「吾輩は猫である」山芋(自然薯)の値打ち

 自然生山芋(自然薯)畑では、野性的な山芋の面構えからは想像もできない可憐でかわいい自然薯の花が一斉に咲き乱れ、いよいよ零余子(むかご)が結実するシーズンを迎えようとしています。

 ほろほろと むかごこぼるる 垣根かな

 この正岡子規の句は、人物歳時記(2)の高浜虚子の項でご紹介しましたが、この子規に、文学的にも人間的にも多大な影響を受けた学友に夏目漱石がいます。後に子規の後継者となる高浜虚子に小説への道を誘われます。そして、雑誌「ホトトスギ」に「吾輩は猫である」を発表し文壇へデビュー。これが好評を得て、翌年には、漱石も教師として在籍した松山中学を舞台にした「坊っちゃん」などを執筆、文人への道を歩みます。
この小説「坊っちゃん」のモデルと言われる弘中又一は、自然薯の特産事業がすすむ湯野温泉の出身で、漱石との交友をはじめ、教育家としての業績・足跡が注目されており、地元史家によって掘り起こしの研究が現在盛んです。

 今回は、漱石と自然薯(山の芋)との絡みはないものかと調べてみました。すると早速処女作で、ある軽妙・爽快な語り口が愉快な「吾輩は猫である」の中に自然薯にまつわるのエピソードが描かれています。当時の「自然薯」への庶民感覚が伺えますので紹介したいと思います。

 「吾輩」の主人(飼い主)である苦沙彌先生宅に泥棒がしのび込んできます。
奥さんの枕元には四寸角の一尺五六寸ばかりの釘付けにした箱が大事そうに置いてあります。書生である住人多々良三平君が先日九州・唐津へ帰省したときに御土産に持って来た山の芋です。
 何も御存知ない泥棒は、この山芋の入っている箱をさぞ大事なものと思い込み博多帯でくくって盗んでいきます。翌日、盗難に気づき警察に届をだすと、巡査さんがやってきて調べが始まります。苦沙彌先生と奥さんとの盗難届けを書くやりとりが軽妙に続きます。

 「黒繻子と縮緬の腹合せの帯一筋・・・価はいくらくらいだ」
 「六円くらいでせう」
 「それから?」
 「山の芋が一箱・・・ねだん迄は知りません」
 「そんなら十二円五十銭位にしておこう」
 「・・・いくら唐津から掘って来たって十二円五十銭は堪るもんですか」


 枕元に自然薯を置いて寝ているいるのも可笑しなものですが、山芋をあれこれ値踏みしているところも可笑しい。
 釘付けのみやげ箱の大きさが、だいたい12cm×50cm位のサイズすから、よく入って500g程の山芋が2本位入っていたのでしょうか? 当時は、自然薯の栽培技術などありませんですから山掘り職人が山から掘ってきた土産ものでしょう。
 この「山の芋」を帯の値の倍ほど、12円50銭にしておこう!と苦沙彌先生はフカス(水増しする)のですが、一体この金額は現代でどれほででしょう?
小説の明治時代(1905年頃)では、1円の価値はいくらか、物価指数などでも想定はできますが、分かりやすい公務員の給与で換算してみましょう。学校教師の初任給が8~9円の時代ですから、おおよそ1円が2万円位と目安してよいでしょうか。これで換算して見ると、主人の言う12円50銭なら、なんと25万円程ということになります。
 奥さんが「それは余りにも法外な・・・」と言っていますが、このエピソードから、自然薯は当時も希少な珍品で高価なものだったというイメージがよく伝わってきます。

 ちなみにこの日本のソウルフード現代では、市場にはなかなか出回りませんが、初冬の頃にネットでの販売を見かけることがあります。栽培物は廉価(3〜4千円╱kg)ですが、天然の山彫り物は1〜2万円╱kgとやはりお値打ち品となっています。


■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
小説「坊ちゃん」の正体・・・(弘中又一)
零余子蔓 滝のごとくにかかりけり(高浜虚子)
貴族・宮廷食「芋粥」って?(芥川龍之介)

■読本・文人たちに見る〝遊歩〟(2021年追記)
解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
世界と通じ合うための一歩一歩(アルチュール・ランボオ
バックパッカー芭蕉・おくのほそ道にみる〝遊歩〟(松尾芭蕉)

私のMac そしてジョブスとの足跡

▲ビートルズファンでもあったジョブス、 右上が20年前のMacクラシック
 下の写真はiPad、iPod発表での基調講演風景(各サイトより拝借)

 別件の仕事上で、「理念の投影」を例としてスティーブ・ジョブズの事をまとめていた矢先、「アップルCEOを辞任!」というニュースが飛び込んできた。本人はもちろん健在なのですが、失礼にも何やら逝去してしまったような衝撃をこのニュースに感じてしまった。
(日頃はあまりITやPCについて触れませんが、この機会に少しこの業界の話しを・・・)
このジョブスという人間が、いかなる人物なのか。直接にはもちろん、基調講演などにも立ち会ったこともなく、彼の書籍を読んだ訳でもないのですが、彼が生み出したMac(マッキントッシュ)というコンピューターを通して、彼の羽ばたくような理念、夢、苦悩、喜びというようなものをずっと感じ続けてきました。つまり、私にとってのMacとは彼ジョブスそのものだったといっても過言ではありません。

