○六甲山に於けるテープ表示に関してのアンケート集計・結果報告

★このカテゴリーは、私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)の間に記述・編集されたものを、本ブログに加筆のうえ再収録したものです。ブログの日付けは収録日に過ぎません)
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 六甲山でのテープ表示に関してのアンケート調査にいたった経緯は前記事(調査遊歩アーカイブ)を参照してください。

 当時の兵庫県山岳会、自然保護協会の関係者や六甲山ガイドブックの著者の方々などからも「赤テープ類によるルート表示」に関しまして貴重なご意見をいただきました。
 内容につきましてはPDF化が滞っていますので、とりあえず画像を掲載しておきます。しかしながら、当時の昭文社エアリアマップ「六甲山」(六甲山のハイカーが愛用するルート地図)の著者・赤松滋さんより編集部にいただいた含蓄ある寄稿文はテキストに起こして、文末に紹介させていただきました。ぜひ、一読ください。管理人の責任にて独断で転載の件、ご容赦くださいませ。(2019年8月:追記)

●アンケート依頼先一覧
●集計に関しての経緯と御礼
●アンケート集計
●アンケート集計
●ルート表示に於けるテープに関するご意見
●ルート表示に於けるテープに関するご意見
●集計結果の数字的な考察とまとめ
●集計結果の数字的な考察とまとめ
●遊歩会会員よりの意見投稿

INGS.4(機関紙ぶんぶんに投稿いただいたコラム記事)

テーピング

赤松 滋  

 山の道が細くなると、樹に赤や黄色のビニールテープが目に映える。六甲連山では、この種のテーピングが過剰気味である。力んで出掛けて来たのに、迷わず苦労なしにスーっと通り抜けてしまう。拍子抜けする。テープを追うだけの一日だったのが、無性にむなしい。そこで考えさせられてしまった。
 「テーピングの怪」がハイキングコースの標識と同じに、道の案内として設けられ、誘導が必要だと感じたからに違いない。
 ところが、対象がことなる。ハイキングコースは、山を歩き慣れていない人が対象の標識。一方、山の小道は、不安気味に歩くことで楽しむを善とする人が対象。テーピングは必要を、同じ安全の思想で同化してしまっては、歩きの魅力半減だと嘆く考えの一面もある。
 人様のためにテーピングがなされたとて、そこには無言の親切はあっても、責任のない面だって存在している。仮にそのテーピングが当事者個人が迷った時の退却用目印であって、終わりまで面倒をみずに途絶えてしまっていたらならば、後でやってきた山慣れしていない者がたどれば、事故防止の筈が、事故誘発、迷路突入の逆作用に成りかねない。そう成ってはと「テープを充分に付けてある」のも、また事実であろう。
 定か成らない小径では、ケルンを置いたり、ナタ目を付けるのが古くからの方法、小枝を折って進行方向に向けて置くなども用いられてきた。迷った時に退却するための目印であった。ところが目印に赤い布片が使われ始めたのは、本番のために下見の覚えに目印された工夫。自己防衛が主題だった。次いでビニールテープの登場、色あせたり朽ちることがなく持続出来る。それならばと事故防止の手段に使われ、私設案内を買って出た。荷造り用のビニール紐さえ使われる。テープに比べて「巻く手間が省け、結えるだけで事足りる」からだという。これら様々、色とりどりをお互いの目印の区別に用いられる。目立たなければ用をなさないだけに、多くなればなおに始末が悪い。風情がないのは実用優先、仕方が無い。商店街のセール期間の満艦飾さながらの賑わいだから、眉をひそめる。
 もっと大切なことを気遣う。テープを頼って山を歩く我々の心が、他人に依存して行くことである。
 「多分、テープが有るだろう」と安直に山に入る。
 「テープの付け方が悪いのだ」と責任を転嫁する。
 当世の処世術、山に持ち込まれかねない。

