


 「遊歩」の簡単な定義とすれば…アルピニズムほどフィールドが苛酷でなく、競歩のように平易でない。多くは日帰りで、たまにはキャンプ道具をかつぎ数日間、自然の起伏の中を自然からのリスクを背負って歩き廻る…こういう感じでしょうか。しかし、このカテゴリーにあてはまるものとして、低山ハイキングやワンダーフォーゲル、バックパック、トレッキングとか言われるジャンルが既にあります。しかし、確かにそれぞれは立派な「遊歩」には違いないのですが、どれをとっても私たちの「歩き」を表し尽くしている心地がしません。何かしら物足りないのです。
 私たちは有能なスポーツ選手でもなければ、アーティストでもなければ、ましてや山岳修行者でもありません。「歩き」を通して、己の恣意性を弾ましたり、自分の内の何かを表現したり、神秘的なものと出会ったりすることができます。また複数で歩くことによって、日常の社会や人間関係では整理しづらいことが、よく見えてきます。
 冒頭のC.フレッチャーは自称バックパッカーですが、著作の「遊歩大全」のサブタイトルには「Conpreted Walk」と附け加えられています。

 〔以下 略/続きは今しばらく!!〕
 以上の拙文は、機関誌「ぶんぶん」および別冊「遊歩」、入会案内の「遊歩の手引き」そして現代遊歩研究会の資料などに使ったものをまとめ直したものです。後少しでその作業も終わりそうなので、ご期待ください。(2000年12月/再掲) 
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○資料01:〝遊歩〟とは?(1)散歩? 登山? 冒険?

山口市・湯野観音岳 408m 平成30年 元日
山口市・湯野観音岳 408m 平成30年 元日

●このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)にまとめた遊歩の資料をアーカイブとして掲載しました。
(1984-1994年の間に記述・編集されたもので、ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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■ウォーキングは健全なる狂気?

 『テレビ、ヘロイン、株。ひたすらのめり込み、常習患者になりがちなこれらの楽しみに、ウォーキング、すなわち「歩く」という行為にもつながっているような気がする。だが、精神的な偏執に陥りかねないこれらの狂気の中で、「歩く」だけは少し異質だなと感じられるのは、その狂気が快いものであり、精神の健全さにつながっているからであろう。』
   (C.フレッチャー著「遊歩大全」より)

 狂ったように六甲山を歩いていた時期があった。何故、私はこの様に歩いているのか、というより何故、このように歩かされているのか?自身でもよく分からない。その不明さを解き明かすにはやはり、歩く他に手立てが無かった。というような私の初期の「ウォーキング中毒」にかかっていた時代に、上記のフレッチャーの言葉に出会った。
 すでに「歩いている」方には、何も説明もなくても、充分に理解されると思いますが、未だ「歩くことを知らない」方には、ピンとこない、実感のつかめないものだと思います。「なぜ、そんなしんどい事を?」と仰る方が大半でしょう。そういう「歩き」を放棄された方に、遊歩の素晴らしさ、愉快さ、爽快さを説明するほど厄介なことはありません。しかし、そういう方にこそ「歩き」の楽しみを素晴らしさを一番知って欲しいのです。


■散歩なのか?

「遊歩」というものをいかなる角度で切り取っても、それらの断面からはユニークな発見が期待されます。目的に縛られた移動手段の「歩行」や生活に埋没した「歩き」から少し外れたところに『散歩』というものがあります。いつの時代からかそれが、日常の歩きといささか違うものと意識されたものか、私には不明ですが、それはきっと太古の時代、人類が二足での歩行を始めた頃までさかのぼれるかも知れません。いや四足歩行の時代、つまり、犬やネコのような生活をしていた時代、彼らも、もしかしたらそうかも知れませんが、餌の収集やテリトリーの確認という目的で歩き回っているだけではなく、たまには無目的にぶらり歩いてみたいと、気ままな散歩を楽しんでいたかも知れません。
 「散歩」を遊歩の一つの断面だと見ると、果たしていつの頃から「生活歩行」と「遊的歩行」の違いを意識するようになったのだろうか?何を契機に人類は目的のための歩きではない、歩きそのものが目的の歩きをするようになったのだろうか?おそらくこの点が遊歩を解き明かす大きなファクターとなるかもしれません。
 私の勝手な想像ですが、その契機は人類が「私」というものの周囲に存在している風景なり気配なりに、大いなる畏敬を感じたところから、何かが始まっているのかも知れません。言い換えれば、「私」と「私の周囲」のバランスが微妙に崩れ始め、純な欲求のみで日々を暮らすことが許されなくなった時代から「遊歩的な歩き」が生まれたと思われます。

