山笑う、山滴る、山装う、山眠る

 このカテゴリーは、日本原産種の山芋・自然薯(自然生)生産団体に携わっていた頃の記事を中心に、折々のイベント、古き文人たちと山芋の関わりなどを歳時記風に記したものを集めています。

春山淡冶にして笑うが如し
夏山蒼翠にして滴るが如し
秋山明浄にして粧ふが如し
冬山惨淡として眠るが如し

春山淡冶にして笑うが如し

 山滴る季節、御縁の皆様方におかれましては・・・、と時候の挨拶にも使われる「山滴る」は俳句の季語でもあります。この言葉は中国、北宋(960年~1127年)の山水画家・郭煕の言葉で、「四時山」という漢詩が原典のようです。
日本では、正岡子規が初めて俳句に用いて夏の季語として使われるようになったとも言われています。因みに「山笑う」「山装う」「山眠る」もそれぞれ春、秋、冬の季語になっています。
 山を巡りその四季の風情を追い求める輩にとって、これほど簡潔でぴったりな言い表しには全く脱帽するところで、山の幸「自然薯(自然生)」にとっても、これはまさしく自らのフィールドを言い得て妙と納得するに違いありません。
 早春、地中で眠っていた山芋も、山面の萌えた感じ、淡冶(たんに)さに微笑んで、地上へ芽を押し上げて来きます。そして、この頃(夏)となれば、草木の瑞々しさが辺り一面に滴り、たっぷりの陽光を求めてツルを精一杯に伸ばし、葉を茂らし始めます。

夏山蒼翠にして滴るが如し


 そして、多くの植物がそうであるように、山芋たちも秋に向けて花を咲かせて実を付けます。その装いの秋になってからようやく地下では、芋部が太ってきます。冬への準備が始まるのです。たっぷり夏秋のエネルギーを栄養として蓄えます。
 太古より、人為的な栄養がない山中の腐葉土で育ってきたじねんじょう山芋は、栽培の畑でも同じく人為的な栄養や、有機でもあってもその栄養過剰を嫌います。水と光と空気というシンプルな三要素で、肥料なしでも逞しく育つのが本来の姿です。その野生の元気さが、外来のひ弱な野菜たちと違う所でしょうか。
 そして、準備を終えた山芋たちは、ツルを自ら切って地中で長い冬を眠って過ごすのですが、この当りで人間様やイノシシが都合良く登場して、その豊かな恵みをいただいてしまう訳です。ところが山掘り人もイノシシも心得たものです。ちゃんと春には芽が出るよう首部を残しておく知恵があります。
 イノシシの食い残し、ガリガリ齧られ傷ついた芋からでも、腐らず春には芽を出します。その元気さこそ、今日よく言われる健康機能性の素がぎっしり凝縮されている由縁なのでしょう。実に有難い植物です。

秋山明浄にして粧ふが如し
冬山惨淡として眠るが如し

 

■山芋人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
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貴族・宮廷食「芋粥」って?(芥川龍之介)

貴族・宮廷食「芋粥」って?芥川龍之介

▲芥川龍之介と再現された「芋粥」

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 じぃさんが高野山の坊主だったせいもあって、「芋粥」と言えば、白粥にサツマイモを入れた粥を宿坊でよく喰わされたのを思い出す。(わたしは大好きやった)
てなこともあって、芥川龍之介「芋粥」って何なん?と、話が出た時も、子供の頃に寺でよく食べた、粗食の象徴のような坊主粥のイメージが真っ先に浮かんだ。

 しかし乍ら、原典となった平安時代の「今昔物語」の某五位(しがない中年役人)と山芋粥にまつわるお話では、いささか事情が違ってくる。この話の舞台は、サツモイモ(唐芋)が、大陸から列島にやってくる何百年も前の時代で、しかも、宮廷の超グルメコースの〆を飾る「珍味・佳味」の代表食・宮廷粥として登場してきますので、坊主の修行食の粥とは〝天と地〟ほど差のある別世界の代物です。

 芋は、大量生産が可能なサツマイモと違い、当時から〝珍味・佳味〟と重用された希少な天然の山芋(自然薯)を使用、それを刻んで、当時においてはこれまた貴重な甘味料であった甘葛(アマヅラ)で煮込んだものが、「万丈の君にも献上された」といわれる超高級スイーツ「イ・モ・ガ・ユ」である。坊主粥とは月とスッポンほどのステイタス差、さもありなん。

