〓 戸惑いの風景2〔No.18〕

何時見ても心が抉られる景色だった。
(長田区 3月12日/M・S氏の写真を拝借します)

 創刊号を抱えて、日々あちこちを訪ね歩いている。三月に入って、何処へ行っても地震直後の風景とは異質な風景が広がっているのに気が付かざるを得ないのだった。
以下は第二号のテーマとなった写真特集「戸惑いの風景」のコメントから抜粋しました。

 ビルの谷間のきれいに整理された更地を見て、ここは一体どんな惨状であったのか、必死に思い出そうとする。見たはずのない場所であっても一所懸命に想像する。この習癖は風化への抵抗なのだろうか。
直後のままのガレキの中を歩いていると安心するという人もいる。焼け跡の取り残された傾斜のビルを「シンボル」のように眺める人もいる。ガレキを見ると恐ろしくて、足がすくみ歩けないという人もいる。
 復興に直走るこの街では、加速度的に動き始めた時間、まだ、1・17で止まったままの時間、そして進んではすぐ立ち止まってしまう時間、遠くへ戻ろうとする時間、揺らめき戸惑う時間、様々な時間が方々を向いて流れている。
数多くの個々の体験があったように、そこを出発点として流れ出した時間も数知れない多様さで絡み合っている。
今、このリズムの違い、感覚のズレ、定まらない視点に多くの体験者らが戸惑い、悩んでいる。
               *  *  *

 いくつかの建物が解体された。いくつかの整地に仮設の建物が建ち始めた。既存の街で何万、何十万という建物を一度に建て直し、補修するのは、荒野に新都市を建設するよりはるかに難しい。
 少しづつ整備されていると言っても、あの時からこの目に見える風景はさして変わっていない。ただ、その風景を見つめる視線が大きく変わっていこうとしている。その違いが、あの時に持ち得た共有感に亀裂をうみつつある。

 戸惑う風景は、内からも外からも引き裂かれていくような気がしてならない。

【1995.2.4/震災19日目のメモ】

○会社/
とにかく寒気がする。
抵抗力が落ちているのか。
6~7名だけが出社。
創刊号のレイアウトが固まる。

○垂水/
連れ合いが帰ってきた。
久々の手料理。とにかく美味い。
銭湯へ。男湯は15分程の行列で入れた。女湯は長そう。
溜まった洗濯を片付けてくれた。
地震後、初めて全部を着替えた。

【1995.2.5/震災20日目のメモ】

朝が起きれない。
○会社/
原稿書きに専念する。ガイド版のゲラが出来る。
創刊号の目次もできる。
表紙もWが作った。

○垂水/
今日も手作り料理。うれしい。
連れ合いは明日また、避難先の実家へ帰る。
一緒に避難している祖母の世話もあるから。

(続く)

十二支が巡り、亥がまたやってきました。しばらくはスローライフ自然薯や遊歩のブログは休憩して、震災関連の回想ブログになります。重い話で恐縮します。自然薯の植え付け頃には土臭い話に戻れると思います。

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