夢とプライドの共有

 Macを使い続けて20年程になります。その当時は、デザイン・印刷とか設計業界が、Mac(マッキントッシュ)というコンピューター導入の先導役になっていたこともあって、私も、烏口(製図用のペン)や彩色筆を捨てて、このじゃじゃ馬のように扱いにくいマシンと日々向き合っておりました。繰り返されるフリーズ、意味不明のバグ、遅々たる計算能力・・・悪戦苦闘の連続でした。16Mほどのメモリで(今では安いパソコンでも2000Mはあるでしょうか)全面イメージのA1ポスターを制作するという神業的な仕事もありました。ワンセーブ・ワンスモーク(保存に数十分もかかり、一度の保存ごとにタバコを一服していた)という今にして見ればのんきな時代なのですが、デザイナーが彩色して、線を引き、撮影し、マスクをつけ、網をつけ、刷版に焼付ける・・・何人かの人たちが、複雑な工程をへて、何日もかかる作業が、たった一台のマイコンの中、机の上(DTP)で完結する!というような夢が実現し始めていた時代です。

 「ここでこう出来ればうれしい」「ここでダメになるのは辛い」「なぜ?これが出来ないのか!」机の前でのつぶやきは、ジョブスの夢と苦悩のメッセージとして、常にMacや新しいOSを通して返ってきました。アップルの開発ニュース、新製品のスペックリリース、そして実際の最新鋭マシーンを目の前にして、「おっ!やってくましたね」「こう、こなくっちゃね」とまるで自分が創り上げたような気分でセットアップしていきます。彼と一緒に進化し、進歩しているという共有感があり、お互いのプライドを確認し合うというえも言えぬよろこびを感じていました。
 そんな私の机の上で実現しつつあった夢のような出来事が、情報の世界で、音楽の世界で、映像の世界でも実現すれば、どんなに楽しい事だろうと近未来的な夢想をついつい抱いてしまいました。そして、それらの全てをインターネット、音楽配信、映像配信と、馬車が突き進むように次々に実現させてしまったのが、天才ジョブスです。

世界を変えた〝ものづくり〟

 1995年頃、マイクロソフトのウィンドウズ95のリリースで世間は大騒ぎ、日本中のほどんどのPCメーカーがウィンドウズを搭載となり、Macもやや異端視されるようになり、アップル内部でも社内闘争があったりして、創設者の一人であるジョブスは一時会社を追い出され、業績も落ち込むことになります。辛うじてマニアックなファンが支えているような影の薄いそんな時代もありました。
 満を期して復帰したジョブスは、パソコンの革命児となる「iMac」を電撃的に世に送り出し、iPod、iPhone、iPadと怒濤の進撃を続けました。そして何と!この2011年6月には、あのお巨大なマイクロソフトやグーグルを遂に押しのけて、時価総額ランキングで世界二位に躍りでる(一位は石油のエクソンモービル)巨大企業の雄となりました。(追記:それも追い抜く)
 「ソーシャルネットワーク」という映画で紹介されたようにあの業界のドタバタには凄まじいものがあります。しかしそんなドタバタなど足下に及ばない程の修羅場を、そのカリスマ的な行動力と発想とで幾度もくぐり抜け、這い上がってきたのが奇人・鉄人ともいわれるジョブスであり、その足跡はすでに伝説と言ってよい存在でした。今回の辞任ではっきりと歴史に刻まれました。(さすがに再復帰はないと思います)

 iPhone、iPadを愛用していますが、この端末を手にして、いつも「こんなものは本当は、日本の製造業で作らなあかんやろ」と思うことがあります。ウォークマンの盛田さん(ソニー)をはじめ、本田さん(ホンダ)や松下さん(パナソニック)が産み出したジャパンブランドも、一時代を創ったとは言え、今ではもう時代を揺すぶるような創造力が枯れているのでしょうか。モノづくり「にっぽん」が、残念ながら情報産業においては後塵を拝し続けました。
 日本からは、もう世界を席巻するようなワクワクする魅惑的な商品が生まれないのでしょうか? IT技術が遅れていたという事情より、やはりジョブスのようなそのブランドイメージを一身に引き受けるリーダーシップとビジョンを持った魅惑的な人物が、今の日本には居ないことが原因だろうと思います。ジョブスは日本のPCメーカーのことを「海岸を埋めつくす死んだ魚」と表したらしいですが、確かに、21世紀的なモノづくりへのビジョンの希薄さを指したものかも知れません。

●数あるジョブス語録の中から・・・

 あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。
ドグマにとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。
 他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。
 それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。

  今や彼の言葉を、人生の師からの言葉として受け取っている若い人が多いと聞きます。
成功と挫折と敗北を繰り返し、更には死への恐怖も体感した氏の言葉は重いのでしょう。テクノロジーとの葛藤をはるかに超えて生き方そのものを示唆する教祖的存在だといってもおかしくはありません。

追記:この記事を書いてから1カ月余りの10月5日にジョブズ逝去。心より追悼したいと思います)

読本「遊歩のススメ」第一話(なぜ歩くのか?)
先人たちの遊歩(芭蕉・山頭火・中原中也・アルチュール ランボー)