 何と!この幻の珍菓を再現した方が居る!?と驚くほどのことでもない。鎌倉時代の料理書『厨事類記』にもレシピが紹介されています。山芋を薄く切って、甘い汁でさっと煮るだけ、天然山芋やアマヅラらしき物もネットで仕入れる事ができる時代だし、腕の立つ調理人でなくても、料理下手の野郎でも雪平鍋さえあれば簡単に作れる代物です。 
 アマチャヅル葉のお茶を煮詰めたり、米飴や蜂蜜を代用したり、メープルシロップを使ったり、アマズラの代りにいろいろと甘味料を使って工夫はできるのものの、やはりそれぞれの甘さのもつ香り・風味は微妙に違うだろうし、自生の山芋がもつ野生的な山の風味とのマッチングを想像するに、やはり本物の「芋粥」を味わうには、これまた「アマヅラ」をその時代のやり方で再現するしかないでしょうがこれがまた大変な作業です。

 アマヅラはツタの樹液を煮詰めてシロップ状にした甘味料だそうだが、カエデの樹皮を傷つけて、そこから流れでる樹液を自然に摂ることが出来るメープルシロップと違って、ツタから「みせん」と呼ばれる樹液を集めるのはそう簡単ではありません。この液を抽出するために棒状に切ったツタの枝の片方を口でくわえ、息を吹き込むと反対側からじわっと液のしずくがこぼれてきます。この樹液を鍋一杯に集めるのに大変な労力が要るのです。一人でフーフー頑張っても何日かかるか分からない大変な作業。そしてこの集めた「みせん」をシロップ状に煮詰めてしまうと、わずか何十分の1の量にちじこんでしまう。(現代では生産性から考えて商品化は無理)
 この古代の貴重な甘味料「アマヅラ」の再現を試みた公開実験(奈良女子大)をネットで発見、大変さの詳細はこちらで

芋粥、食うべきか喰わざるべきか?

 話を小説「芋粥」に戻して・・・。

 才覚もなければ風采もあがらない、しがない中年の下級役人の五位の侍、日ごろ同僚からも馬鹿にされ、道で遊ぶ子供に罵られても笑ってごまかす、情けない日常を送っている。しかし、そんな彼にも、ひそかに持っているある夢がある。それが「芋粥を、いつか飽きるほど食べる!」というもの。
 ある集まりの際にふとその夢をつぶやき、その望みを耳にした藤原利仁が、「ならば私が、あきるほどご馳走しましょう」と申し出る。五位は戸惑いながらその申し出に応じ、利仁の館へ赴き、そこで用意された、大鍋に一杯の大量の芋粥を実際に目にして、五位はなぜか食欲が失せてしまうというストーリー。

 手の届かない時は羨望していたものが、いざ手の届く場所にきてしまうと、とたんに興味が薄れてしまう・・・。芥川によって軽妙に描かれたこの人間心理のカラクリ、現代においてもこの「幸福感・幸福観」はなんか胸をつくものですね。 

◼︎写真拝借/芋粥を作ってみた(アラフォーおひとり様DE漫遊記)

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バックパッカー芭蕉・おくのほそ道にみる〝遊歩〟(松尾芭蕉)

秋山明浄にして粧ふが如し(むかご編)

▲山芋の蔓にぶら下がる子実・零余子(むかご)

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  秋山明浄にして粧ふが如し

 俳句での季語は「むかご」が中秋九月、「山芋」は晩秋十月となっていますが、実際のところは「むかご」は十月、「山芋」では十一月以降が収穫の最盛期となります。今回はこの「零余子(むかご・ぬかご)」についての四方山話を。

 山中だけでなく緑地や公園等などと案外と身近なところでも目にしている「むかご」ですが、風にあおられり、採ろうとするとポロリと落ちて藪や草むらにあっという間にきえてしまうとところから「幻の山菜」とも呼ばれています。本年は、秋が深まってから立て続けに台風が上陸しそうだというので、あたふたと収穫を急いだ農家さんも居たのではないでしょうか。
元々、収穫に手間取るところから作物というより、むかご飯など農家の賄い用に使うのがほとんどで、直売所にチラッと顔を出すことがあっても、一般の市場には出回ることがありませんでした。
 