 道の「み・ち」は、歩みの《み》の【】と、大地の《ち》の【】からなり、だから、道は「心身で大地を歩くものだ」との説がある。一方、道は「未だ知らざる」の「未知(道)だ」とも言える。特に、山を歩む者が道に託す考えである。それで育ってこそ【歩く好奇心】を「価値有るもの」としてきた。次のテープが見えないと心細くなり、気付かないうちにテープだけを追う。「テーピングのルート」をトレースしただけでは無念である。
 テーピングの「ある必要」と「無い意義」は、真っ正面から異なる。有って「助かる」ことと、「困る」ことは、「有るべき必要」から出た考え。「無い意義」は、無いことを自体から端を発し、本来の姿を保ち、精一杯の技量を発揮してその道に対処する。生半可な者を寄せ付けてはならない考え。警告で有っていたい。
 確かに迷ったときの事故の防止に対した策では有る。先に踏破した人が、次に来る人を迷わせない親切である。努力にたいして感謝こそせよ、恩を仇で返すつもりは無い。だけれども、「もう少し、ソッとしておいてよ」との気持ち、正直に言って残ってしまう。
 
 若い頃、岩場のハーケンは、登った者が設置せずに、「抜くべきか、抜かざるべしや」の論議が出た。我が身を相手の気持ちに置き換えて論争した事を思い出す。
 「確かめれば良いじゃないか」とは有効利用の考え。
 いや、
 「問題はない」とは、取り払って無くせの考え。
 今日のテーピングにも相通じる。
 もしも、テーピングの論争を展開するのならば「有り過ぎる不必要」への単なる反動だけではなく、存在を否定してしまってからでないと、考えは成立しない。形としてだけの親切だけはなしに、気の付かないテーピングの徒(いたずら)な所業こそ、整理が必要であろう。丁寧さ・親切さを形だけを追っては人の刹那だけがうかがえる。仕種としてだけの安直なテープセッティングをやってはならない。退却用は後日に取り払う、下見用は本番で取り除く。人助けならば、セットしたルートを戻り、再び確かめてテープを残すぐらいでなければ、人様にへの資産には出来ない。今よりも、有り過ぎる不必要はサッパリ出来ようか。努力してみたいものだ。

 育った樹が、首を絞められた様にビニール紐を食い込ませていた。しかも、もはや紐は解けない。裏六甲は高尾山西側の仏ヶ谷峠からの山道、植林帯に痛々しく今も残っている。
 人の気持ちの擦れ違った無念さに似てもいる。

(※昭和63年9月10発行、機関紙ぶんぶん別冊第2号より転載させていただきました)

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●わが裏庭にもホタル舞う

表六甲山のホタル調査
上の画像は寄せ集めたイメージです。


 山口県はホタルに恵まれています。周南市の里地里山にもたくさんホタルの生息地があって、シーズンともなれば各所で「ホタル祭り」が開催されます。まあ極端に言えばどこの渓流にも川辺にもこの愛らしい生物は居るようです。拙宅の庭にもたくさん訪れてくれます。
 窓越しに可憐な輝きの軌跡を楽しむことなど、神戸で暮らしていた頃には考えもつかないことです。阪神大震災前の数年間、六甲遊歩会のメンバーが趣味を兼ねて、六甲山系の渓流の水質調査を行っていました。ホタルも水環境の一つの指標なので「この際、絶滅したと言われる天然のホタルがこの表六甲山(南面)にて生き残っているものか?」という興味も手伝って、数シーズンにわたってホタル調査を行いました。
(※なお、裏六甲の山麓には、まだ里山が広がっており、ホタルの生息地は各所に残っています。この調査の前年に、兵庫県自然保護協会のホタル調査で参加いたしました。まだまだホタルの群生を見ることができます)

