〓 阪神大震災/前夜その1〔No.1〕

明石海峡大橋。
何かに引きずられるように「此所」へやってきたとしか言えない気がする。
「此所」は神戸市内で、その震源地に一番近い所だった。

 あれから12年の歳月が経とうとしています。今年の抱負の一つにこの回想があります。
 毎年訪れる1.17自体に特別な感慨は無いと言えばウソになるかもしれませんが、今までは敢えてさりげなく無視して、正面から向き合うことを避けて通り過ぎてきました。否、というより出来得るなら早く、遠い過去のもう風化してしまった事柄になるよう願っていたのかもしれません。

 あの体験から得た幾多の貴重な教訓・学びは確りと自分のものとして、今の生活の中に脈々と生きて、そして活かされているはずだろうという「自負」はあります。しかし、本年にいたって、ことさらに振り返ってみようと思うようになったのは、やはり、どこかしら自身の中に整理しきれていない1.17が在って、今まで抱えてきた「自負」というモノに対していささかの疑念が芽生えているのかもしれません。
 それは、神戸を離れて田舎暮らしを始めて4年近い年月の中で、自然ゆたかな大地を踏みしめ、それに根ざし、その風土に中にすっぽりと身をゆだねて生きていく実感を噛みしめられるようになったからかもしれません。よいチャンスなのでしょう。これからの生活の明るい指針としても、もう一度、自分が震災の体験で得たものが何であったのか検証してみる契機になればとも思います。
 まとまって何かを書き上げる力も時間もありません。ブログという性質上、淡々と日々を追っていく方が気負いなく書けそうです。12年前の日々とは前後いろいろ錯綜はあるとは思いますが、とりあえずは前日あたりから思い起こしてみます。

【1995.1.16/震災前夜】

 震災後「あれが、ああだったのは地震の前ぶれだった」などという様々な予兆・予知話が飛び交いました。学術的なものから、個人的な虫の知らせという類いのもの、動物の仕草まで、日頃にはないちょっと変わった出来事などは全て予兆話のネタになりました。
 私においても、いくつかのその類いの出来事がありました。それをちゃんと説明しようとすれば、ブログの域を超えるずいぶんの字数が必要です。その辺りを割愛して要点だけをピックアップしますと、震災前々日は、大雪の北摂山系を篠山から南下して、ひなびた温泉で山友のN君と二人で吹雪の露天風呂に浸り、初めてのシシ鍋を食っていました。明けて16日、まだ残雪の深い沢や峰をたどって能勢に着いたのは、日没後からかなり時間が経っていた頃です。
 この山行自体がそもそも10年来の遊歩の枠を外した異様なものでした。(その説明は省略)それから大阪へ帰るN君と別れ、重い身体をシートに沈めて神戸へ向かうJRの車窓から通り過ぎていく自宅の建物を眺めていました。幾度かの逡巡はあったようなのですが、父母と住む自宅のある灘で下車せず、三宮、元町、神戸、兵庫を越え垂水まで乗り継ぎ、結婚準備で神戸で暮らしはじめていた今の連れ合い宅まで足を延ばしていました。
 これは全く予定外の行動でした。へとへとで空腹、早く眠りたいと身体は言っているし、第一明日の出社はどうするつもりだ? 時間的にも自宅へ折り返す訳にもいかない。この山から下りてきた格好で会社へ出るつもりたったのだろうか。彼女に会いたいという気持ちを差し引いたとしても、泊まり掛けの山行帰りに家を空けることは前例がないし、尋常な行動ではありませんでした。今振り返っても、それは自分の意志ではなく、何かに引きずられるように「此所」へやってきたとしか言えない気がします。

「此所」から海を隔てて10数キロ南に兵庫県南部地震を引き起こした野島断層がある。「此所」は神戸市内で、その震源地に一番近い所でした。

(続く)

十二支が巡り、亥がまたやってきました。しばらくはスローライフ自然薯や遊歩のブログは休憩して、震災関連の回想ブログになります。重い話で恐縮します。自然薯の植え付け頃には土臭い話に戻れると思います。
(*このコメントは震災の12年後である2007年当時の旧ブログのものです。現在(2021年2月)、誤字などを訂正しつつ、本ブログへデータ移行しています)

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