〓 原型復帰という恐怖2〔No.13〕

地震直後、ある公衆電話には誰でも緊急にかけれるよう
小銭が積まれてあった。最近はその小銭を持っていく
奴がいる。ああ、復興が始まっているのだな・・・


 ここ数日の遅れを取り戻すべく昨日と今日とで約1週間分のメモを取り急ぎ掲載しました。
これで、実日と12年前との日付けが合うのですが、メモを読み返していると、時間の流れやテンションの上下動などが、密度が全然違うのが再認識できました。
 8日目に風呂に入ったと改めて知りましたが、記憶ではこの間が1ヶ月以上もあったように感じていました。

【1995.1.24/震災8日目】

○会社/
社長へ退職を直訴するが、承諾を得られなかった。
コンピュータ室の器材を搬出。
空き倉庫を探しながら高速道路が落下している2号線添いに帰宅。

○尼崎へ/
バイクを引き取りに尼崎の友人宅へ。
自転車で知人宅を巡りながら大石~御影~本山と。
自転車でも通れない所がまだ多い。
(長田ほどの大火がなかったが、倒壊がひどく死傷者が多い地区だ)
幸いに行く先々では、家屋は壊れているものの入り口に消息の
メモがあってまずは一安心で西宮に抜ける。
ATMへ寄って出金。

武庫川を越えると穏やかで別世界のようだ。
4時間かかって尼崎のK宅へたどり着く。

○K宅/
夕食と風呂をいただく。
地震後、初めての風呂が恐かった。このっま緊張感が抜けてしまうような気がして。
芦屋のS一家も訪れていた。頭をかなり負傷していた。
帰路、慣れぬバイクで踏切で転倒する。
幸いパトカーが通りかかって助けてもらう。
(ろっ骨が痛んだみたい)

自転車は温かいけれど、バイクは凍える。
折々、コンビニによって身体を温める。
惨状の深江地区へ入る。
大阪の平穏さに何やら落ち着かなかったが
ここでは妙に、落ち着いてしまう

【1995.1.25/震災9日目】

○会社/
電気が欲しい。マシンをチェックするために道路の公衆電話から電気を取る。
ありったけの延長コードをかき集め、何十メールもの長さにして3階まで引っ張ってくる。
マイMacは無事に起動した。
早速「危険!元気を出そう!」とポスターを作成する。
周囲の危ない所に貼っていく。
被害リストや地震メモもデータに。
FAXの回線が一つ生きていた。それに電話機をつけてかけてみる。
これもOKだった。

○避難所/
Dさん母娘の様子を見に。自転車が欲しいとのこと。
地震以来、奮闘してきたマイ自転車を進呈することに。
途中、炊き出しの中華丼をいただく。
(注:宗教団体の震災への対応の違いはなかなか興味ひくものがある)

○実家/
自転車の手配を依頼。Wに再度、出版ルートの探索を依頼する。
明石川から武庫川の間の阪神間は、大きなバリケードに囲まれているようだ。
アナーキーな空間だが、無法地帯ではない。
自分たちのルールと秩序がある。
N氏と電話中に、今までで一番大きな余震。

【1995.1.26/震災10日目】

○会社など/
会社から初めての公式な今後の説明が。
1月給与が2日遅れる。
希望退職者を募る。各部署にて話し合う。
社員連絡用リストを作り直す。
同僚のW、Kへ出版の計画を告げる。

SとYへ今日の状況を電話で伝える。
会社に残るかどうか不透明なまま出版への具体的準備が進んでいく。

(続く)

十二支が巡り、亥がまたやってきました。しばらくはスローライフ自然薯や遊歩のブログは休憩して、震災関連の回想ブログになります。重い話で恐縮します。自然薯の植え付け頃には土臭い話に戻れると思います。
(*このコメントは震災の12年後である2007年当時の旧ブログのものです。現在(2021年2月)、誤字などを訂正しつつ、本ブログへデータ移行しています)

“〓 原型復帰という恐怖2〔No.13〕” への1件の返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です