 最近、料理研究家の枝元なほみさんが「チームむかご」を結成されて、この「むかご」を一般流通食材として、世に送り出そうと農家の方々を巻き込んだプロジェクトを発足。「むかご市場」などのユニークな活動を始められ、最近はやや認知度がアップしてきたようです。この零余子ですが古くから身近な山の幸として親しまれていたようで、多くの俳人・歌人に謳われています。江戸期を代表する俳諧たちの句にも夫々に登場しています。

 きくの露落て拾へばぬかごかな 芭蕉
 うれしさの箕にあまりたるむかご哉 蕪村
 汁鍋にゆさぶり落すぬか子哉 一茶

 明治に入って創作性を追求した正岡子規をはじめ、個人の生き生きした感性を謳歌する近代俳句が隆盛をきわめますが、その子規から門下生、大正・昭和にわたる数多くの俳人や物書き達の句にも表情豊かに「むかご」は登場しています。

 ほろほろとぬかごこぼるる垣根哉 子規
 黄葉して隠れ現る零余子哉 虚子
 野分あとの腹あたためむぬかご汁 石鼎
 零餘子もぐ笠紐ながき風情かな 蛇笏
 瓢箪に先きだち落つる零餘子かな 蛇笏
 笊のそこにすこしたまれる零余子かな 風生
 八千草のあさきにひろふ零余子かな 青畝

 中でも女流俳人の句には女性ならではのきめ細かい情感が感じられます。

 ぬかご拾ふ子よ父の事知る知らず かな女
 拾ひたむ庵の零余子や昨日今日 淡路女
 みがかれて櫃の古さよむかご飯 久女


 また、小説家の句にも顔を出しています。やはり彼の時代には、生活の身近な処に「零余子」が居てごく自然なモノとして親しまれていたようです。

 手一合零余子貰ふや秋の風 龍之介
 雨傘のこぼるる垣のむかごかな 犀星

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「山うなぎ」食べること自体が仏道の実践である!?

自然薯のとろろで作る精進うなぎの蒲焼き

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 日本食がなぜ世界的に認められるのか?

 日本食が世界遺産に登録されこの誇らしい文化が、世界的にますます普及しつつあるのは嬉しい限りです。東洋の小さな島国の「食」が普遍的な評価をうける訳は、その長寿国の基となった健康食であることもさりながら、根幹の一つにある精進料理の精神性も大きい。

 精進料理の中に「もどき料理」がある。「雁もどき」はその典型的なレシピ名。精進うなぎ(山芋の蒲焼き)も同様で、山芋を摺りおろしたとろろを、皮に模した海苔にのせて揚げたり、焼いたりするとうなぎの蒲焼きに〝姿も味わいもよく似たもどき料理〟が簡単に出来上がります。〝自然薯など上質の山芋〟だと、味付けらしい味付けをしない、摺り下ろしただけの〝生とろろ〟からでも、それらしい風味・食感を堪能できます。山うなぎと言われるだけに当然ながら栄養価も高い。
 
 精進料理といえば、茶道の形に則した懐石料理と永平寺で道元が確立した禅の料理などが代表的ですが、共に奥深いというか、洗練が極まって単なる食文化にとどまらず芸術・哲学の領域へと高められている。絶妙たる日本文化の誇るべきところです。
1970年代に気鋭の料理人ボキューズたちが産み出した新しいフランス料理、世界中に爆発的に広まった「ヌーベル・キュイジーヌ」には、精進料理である懐石料理の多くのコンセプトが取り入れられています。

 和の伝統食が菜食中心の健康食という点だけに注目を浴びているのではなく、料理をすること、食べること自体が仏道の実践であるという禅の教えに暗に共感を与えている所も大きいでしょう。
 多様化、複雑化、情報化する現代生活でありますが、生き物として食材と向き合い、生命を同化する。考えればこれが生活の第一義である。グルメとか贅沢志向とかではなく、ピュアに食べ物と向き合い、シンプルに頂戴するのが精進の第一歩なのでしょう。と言っても、多くの凡人はついぞ肉っけについ惹かれてしまいます。”もどき”は煩悩のなせる愛すべきレシピなのです。

