こんなブログにも「いかにも共感した」というような顔をして、災害用のグッズの宣伝TB(トラックバック)を付けていく無神経な奴がいる。気分は良くないが、このご時世少しは大目にみてあげよう。
しかし震災時、復旧が進んできた頃、ボランティアの顔して近づいてきた人が、ある時期から「火事場でひともうけ」とビジネスを始めた。挙げ句にあれこれ見返りを要求してくる。こういう類いの連中には本当、心を挫かされた。この時期で一番辛いことのひとつであった。
商売で乗り込んできているなら最初から堂々とビジネスをすれば筋は通るのだ。現に「いくらでやりまっせ!」「こんだけで売りまっせ!」などと色々な交渉ごとは一杯あったのだ。それはたくましい性根と言っていいだろうが、ボランティアの皮をかぶった卑しい性根はどれだけ人を傷つけたか、いま思い起こしても憤然としてしまう。本日は何やら筆が進まない。
【1995.1.20/震災4日目メモのメモ】
会社/社長がいたって元気。陣頭指揮をとっている。
崩壊した本社社屋から書類を回収する。
背中をかがめて潜り込む。思わず足がすくむ。おかしなものですぐに慣れた。
でないと神戸では何も出来ない。
専門家が、別館ビルは崩壊の危険性が高いと「赤紙」
このビルでの再起にかけていた社長は肩を落とす。
社員に動揺が走る。だれがどう取りまとめるのか。
刻々と状況が変化する。その度に振り回される。
避難所/Dさん母娘は風呂へいったそうだ。近くの風呂屋が再開したらしい。
銭湯の周囲に百人を超える人が並んでいる。一体何時間待つのか。
実家/姉から両親の避難の要請がうるさい。
車も動けず、足腰の弱い二人をどうやって避難させるのか。
つながる限りに電話をかけ続けた。お蔭でほぼ近しい知人は大過ないことが分かった。
妙に、興奮している。頭の中が昂っている。
(これはメモではないが/今日の昼頃、会社で感じた興奮がさらに高まってきたと思う)
「どこかが焦げ臭い」と母が言い出す。マンションの周囲を幾度も回る。
興奮がおさまらず朝まで眠れなかった。
母も眠れなかったようだ。
十二支が巡り、亥がまたやってきました。しばらくはスローライフ自然薯や遊歩のブログは休憩して、震災関連の回想ブログになります。重い話で恐縮します。自然薯の植え付け頃には土臭い話に戻れると思います。
(*このコメントは震災の12年後である2007年当時の旧ブログのものです。現在(2021年2月)、誤字などを訂正しつつ、本ブログへデータ移行しています)