〓 最後のメモ〔No.19〕

何か灯りが見えないか必死に車窓から眼をこらす。
まるで自分の心の底を覗き込むように・・・。
(ビジュアル新規作成)

 この日でメモが終わっている。何故だかその訳は思い出せない・・・
おそらく、何かが終わったことは確かなことなのだろう。

【1995.2.6/震災21日目・最後のメモ】

○会社/
地震見舞いの礼状と封筒を作成。
離職証が出来たと後輩へ電話する。

○実家/
3~4本電話。FAXで入稿もあった。
次兄宅へ猫の餌やりにいく。
Sへ電話。FAXが送信できない。
Mとやっと連絡がとれる。
神戸駅よりJRに乗る。車窓は恐ろしいほど暗かった。

注:阪神大震災復旧の過程とういうページで調べたら、まだ2月6日段階では神戸駅の復旧がなっていなかった。おそらく「兵庫駅」の思い違いだと思われます。

 兵庫~新長田~鷹取~須磨の間、車窓からは何一つ見えなかった。その暗さ、背筋から寒くなりそうな静寂の暗さだけは、今になっても忘れることはありません。

(続く)

十二支が巡り、亥がまたやってきました。しばらくはスローライフ自然薯や遊歩のブログは休憩して、震災関連の回想ブログになります。重い話で恐縮します。自然薯の植え付け頃には土臭い話に戻れると思います。

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