 神戸という町は、切り立った山岳が、ある地点から急に都会(大概は住宅地)となります。中間となる緩衝帯が無いのです。この里地・里山的な中間点がないところが、六甲山系と向き合う時のポイントで、都市と山岳が直に向き合うという希少な関係は、他に余り類を見ないでしょう。布引渓谷をみればよく分かるでしょう。摩耶山系の多くの沢から集まった水流が、北側から回り込むようにゆったりと蛇行して、布引谷へと流れていきます。この長い渓流沿いの山道は、六甲でも有数の沢歩きが楽しめるルートとなっています。このコースのラスト部分が有名な布引滝の瀑布になっています。しかし、山の中という気分で自然を楽しむことができるのはここまでで、この滝の数十メートル先には新幹線・新神戸駅がこの渓流をまたぐように駅舎をかまえ、あの多様な姿を見せていた渓流も完全にコンクリートで整備された大きな用水路へとあっという間に変身してしまいます。
 途中に、田んぼや畑もなく、里山へと分かれていく水路もないので、水生生物の生息場所は失われてしまいます。このように都市部の河川はほぼ完全にコンクリで護岸されていますから、ホタル生息可能な場所は、山系の沢の入り口周辺に限られます。六甲山系の渓流の多くは基本的に急流で、ヘイケボタルヒメボタルの生息にはむいていませんが、砂防ダムで土砂が堆積して流れが緩む周辺でしたら、沢の上流にも生息地はあると考えられます。
 という訳で、4年間程、天然のホタルを探して、週末は夜間遊歩と称して山仲間を集め、時にはキャンプをしながら、ワイワイとホタル酒などを味わいつつ、平日は、仕事帰りに、そのまま六甲山の沢へ直行したり、5~7月はすっかり夜行性タヌキのような暗闇遊歩にハマっておりました。

 下水処理の水質の一つ指標として、神戸市の下水道局でホタルを試験育成している試験所があって、この事が話題となり、この養殖ホタルを活用して神戸の河川でのホタル復活を実現させようという活動が、盛んになった頃です。ホタルの生育環境を整えて後に、カワニナ(ホタルの幼虫の餌になる貝)と幼虫を放流すというような正攻法から、イベントの出し物で「ぱーっと」千匹近い成虫を川辺に放つというよな邪道まで、いろいろあったようです。こんな思いつきのイベントであっても(以前より環境が改善されていれば)稀にその環境で繁殖して、定着する可能性もあります。
 こういう事情もあって、ホタルを見つけ出すことと、苦労して発見したホタルが昔からの天然ホタルなのか、放流によるものなのかを見定めることも調査の一環となりました。どこまでを天然だと言えるのか? 人工繁殖したものなのか?・・なにやら虚しいアリバイ(不在証明)をしているようでした。元々は〝自分探し〟のために始めた六甲遊歩のようなものですから、これはこれで、天然のホタル(在るべきホタル)を探しつつ、その正体を見極める作業は、二重の焼き込みのようで、自分を掘り起こしていく上には、良いテーマだったと思っています。(調査の結果報告に関してはカテゴリー「遊歩資料アーカイブへ)

 夕刻、有馬温泉側から沢に入り、山越えをして、深夜の表側の沢を下って帰る。暗闇の中、ワイワイと複数で歩くのは楽しいものですが、これが一人になると途端に心細くなってしまいます。じめついた足元の不気味な沢で、蜘蛛の巣を払いながらの足取りは、怖さですくむこともあります。泉鏡花の「高野聖」のような気分です。四方八方に妖怪の気配を抱えて進んでいく訳ですから、どこかでドラマのような霊的な出来事が起きるのではないかとか、沢に転がり落ち下山できなくなるとか、戦々恐々です。それも、今となっては楽しい思い出となっていますが・・・。

★今まで眠らせている六甲遊歩の記録や資料類を、これを機にこのブログへ引っ越しさせようと思います。資料的には古くて価値も消耗しているものと思いますが、関心のある方は、カテゴリー「遊歩資料アーカイブ(11月に引っ越し)から訪れて下さいませ。