瀬戸内から見た山口県の山(柳井・岩国)
瀬戸内から見た山口県の山(柳井・岩国)

■競歩は歩きか?

 話はいきなり近代へ飛びますが、ヨーロッパの産業革命以降、急速な近代化の中の一つにスポーツの発展があります。スポーツから見た遊歩の断面をいくつかみ見てみましょう。日常に埋もれやすい「歩き」をもっとも単純にスポーツ化したものに『競歩』というのがあります。古代オリンピックにはたして、この種目は存在していたのかどうか調べてはいませんが、近代五輪では歩行の「スピード」を競う立派な種目として採用されていています。  ただし、「走り」との区別を明確にするために、同時に両足が地面から離れてはいけない。一瞬でも膝が伸びなければいけないという二つの原則を設けました。そのおかげであの奇妙な歩行フォームが生まれた訳ですが、競歩における「歩き」とは全く「遊歩」とは無縁なものとなりました。単に「走り」の奇形というしかありません。「遊歩」にとっては「スピード」とは全く不要なファクターです。

■オリエンテーリングに見る「遊歩」

 「歩く」ことをスポーツ化する困難さには、「スピード」以外にもいくつかファクターがあります。速度を競うのみではなく、フィールドの地形や状況を正確に読みながら歩くという「ルートファインディング」を「歩き」に絡ませてスポーツ化したものに『オリエンテーリング』というものがあります。もともとは北欧の雪中の軍事教練から生まれたものですが、20世紀初めにスポーツ化されました。
 私個人における「遊歩」では、「ルートを探す」楽しみは欠かせないものになっています。地図と磁石、時には「勘」のみでルートを探す。逆に、道を探すのではなく、自分が歩くところが道なのだと開き直り、地形の起伏にまかせて迷い歩き、その後、どんなルートを歩いたかを地図上でその軌跡を確認しながら楽しむ…など、このルート遊びの愉快さは、初期の遊歩から現在にいたるまで変わらない遊歩の重要条件になっています。
 しかし、目的地に至るスピードやルート選択の正確さを競うことは本来的な「遊歩」とは無縁のことです。そういう枠やルールを作った瞬間に歩きは、遊歩という輝きを失ってしまいます。しかし、競歩のように自然のフィールドを無視した「歩き」と比べると、オリエンテーリングでは自然の起伏というフィールドのおかげで「本来的」なスポーツに一歩近づいているとも言えます。


■登山(アルピニズム)と遊歩

 スポーツ登山というものがヨーロッパ市民層に芽生えるまでは、古くは宗教的な儀式・修行か、または交易や獲物を求めて険しい山に登る(軍事的必要性もあったか)そんなことが登山の主な目的だったと思われます。『アルピニズム』も近代の産物です。かつての登山はスポーツというより『冒険』そのもので、より高く、より険しいピーク、未踏の頂きを目指すようになりました。その為に高度な技術や厳しい訓練、ルール、チームワークなどを習得しなければなりません。
 『アルピニズム』はあくまでも頂上をきわめることを目標としがちで、その目的に向かって技術や方法が集約される場合が多くなります。「歩き」と「フィールド」の関係でいえば、圧倒的に「フィールド」の方が苛酷な状況になっており、その場合「歩く」という行為は「登る」(または下る)という言葉に置き換えられ、その一歩一歩が頂上を獲得するための手段となりがちで、制約された「歩き」に縛られることが多くなります。 
 遊歩では山頂や目標地点に辿り着くことだけが目的ではなく、「歩き」の一歩一歩がどれだけ自分らしくあるか、自由であるか、という問いかけを大事にします。極論すれば、今、踏み出した一歩そのものが全目的だとも言えます。