追加記事
 この記事を書いた翌朝(今朝)ニューヨークで「ゼン バーガー」という肉の代わりに大豆を使ったハンバーガーが大人気で大行列が出来ているニュースを見ました。アメリカ版もどき料理です。”ゼン”はもちろん”禅”のことです。

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■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
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「吾輩は猫である」山芋(自然薯)の値打ち

 自然生山芋(自然薯)畑では、野性的な山芋の面構えからは想像もできない可憐でかわいい自然薯の花が一斉に咲き乱れ、いよいよ零余子(むかご)が結実するシーズンを迎えようとしています。

 ほろほろと むかごこぼるる 垣根かな

 この正岡子規の句は、人物歳時記(2)の高浜虚子の項でご紹介しましたが、この子規に、文学的にも人間的にも多大な影響を受けた学友に夏目漱石がいます。後に子規の後継者となる高浜虚子に小説への道を誘われます。そして、雑誌「ホトトスギ」に「吾輩は猫である」を発表し文壇へデビュー。これが好評を得て、翌年には、漱石も教師として在籍した松山中学を舞台にした「坊っちゃん」などを執筆、文人への道を歩みます。
この小説「坊っちゃん」のモデルと言われる弘中又一は、自然薯の特産事業がすすむ湯野温泉の出身で、漱石との交友をはじめ、教育家としての業績・足跡が注目されており、地元史家によって掘り起こしの研究が現在盛んです。

 今回は、漱石と自然薯(山の芋)との絡みはないものかと調べてみました。すると早速処女作で、ある軽妙・爽快な語り口が愉快な「吾輩は猫である」の中に自然薯にまつわるのエピソードが描かれています。当時の「自然薯」への庶民感覚が伺えますので紹介したいと思います。

 「吾輩」の主人(飼い主)である苦沙彌先生宅に泥棒がしのび込んできます。
奥さんの枕元には四寸角の一尺五六寸ばかりの釘付けにした箱が大事そうに置いてあります。書生である住人多々良三平君が先日九州・唐津へ帰省したときに御土産に持って来た山の芋です。
 何も御存知ない泥棒は、この山芋の入っている箱をさぞ大事なものと思い込み博多帯でくくって盗んでいきます。翌日、盗難に気づき警察に届をだすと、巡査さんがやってきて調べが始まります。苦沙彌先生と奥さんとの盗難届けを書くやりとりが軽妙に続きます。

 「黒繻子と縮緬の腹合せの帯一筋・・・価はいくらくらいだ」
 「六円くらいでせう」
 「それから?」
 「山の芋が一箱・・・ねだん迄は知りません」
 「そんなら十二円五十銭位にしておこう」
 「・・・いくら唐津から掘って来たって十二円五十銭は堪るもんですか」


 枕元に自然薯を置いて寝ているいるのも可笑しなものですが、山芋をあれこれ値踏みしているところも可笑しい。
 釘付けのみやげ箱の大きさが、だいたい12cm×50cm位のサイズすから、よく入って500g程の山芋が2本位入っていたのでしょうか? 当時は、自然薯の栽培技術などありませんですから山掘り職人が山から掘ってきた土産ものでしょう。
 この「山の芋」を帯の値の倍ほど、12円50銭にしておこう!と苦沙彌先生はフカス(水増しする)のですが、一体この金額は現代でどれほででしょう?
小説の明治時代(1905年頃)では、1円の価値はいくらか、物価指数などでも想定はできますが、分かりやすい公務員の給与で換算してみましょう。学校教師の初任給が8~9円の時代ですから、おおよそ1円が2万円位と目安してよいでしょうか。これで換算して見ると、主人の言う12円50銭なら、なんと25万円程ということになります。
 奥さんが「それは余りにも法外な・・・」と言っていますが、このエピソードから、自然薯は当時も希少な珍品で高価なものだったというイメージがよく伝わってきます。

 ちなみにこの日本のソウルフード現代では、市場にはなかなか出回りませんが、初冬の頃にネットでの販売を見かけることがあります。栽培物は廉価(3〜4千円╱kg)ですが、天然の山彫り物は1〜2万円╱kgとやはりお値打ち品となっています。


