〓 戸惑いの風景3〔No.21〕

チキンジョージはどうなったか?と編集部によく問い合わせがきた。
写真はガレキの中で再開したライブの様子。
(4月6日/撮影者は不明)

 勤務時間内に編集部を訪れる人が増え出している。電話やFAXも入ってくる。就労時間外に編集をするというケジメがあっても、二足のわらじはどう見ても公私混同であることに違いない。快く黙認してくれる同僚だけではない、当然ながら批難も受ける。辞表は提出したが受け取ってもらえないで懐で眠っている。「R誌」の方は既に300人近い年間購読者からその購読料を先に頂いている。
 地震以降の中期展望が定まったのか社長から、両者の思惑を成立させてくれる妙案が出た。というより命令に近いものだったが、有難かった。社長にとっても英断であったのだろう。
私たち編集スタッフ一同で一営業所を立ち上げることになった。これからの情報社会を見据えた先見の明にあふれた事業に私たちも協力することとなった。暗黙の了解で編集部もそこに居候する事になった。状況は大きく一歩進んだかと思われた。
(引き続き以下/第二号の編集レポートから抜粋)

●まだセンテンスが成立しえない。

 地震以来、何が嬉しいことだと言っても、この暖かさに勝るものはない。春の訪れに心を動かすことはこれまでにも幾度かあった。でも、今はそんな季節感ではない単にこの物理的な暖かさ…、温度としての温かさに身体の芯から救われる思いをしている。
 市外に足を伸ばし、何度かいただいた風呂、いくら湯を沸かしても、どれほど長時間浸かっていようが、身体の芯まで温まることはなかった。その固まった芯がやっと最近この穏やかな気候の中で緩んできている。

 この二ヶ月余をどうレポートすればよいのか、特にこの一ヶ月ばかりのことをどう報告すればよいのか正直戸惑っている。
 時折、創刊号を読み直すが、よくぞこんなものをこの時期に作れたものだと、自分自身でも呆毛にとられる。地震直後の異常なテンションが産み落としたものとしか言いようがない。事実多くの人が多少の好意を含めて「冗談だろう?」と言ってくれた。また相応の批判もいただいた。けれど、辛いのは「一体、何を、どう、誰にアピールしたいのか分からない本だ」としごく冷静に評されること。そうゆうご意見をいただく方々の外野席での立姿が、私たちからいかに遠いものか。
 その批評も多くは「みんなに読んでもらい、この小誌がいくらかは売れるように」との好意を含んだ上でのアドバイスであることは承知している。「せっかく作ったんだから、もっとコンセプトをしっかり打ち出そう!」これらの忠告が雑誌つくりには欠かせないことだとは重々承知している。
 しかし「何」とは何なのか「どう」とはどうなのか「誰」とはダレなのか。そんなことが地震直後に明確に了解できていたならば、決してこの小誌は産まれてはいなかったことだけは断言できる。
 「食料」を「車に満載」して「職員」が「運ぶ」
 「消防隊」が「水」を「放水」して「消す」
こんなセンテンスすらも成り立たない時に、あの直後の「思い」や「叫び」を「誰」に「どう」「アピール」する為の編集を冷静に組み立てようなんてことができただろうか。決して言い訳しようとするつもりではない。「思い」や「叫び」をただ無念と涙で包んで飲み込むざるを得なかった人々がいた中で、幸いにして「R誌」というささやかな場を与えられたに過ぎない。
 「地震ジャーナル」という刺激的な発信方法をとってしまったが、実質は単に個人の「思い」をただ吐露する場でしかない。そういうやり方でないと、少なくともこの一年は持ち堪えないだろう。私たちのキャパはとても小さいこともあるし、「誰」とか「どう」とかを見定められる状況ではないのだ。そういう意味で私たちの足元はまだ揺れ続いている。  

●内的ガレキをどうするのか?

 物的な回復が進むにつれ「心のケア」が方々で叫ばれている。
 物的なダメージはさまざまであったけれど、精神的なダメージ「内的なガレキ」とでも言えるか、これは物的なものとは比べようもないほど多様で複雑きわまりない。ますますこれから増加し続けるだろう。
 地震ショックとに加え、それ以降に派生した多くの問題の中で増していく精神的苦痛、圧迫、混乱、それらに「誰」が「どう」明かりをさし示していくのか私にはなかなか見えてこない。
 今、それを見つめる上で大事なことは、それらのほとんどが地震以前からの問題であったり、私たちの生活にもともと内在していた課題であるということだ。以前なら、それらを先延ばしにしたり、見過ごしたりできていたものが、この生活の激変で、一挙に噴き出しているのだ。これらは言うならば、地震とはさほど関係ないことなのだ。

 「年老いた親」それを突然失った人たちの「思い」を代弁することは私にはできないし、しかし、幸いにも失わずにすんだ私たちにも「これから親たちとどう暮らしていくのか?」と目の前に突き付けられている。生き残った者たちの贅沢な問題だ。(この項続く)

 片方では闘いの狼煙を上げながら、一方ではもう昔を振り返って弱音とも愚痴ともつかないことを書いている。これも戸惑いの風景そのものだが・・・。 

(続く)

十二支が巡り、亥がまたやってきました。しばらくはスローライフ自然薯や遊歩のブログは休憩して、震災関連の回想ブログになります。重い話で恐縮します。自然薯の植え付け頃には土臭い話に戻れると思います。

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