■冒険とは?
 宇宙に飛び出す以外にもう冒険は成立しないのでしょうか。その冒険にしろ、もう個人の領域では考えられません。国家とか企業の単位に組み込まれた冒険です。
 地上においてほぼ「未踏の地」が失われた現代では、冒険のあり方も変わらずにはいません。よりスポーツ化され、極寒時のアタックとか、無酸素登頂とか、単独横断とか、無帰港渡航とか、なにかしら条件付加が必要になってきました。その内に裸体で登頂とか、竹馬で横断とか、少しマンガチックな光景になりそうです。
 数年前、読売テレビのイベントで「チョモランマからの生中継」とかいう番組がありましたが、スポーツがそうであったように、猛々しいチャレンジ精神や自らの全存在をかけた行為としてあった冒険が、いとも簡単に「金」で置き換えられました。膨大な資金、装備さえあれば、何処へでもいけるのです。これからの「冒険」とはもっと内的な部分で語られ、行われることだろうと想像します。
 遊歩のひとつの断面には「冒険」はかかせない条件です。険しさを冒す、あえてリスクを背負う、冒険家でなくても誰でもこういう欲求にかられることがあります。その欲求が何処から沸き上ってくるのか?リスクとは何か? 現代社会の中に満ち溢れている個人的リスクから、もっともっと大きな領域で背負っているリスク、人類が何万年も背負ってきたリスクを考えてみるのも一つの冒険のそして、遊歩のヒントかもしれません。


■遊歩は最高の健康法!

 とは言っても、専門家ではない私は科学的、医学的な裏づけがどれほどできるのか分かりません。体験的な現象を2~3紹介できるだけです。
 激しい運動よりも、低エネルギー運動を持続する方が健康維持に効果があるという点は医学的にも認められています。ニューヨークなどで流行している「徒歩通勤」なども交通機関や革靴、ハイヒールからのストレスを避ける目的を含めて、トリムやフィットネスの感覚で「歩き」を健康維持や増進に大いに利用しようというものでしょう。
 さらにこれが自然のフィールドでの森林浴と重なれば、都会的なストレスの発散にも大きな効果はあります。樹木から発散するフィトンチッドは身体に作用すると言われますが、どれほどの効果をもつのか私には不明です。個人的に感じることは、身体のいろんな機能が自然と向き合うというところで、都会的環境にはない刺激をたくさん受けることが快適です。辺一面のみずみずしい緑、爽やかな風、又は猛暑や極寒であってもここでは快い刺激となります。起伏に富んだフィールドは、日常にはないスタンスや歩幅を経験させてくれます。  こういう刺激の積み重ねが私の場合、腰痛がなくなった、胃の調子がいい、風邪をひかなくなった、というような現象に結びついていると信じています。と言っても、月一回程度のものでは効果は少ないでしょう。できるだけ多くの機会をもつ必要はあります。(全盛期では年間100回を越えていました。最近は月2回程度で、身体は少し不調です)


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○表六甲山ホタル調査概要とその調査報告書(平成2年度)

★このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに加筆のうえ再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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 六甲山でのホタル調査にいたった経緯は前記事(調査遊歩アーカイブ)を参照してください。この表六甲山ホタル調査概要(計画書)とその調査報告書は六甲山を見つめ直すシリーズの3、機関紙「ぶんぶん」別冊として発行され、協力いただきました関係行政機関や六甲山の各施設に配布させていただきました。
 そのデジタル(PDF)化には未だ手をつけていません。写真にだけは撮ってみましたので、見にくいですが、関心のある方はご覧ください。もう30年以上も前の調査なので、現状の六甲山との比較は難しいでしょうが、何かしらの参考にでもなれば仕合わせます。

■表六甲ホタル調査概要(計画書)

●調査対象水系とポイント
●50箇所の調査ポイント

■表六甲山ホタル調査報告(平成2年度)

●目次
●はじめに
●調査結果
●確認場所
●天然か放流かの判別
●推論的まとめ
《付録》ホタル日記より・・・
●自然論議の前提
自然論議の前提2
自然論議の前提3