■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
小説「坊ちゃん」の正体・・・(弘中又一)
零余子蔓 滝のごとくにかかりけり(高浜虚子)
貴族・宮廷食「芋粥」って?(芥川龍之介)

■読本・文人たちに見る〝遊歩〟(2021年追記)
解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
世界と通じ合うための一歩一歩(アルチュール・ランボオ
バックパッカー芭蕉・おくのほそ道にみる〝遊歩〟(松尾芭蕉)

〝能〟のある食物・挺身の植物

ブロッコリー

 机の上で天空を目指して芽を吹き出した自然薯を見て書いた「脳のある植物」という記事があります。もう4年も前の記事で「思考する植物」に関しての感想を書いたものですが、これが私のブログでは群を抜いてアクセスが多かった。参考資料をいただいた南大谷クリニックさん等の経由で訪れる方たちなのだろうと思いますが、アクセス解析ではこのキーワード「脳のある植物」がいつもトップで、PVトータル数でもダントツであった。
 しかし、この1ヶ月は殆どこのルートでの訪問者が居ない。おかしいなと思って実際に「脳のある植物」でキーワード検索をかけてみた。すると、「あっ!そうか」とポンポン膝を打って納得する次第。検索結果に現れた結果は・・・ 
どれもこれも「放射能のある植物」「放射能○×植物」「植物・・放射能」というタイトルがずらり、何ページにも渡って並んで、3・11以前には、考えられない内容の情報に埋め尽くされている。
(後で気付いたのですが実は「〝能〟のある植物」と変換ミスのまま検索していた・・・)

植物による放射能物質の除去

 おそらく放射能と植物の関連に関しても、各分野でチェルノブイリでの事故以降の様々な事象と、因果と、試みなどの情報が今、必死に精査されていることでしょう。
 とある大麻関連サイトで、汚染物質除去のために、チェルノブイリ周辺に産業用大麻を植えるプロジェクトの記事があった。植物による土壌浄化は、ヒマワリや菜の花でも提唱されているので、わずわざ産業用大麻でなくても良いのだが・・・・。

 「寒地土木研究所」の防災地質チームが、報告している「ファイトレメディエーション(植物を用いた地盤の浄化法)」が俄然脚光をあびて、このページへのアクセスが急増している。カドミウムやスズの重金属を植物に濃集させて回収させ土壌洗浄する研究は各国では従来より盛んであったようですが・・・
★レポートの一部に
「(※重金属以外にも)放射性物質を吸収する能力も研究されている例があり、それによるとヒマワリの根を用いた水耕栽培試験によりセシウム、ストロンチウムを蓄積することが判明した内容である」(※筆者加筆)

「危険性が失われるまで30年以上かかる放射性物質を20日間で95%以上も除去できる能力を有する結果が得られている」という具体的な数字は、どうやら削除されているみたいですが、とにかくこれは今注目に値するレポートでアクセス集中も当然です。

 自然の仕組みとは言え、この数字の威力には全く頭が下がる思いです。ただし、この方法にも様々な問題があります。どんな放射性物質を吸収できるのかとか、身を挺して土から放射性物質を吸い取ったヒマワリ自身は汚染されたままなので、このヒマワリの処理をどうするのかがまた課題となります。
 自然の摂理を超えた人の傲慢が産んだといえ、ホントに放射能とは厄介なものです。
我が家の十坪菜園のキャベツとブロッコリーは穀雨に打たれぐんぐん育っております。

脳がある植物・思考する植物

没入の境地!自然薯掘り

時間を忘れ、ひたすら掘り進む

初めての天然山掘り・没入のごとし

 田んぼの収穫が終わって一段落つけば、次は芋掘りと相場が決まっていました。芋掘りはサツマイモが多いでしょうか。山芋が好きな人は年末年始用のグルメ食材をと山に入って、秋口から狙い定めていた自然生(自然薯)を掘ります。そして、手があいた時に秋冬野菜の種も蒔いておきます。
一般的な農家のライフスタイルなら、「刈ったぞ 掘ったぞ 蒔いたぞ」という具合なのですが、山頭火におきましては、次のような句になっています。