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○六甲全山縦走路の距離実測報告

★この調査は、私が六甲遊歩会時代の平成元年、会にご協力をいただいて行った個人的な実測調査です。それを、本ブログに画像として再収録したものです。(ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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 この実測調査にいたった経緯は、記事「憧れの56.4km-六甲全山縦走路」を参照してください。この距離実測調査報告書は六甲山を見つめ直すシリーズの2、機関紙「ぶんぶん」別冊として発行され、協力いただきました関係行政機関や六甲山の各施設に配布させていただきました。
 最近のGPS機器の精密化によって、歩いた距離は即座に計測・集計される時代となっています。最近になっても「45kmでした」「45kmちょっとでした」とお便りをいただきます。もう30年以上も前の調査なので、現状の六甲全縦ルート違っている箇所も多いでしょうし、この調査のもつ数字的な意味合いは希薄なものとなっていましょうが、それ以上に六甲山に対する向き合い方の何かしらの参考にでもなれば仕合わせます。


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○六甲山に於けるテープ表示に関してのアンケート集計・結果報告

★このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに加筆のうえ再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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 六甲山でのテープ表示に関してのアンケート調査にいたった経緯は前記事(調査遊歩アーカイブ)を参照してください。

 当時の兵庫県山岳会、自然保護協会の関係者や六甲山ガイドブックの著者の方々などからも「赤テープ類によるルート表示」に関しまして貴重なご意見をいただきました。
 内容につきましてはPDF化が滞っていますので、とりあえず画像を掲載しておきます。しかしながら、当時の昭文社エアリアマップ「六甲山」(六甲山のハイカーが愛用するルート地図)の著者・赤松滋さんより編集部にいただいた含蓄ある寄稿文はテキストに起こして、文末に紹介させていただきました。ぜひ、一読ください。管理人の責任にて独断で転載の件、ご容赦くださいませ。(2019年8月:追記)

●アンケート依頼先一覧
●集計に関しての経緯と御礼
●アンケート集計
●アンケート集計
●ルート表示に於けるテープに関するご意見
●ルート表示に於けるテープに関するご意見
●集計結果の数字的な考察とまとめ
●集計結果の数字的な考察とまとめ
●遊歩会会員よりの意見投稿

INGS.4(機関紙ぶんぶんに投稿いただいたコラム記事)

テーピング

赤松 滋  

 山の道が細くなると、樹に赤や黄色のビニールテープが目に映える。六甲連山では、この種のテーピングが過剰気味である。力んで出掛けて来たのに、迷わず苦労なしにスーっと通り抜けてしまう。拍子抜けする。テープを追うだけの一日だったのが、無性にむなしい。そこで考えさせられてしまった。
 「テーピングの怪」がハイキングコースの標識と同じに、道の案内として設けられ、誘導が必要だと感じたからに違いない。
 ところが、対象がことなる。ハイキングコースは、山を歩き慣れていない人が対象の標識。一方、山の小道は、不安気味に歩くことで楽しむを善とする人が対象。テーピングは必要を、同じ安全の思想で同化してしまっては、歩きの魅力半減だと嘆く考えの一面もある。
 人様のためにテーピングがなされたとて、そこには無言の親切はあっても、責任のない面だって存在している。仮にそのテーピングが当事者個人が迷った時の退却用目印であって、終わりまで面倒をみずに途絶えてしまっていたらならば、後でやってきた山慣れしていない者がたどれば、事故防止の筈が、事故誘発、迷路突入の逆作用に成りかねない。そう成ってはと「テープを充分に付けてある」のも、また事実であろう。
 定か成らない小径では、ケルンを置いたり、ナタ目を付けるのが古くからの方法、小枝を折って進行方向に向けて置くなども用いられてきた。迷った時に退却するための目印であった。ところが目印に赤い布片が使われ始めたのは、本番のために下見の覚えに目印された工夫。自己防衛が主題だった。次いでビニールテープの登場、色あせたり朽ちることがなく持続出来る。それならばと事故防止の手段に使われ、私設案内を買って出た。荷造り用のビニール紐さえ使われる。テープに比べて「巻く手間が省け、結えるだけで事足りる」からだという。これら様々、色とりどりをお互いの目印の区別に用いられる。目立たなければ用をなさないだけに、多くなればなおに始末が悪い。風情がないのは実用優先、仕方が無い。商店街のセール期間の満艦飾さながらの賑わいだから、眉をひそめる。
 もっと大切なことを気遣う。テープを頼って山を歩く我々の心が、他人に依存して行くことである。
 「多分、テープが有るだろう」と安直に山に入る。
 「テープの付け方が悪いのだ」と責任を転嫁する。
 当世の処世術、山に持ち込まれかねない。

 道の「み・ち」は、歩みの《み》の【】と、大地の《ち》の【】からなり、だから、道は「心身で大地を歩くものだ」との説がある。一方、道は「未だ知らざる」の「未知(道)だ」とも言える。特に、山を歩む者が道に託す考えである。それで育ってこそ【歩く好奇心】を「価値有るもの」としてきた。次のテープが見えないと心細くなり、気付かないうちにテープだけを追う。「テーピングのルート」をトレースしただけでは無念である。
 テーピングの「ある必要」と「無い意義」は、真っ正面から異なる。有って「助かる」ことと、「困る」ことは、「有るべき必要」から出た考え。「無い意義」は、無いことを自体から端を発し、本来の姿を保ち、精一杯の技量を発揮してその道に対処する。生半可な者を寄せ付けてはならない考え。警告で有っていたい。
 確かに迷ったときの事故の防止に対した策では有る。先に踏破した人が、次に来る人を迷わせない親切である。努力にたいして感謝こそせよ、恩を仇で返すつもりは無い。だけれども、「もう少し、ソッとしておいてよ」との気持ち、正直に言って残ってしまう。
 
 若い頃、岩場のハーケンは、登った者が設置せずに、「抜くべきか、抜かざるべしや」の論議が出た。我が身を相手の気持ちに置き換えて論争した事を思い出す。
 「確かめれば良いじゃないか」とは有効利用の考え。
 いや、
 「問題はない」とは、取り払って無くせの考え。
 今日のテーピングにも相通じる。
 もしも、テーピングの論争を展開するのならば「有り過ぎる不必要」への単なる反動だけではなく、存在を否定してしまってからでないと、考えは成立しない。形としてだけの親切だけはなしに、気の付かないテーピングの徒(いたずら)な所業こそ、整理が必要であろう。丁寧さ・親切さを形だけを追っては人の刹那だけがうかがえる。仕種としてだけの安直なテープセッティングをやってはならない。退却用は後日に取り払う、下見用は本番で取り除く。人助けならば、セットしたルートを戻り、再び確かめてテープを残すぐらいでなければ、人様にへの資産には出来ない。今よりも、有り過ぎる不必要はサッパリ出来ようか。努力してみたいものだ。

 育った樹が、首を絞められた様にビニール紐を食い込ませていた。しかも、もはや紐は解けない。裏六甲は高尾山西側の仏ヶ谷峠からの山道、植林帯に痛々しく今も残っている。
 人の気持ちの擦れ違った無念さに似てもいる。

(※昭和63年9月10発行、機関紙ぶんぶん別冊第2号より転載させていただきました)

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●わが裏庭にもホタル舞う

表六甲山のホタル調査
上の画像は寄せ集めたイメージです。


 山口県はホタルに恵まれています。周南市の里地里山にもたくさんホタルの生息地があって、シーズンともなれば各所で「ホタル祭り」が開催されます。まあ極端に言えばどこの渓流にも川辺にもこの愛らしい生物は居るようです。拙宅の庭にもたくさん訪れてくれます。
 窓越しに可憐な輝きの軌跡を楽しむことなど、神戸で暮らしていた頃には考えもつかないことです。阪神大震災前の数年間、六甲遊歩会のメンバーが趣味を兼ねて、六甲山系の渓流の水質調査を行っていました。ホタルも水環境の一つの指標なので「この際、絶滅したと言われる天然のホタルがこの表六甲山(南面)にて生き残っているものか?」という興味も手伝って、数シーズンにわたってホタル調査を行いました。
(※なお、裏六甲の山麓には、まだ里山が広がっており、ホタルの生息地は各所に残っています。この調査の前年に、兵庫県自然保護協会のホタル調査で参加いたしました。まだまだホタルの群生を見ることができます)