 刈るより掘るより播いてゐる

「貧農生活」という表題もついてあるところから、まあ、のんびり楽しくしたためた句という訳にはいないのでしょうか。句評にもこうあります。
「稲も刈りました。薩摩芋も掘りました。それをすぐさま口にする余裕はありません。汗をぬぐい水を飲み、直ちに次の作物の種まきにかからなくてはなりません」貧乏暇無しの言葉が切実に響く時代だったのでしょう。「貧しい農夫、農家を案じています」と・・・。

 友人のM君が、初めて天然の山掘りに挑戦いたしました。
何処を掘るかは、それぞれに技や方法があるようですが、ともかく葉が黄化し始めた頃は、遠目でも黄金の滝のように見えますので自然生の群生地は簡単に発見できます。その頃に葉形やツルの太さ、そして零余子(むかご)採りながら良く形状等をチェックしておきます。
葉形は細長いハート型が真芋に近く、横太りのアゴの張ったハート型(トランプのハートに近いもの)は、毒性のあるオニドコロの場合もある。その違いは「野老(ところ)と自然薯」の項目を参照下さい。能面写真の左の葉が自然生(自然薯)で右の葉っぱがオニドコロです。一番、確かな区別は、自然生の葉は対生でトコロは互生です。
 ツルの太さは、太いほど大きな芋が出来ている可能性が高いのは当然です。褐色でこじんまりキュッと艶のあるムカゴを付けているのは美味しそうです。長芋のような大きい艶のない灰色のむかごのツルには、それに相応した山芋が育っていると想像できます。

 山芋掘りは、実に面白いプロセスを体現させてくれます。男性の狩猟(収穫)本能をかき立てるのかも知れません。単に山芋を掘るのでなく、「折らずに穫りたい」というような作業美学も加わってしまうと、数倍の労力を費やして馬鹿でかい穴を何時間もかけて掘り続けます。
子供らと一緒の時は、子らはとっくに飽きて違う遊びをしている中、父さんは黙々と掘るというような事になる。この没入の境地に到るプロセスを見事に体現させてくれるのが山芋掘りです。
 自然薯やむかごをよく詠む高浜虚子に

 鵙高音 自然薯を掘る 音低く

 という句があります。実にそのプロセスをよく描いています。モズが、チチィー!と鳴いている場面を切り取った一瞬と、ズシッという土を削る音との対比からは、静かな山中の穴掘りの長い時間をも感じさせます。

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夏目漱石「坊ちゃん」の正体…

▲湯野温泉郷に流れる夜市川のほとりに建てられた坊ちゃん先生の像

 早くも来週は12月(師走)。12月にふさわしい人物歳時記の題材を探しているとき不図、思いついたのが〝師走〟の走り回っている〝師〟とは誰・・・? 今月はひとつ〝師〟で真っ先に思い浮かぶ〝先生〟に因んだ話題をと思い、周南市の湯野温泉郷出身の「坊ちゃん先生」こと明治の教育者「弘中又一」を取り上げることにしました。

 自然生山芋の生産地の一つでもあり、古くから湯治で名の知れた温泉郷「湯野」、癒しの湯と健康食材の自然生山芋がよくマッチして現在特産・地域ブランド化が進んでいます。この集落の傍を流れる夜市川のほとりに、温泉街とは少し拍子(トーン)の異なった「釣りをする坊ちゃんの像(上の写真)」なるものがあります。この像が、湯野出身で「教育は王道なり」の言葉をのこし、近年、教育者としての生涯に評価を高めている「弘中又一」の少年時代の姿だそうで、彼を顕彰するために作られたモニュメントの一つです。やや山手の高台には、彼がのびのびと少年時代を過ごした生家と、没後、故郷での供養のために設けられた墓所があり、その近くに記念公園も作られています。

 弘中又一は、同志社を卒業後、明治二十八年愛媛県の松山尋常中学校に教師として赴任しました。その日の夜に同じく同年に赴任した夏目金之助(漱石)の訪問を受け、その後の長い交流がはじまったといわれます。
 当時の生徒からは、童顔からの印象なのでしょうか、「ボンチ先生」(ボンチとは松山地方でぼっちゃんという意味)と呼ばれていたそうです。互いに一年で松山中学校を去りますが、当時の学生達の数え歌に残るような個性的な名物先生ぶりだったようです。

 「一つや!一つ弘中シッポクさん」
 「七つとや!七つ夏目の鬼瓦」


 シッポクを四杯も平らげ、それを教室で生徒からからかわれた騒動を皮肉られたものらしい。その他「赤シャツ」や「鈴ちゃん」など小説「坊ちゃん」に登場するモデル達もこの数え唄の中で歌われています。

 よく「坊ちゃんのモデルは誰であるか、夏目自身なのか?」と取り沙汰されますが、今では弘中又一説が一般的です。
 弘中自身も後年の手記に「主人公の坊ちゃんにしても、夏目自身のこともあり、僕のこともある。夏目と僕とは、毎日の出来事やら失策を互いに話しあって笑い興じることが多かったので、自然に二つが一緒になって一つの坊ちゃんが作り上げられているように思う。ただ、渡辺君(山嵐のモデルといわれる)は夏目とあまり交際がなかったので、山嵐相手の坊ちゃんは、僕である」と記している。

 松山中学から西条中学、そして徳島の富岡中学へ。小説家の羽里昌氏の「その後の坊ちゃん」によると、時の総理大臣・山県有朋の養子であった徳島県知事・山県伊三郎の激励のエピソードも紹介されています。
徳島でもよく生徒に慕われ、一目置かれる存在のようだった。当時の生徒の回想を綴った「小説『坊っちゃん』の其後」と題した記事の中で当時の名物先生ぶりがよく紹介されています。(次回に続く)
※主な経歴などは、月間「まるごと周南」2009年2月号から抜粋させていただきました。

 12月7日は『大雪』、22日は「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」の『冬至』、冬の気配が現れてくる頃です。旧暦の『師走』の「師」は俗説の「恩師」でなく本来的には「御師」(神社の参拝を世話する人)のことのようです。


■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
小説「吾輩は猫である」自然薯の値打ち(夏目漱石)
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何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
世界と通じ合うための一歩一歩(アルチュール・ランボオ
バックパッカー芭蕉・おくのほそ道にみる〝遊歩〟(松尾芭蕉)
傑出した〝ご長寿百歳遊歩〟(葛飾北斎

人物歳時記・高浜虚子(零余子蔓 滝の如くにかかりけり)

▲黄葉が始まった山中の自然生は、黄金の滝のように目に映ります。丸い子実が零余子(むかご)

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 現在、NHKで製作中のスペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」(原作:司馬遼太郎)は、近代日本の勃興期に陸海軍へ身を転じた秋山兄弟と、近代文学に大きな影響を与えた正岡子規の旧制松山中学出身の三人の人物を縦糸に、その他に登場する多くの青春群像を横糸に描いたものですが、子規に係わって夏目漱石尾崎紅葉、そして弟子の俳人高浜虚子河東碧梧桐などの文人らも多く登場します。「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という句で有名な正岡子規ですが、「ほろほろと ぬかご(むかご)こぼるる 垣根かな」という自然生にまつわる句を一つ残しています。(むかごはジネンジョの子実・10月の季語)
 この子規に兄事し俳句を学び、後に俳誌「ホトトギス」で俳壇を確立した高浜虚子においては、冒頭の句をはじめ、ジネンジョにまつわる句がいくつか残されています。きっと少年期から、山芋掘りに興じて、ジネンジョ(自然薯・自然生)や零余子(むかご)に親しむ体験があったのでしょう。