 神戸という町は、切り立った山岳が、ある地点から急に都会(大概は住宅地)となります。中間となる緩衝帯が無いのです。この里地・里山的な中間点がないところが、六甲山系と向き合う時のポイントで、都市と山岳が直に向き合うという希少な関係は、他に余り類を見ないでしょう。布引渓谷をみればよく分かるでしょう。摩耶山系の多くの沢から集まった水流が、北側から回り込むようにゆったりと蛇行して、布引谷へと流れていきます。この長い渓流沿いの山道は、六甲でも有数の沢歩きが楽しめるルートとなっています。このコースのラスト部分が有名な布引滝の瀑布になっています。しかし、山の中という気分で自然を楽しむことができるのはここまでで、この滝の数十メートル先には新幹線・新神戸駅がこの渓流をまたぐように駅舎をかまえ、あの多様な姿を見せていた渓流も完全にコンクリートで整備された大きな用水路へとあっという間に変身してしまいます。
 途中に、田んぼや畑もなく、里山へと分かれていく水路もないので、水生生物の生息場所は失われてしまいます。このように都市部の河川はほぼ完全にコンクリで護岸されていますから、ホタル生息可能な場所は、山系の沢の入り口周辺に限られます。六甲山系の渓流の多くは基本的に急流で、ヘイケボタルヒメボタルの生息にはむいていませんが、砂防ダムで土砂が堆積して流れが緩む周辺でしたら、沢の上流にも生息地はあると考えられます。
 という訳で、4年間程、天然のホタルを探して、週末は夜間遊歩と称して山仲間を集め、時にはキャンプをしながら、ワイワイとホタル酒などを味わいつつ、平日は、仕事帰りに、そのまま六甲山の沢へ直行したり、5~7月はすっかり夜行性タヌキのような暗闇遊歩にハマっておりました。

 下水処理の水質の一つ指標として、神戸市の下水道局でホタルを試験育成している試験所があって、この事が話題となり、この養殖ホタルを活用して神戸の河川でのホタル復活を実現させようという活動が、盛んになった頃です。ホタルの生育環境を整えて後に、カワニナ(ホタルの幼虫の餌になる貝)と幼虫を放流すというような正攻法から、イベントの出し物で「ぱーっと」千匹近い成虫を川辺に放つというよな邪道まで、いろいろあったようです。こんな思いつきのイベントであっても(以前より環境が改善されていれば)稀にその環境で繁殖して、定着する可能性もあります。
 こういう事情もあって、ホタルを見つけ出すことと、苦労して発見したホタルが昔からの天然ホタルなのか、放流によるものなのかを見定めることも調査の一環となりました。どこまでを天然だと言えるのか? 人工繁殖したものなのか?・・なにやら虚しいアリバイ(不在証明)をしているようでした。元々は〝自分探し〟のために始めた六甲遊歩のようなものですから、これはこれで、天然のホタル(在るべきホタル)を探しつつ、その正体を見極める作業は、二重の焼き込みのようで、自分を掘り起こしていく上には、良いテーマだったと思っています。(調査の結果報告に関してはカテゴリー「遊歩資料アーカイブへ)

 夕刻、有馬温泉側から沢に入り、山越えをして、深夜の表側の沢を下って帰る。暗闇の中、ワイワイと複数で歩くのは楽しいものですが、これが一人になると途端に心細くなってしまいます。じめついた足元の不気味な沢で、蜘蛛の巣を払いながらの足取りは、怖さですくむこともあります。泉鏡花の「高野聖」のような気分です。四方八方に妖怪の気配を抱えて進んでいく訳ですから、どこかでドラマのような霊的な出来事が起きるのではないかとか、沢に転がり落ち下山できなくなるとか、戦々恐々です。それも、今となっては楽しい思い出となっていますが・・・。

★今まで眠らせている六甲遊歩の記録や資料類を、これを機にこのブログへ引っ越しさせようと思います。資料的には古くて価値も消耗しているものと思いますが、関心のある方は、カテゴリー「遊歩資料アーカイブ(11月に引っ越し)から訪れて下さいませ。