 零余子蔓 滝の如くに 懸りけり 
 黄葉して 隠れ現る 零余子蔓 
 零余子蔓 流るる如く かかりをり
 鵙(モズ)高音 自然薯を掘る 音低く

生涯、二十万句

 明治二十一年、伊予尋常中学に入学。一歳年上の河東碧梧桐と同級になり、彼を介して正岡子規に兄事し俳句を教わり、子規より虚子の号を受け、明治二十六年、碧梧桐と共に京都の第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)に進学。この当時の虚子と碧梧桐は非常に仲が良く、寝食を共にしその下宿を「虚桐庵」と名付けるほどでした。共に仙台の第二高等学校を経て上京、東京都の根岸にあった子規庵に転がり込みます。
 明治三〇年、柳原極堂が松山で創刊した俳誌「ほとゝぎす」に参加。翌年、虚子がこれを引き継いで東京に移転し俳句だけでなく、和歌、散文などを加えて俳句文芸誌として再出発させました。
 子規の没後、五七五調に囚われない新傾向俳句(山頭火はこちらの系譜)を唱えた碧梧桐に対して、虚子は大正二年の俳壇復帰の理由として、俳句は伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱え、季語を重んじ平明で余韻があるべきだとし、客観写生を旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐と激しく対立しましたが、碧梧桐の死にあたっては、嘗ての親友であり激論を交わしたライバルの死を悼む句も詠んでいます。俳壇に復帰したのち虚子つまり「ホトトギス」は大きく勢力を伸ばし、大正、昭和期(特に戦前)は、俳壇に君臨する存在になりました。
 昭和三十四年四月八日、八十五歳で長寿を全うされ、その生涯に二十万句を超える俳句を残しました。
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■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
小説「坊ちゃん」の正体・・・(弘中又一)
小説「吾輩は猫である」自然薯の値打ち(夏目漱石)
零余子蔓 滝のごとくにかかりけり(高浜虚子)
貴族・宮廷食「芋粥」って?(芥川龍之介)

■読本・文人たちに見る〝遊歩〟(2021年追記)
解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
世界と通じ合うための一歩一歩(アルチュール・ランボオ
バックパッカー芭蕉・おくのほそ道にみる〝遊歩〟(松尾芭蕉)

野老(ところ)と自然薯

左はヤマノイモ(自然生・自然薯)右がオニドコロの蔓葉と

 農業新聞の連載コーナー「やまけんの舌好調」にトコロ(野老)を食べた話が書いてあった。自然薯に似たトコロは苦くて食えない。イノシシも嫌がる山芋と言われ、一般的には「有毒なので食べるべからず」と記された資料が多い。中にはこの芋の根を細かく砕いて川に流し、魚を麻痺させて捕えるという漁法もあるとか。
 果たして、有毒といわれるトコロ(野老)にレシピなるものなどがあるかどうか気になって調べてみた。

 〝エビ〟を海老と書くのことに何の躊躇はないが、野老と書いて〝トコロ〟と読むのは非常に奇異で困惑する。エビもトコロも長いヒゲがあって、それを老人に見立てた、との故らしい。海老に比べ野老は馴染みが少ない。漢字変換にも顔を出さない。
 地方によって、古来からヒゲ根を正月の床に飾って長寿を願う風習があって「野老飾る」は季語にもなっているとのことだ。現代では専門語のような扱いで一般的に使われなくなったのは、海老は美味くてどんどん食べ、野老は不味くて食卓から遠く離れていったからだろう。

 この有毒とも言われるトコロですが、(まあ実際は強力な苦み、アクでお腹をこわすという程度のものだろうと想像しますが)この不味い(正確には苦い)トコロを食べる地方がある。前述のやまけんさんが食したのは岩手県で、東北地方にはトコロをじっくり灰汁で煮て水にさらし調理したものを愛食する方が多いらしい。苦みを楽しむ、味わう、やまけんさんも「美味しくない美味しさ」がとても大切だと言っておられます。
 この「美味しくない美味しさ」の重要性が何なのかは次回(食育編)にて触れるとして、「野老ばなし」あと二つだけ。

 此山のかなしさ告よ野老掘  芭蕉
(「真蹟懐紙」には「山寺の悲しさ告げよ野老掘り」とある)

 俳句の才がないので上手に味わうことができませんが、芭蕉が句に使うぐらいですから「トコロ掘り」はごく日常的な風景だったのでしょう。

 在原業平が野老(ところ)が多く生えているのを見て「この地は野老(ところ)の沢か?」と言った事が由来で「所沢」という地名が残ったという話はわかりやすい。(所沢市情報サイトより

 ★写真の左はヤマノイモ(自然生・自然薯)の写真です。
 簡単な見分け方→自然薯は葉が対生で、トコロ(野老)の類は互生です。
分類学上、日本には18種のヤマノイモ属の植物があってトコロと名がつく種もいくつかありますが、オニドコロ(学名;tokoro)がヤマノイモ種(学名:japonica 通称:自然生・自然薯)に葉の形が一番似ています。気をつけて観察して下さい。

■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
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