・ミステリー小説「つたなき遊歩」出版までの道のり

自分の影を追うようなストーリー
 自分の影を追っかけたような人生ストーリー

すいません、まずお詫びからです。今回は〝遊歩〟以前のお話しで、愚痴とそれが高じた、とんでもない愚案?妙案?を語ることになります。〝え?遊歩〟じゃないのならと思われた方は、速攻スルーしてください。

70歳を越えてからの仕事探しは、困難極まりない。平凡なスキルや前歴は大した役には立たない。

 ハローワークで70歳と入力して「バイト・パート」で求人を検索すると、返ってくる求人票の多くは、よくて60歳か5年延長雇用がある企業だ。60、65歳以上はダメですとはっきりと書けない建前があるゆえに、条件欄は「年齢不問」となっている。10社余ほどに応募をしてみたが全て不採用になった。(もちろん歳だけのことではないだろうが、多くは年齢的にはじかれた)
 そんな中でも、期間限定や時間制限のあるパートで70歳以上OKの求人がたまにある。「健康な方なら年齢不問」これぞ本当のシニア活力、人材再発掘の国の施策に沿うものなのだろうが、在住する地域(10〜15万の地方都市)では、職種が、警備・交通整理か清掃か、もしくは悪名高い介護に限られがちです。(悪名とは腰痛という職業病である)別にそういう仕事が嫌いではないが「高齢者にはキツイですよ」といわれ、すでに腰痛・膝痛のある私の選択肢から消えた。他の職種においても大なり小なりだろう。実際に今、勤めているバイトでは、一見、体力はなくても勤まるように思えたが、炎天下、風雨、極寒となれば、自分の体力で果たして継続していけるだろうかと自信がもてない。まあ、ぜいたくは言っておれないがこれが「人生100歳時代」の現実なのです。

定年前後の〝やってはいけない〟」(郡山史郎氏・著)の本帯にあったキャッチコピーは納得するものです。
・雇用延長で働く
・資格・勉強に時間とお金をつかう
・過去の人脈を探す


 これらみんなに バツがつけられている。ご本人もソニーの取締役を退任後の再就職の苦労したことから、自信のあったビジネススキルや前職のキャリヤが役に立たなかったこととをつづられている。そんなエリートビジネスマンでも苦労する70歳からの就職ですが、よほど希少な、特殊なスキルでない限りは、思惑通りには進まないようです。
 私の場合も同様で、凡庸な経験とスキルだけではハードルを超えられませんでした。はやり自分の中にある商品性を見つけ出すことしかありません。それが、そこそこの価値を持つコンテンツになるまで、何とかバイトで食いつなぐというのが目下の残されたか細い道筋と観念しています。DTP技術や画像処理という自負できていたスキルでも、進化スピードの速いこの時代にあっては、もう若い人には勝てるものではありません。ここはやはり、馬鹿みたいになって六甲山を歩き回っていた頃から、今に至るまで自分を支え続けてくれた〝遊歩〟というものに特化して、それをコンテンツ化するしかないだろうと思ってのチャレンジです。

第三の青春から第四の青春へ、前を向いた終活。


 自分自身にある、また、あったストーリーをコンテンツ化するために、新しいブログを立ち上げ、自伝的小説の執筆にもかかりました。この作業は、就活と同時に終活でもあります。人生の終わりを飾るものであり、終焉をソフトランディングさせるための作業と折り重なるものです。まず手をつけたのが、私自身の足跡を子ども達に残しておく。それも具体的な事実をつなげたものでなく、今まで生きてきた心気やプライド、拙くはあってもその想いを何らか分かってもらえるようにしておきたい。そして、自分を亡くした後の事後処理も混乱しないようエンディングメッセージとして、そこに書き込んでおくことにしました。
 旧ブログのタイトルが〝第三の青春〟でしたので、新ブログ「遊歩のススメ」も、〝第四の青春〟という位置つけで、決して後ろ向きな終活だけにはならないよう戒めている次第です。
 書き起こした自伝をミステリー仕立てにして一本の小説にまとめてみました。出来上がった後、すぐに、すばる新人賞の応募が目についたので〝もしかして〟と期待を込めて投稿しましましたが、案の定、第一次審査で見事に落選、いわゆる下読みで落とされた訳です。これが自分のもつコンテンツの現実的な価値なんだろうと、恨む前に現状認識を改めることになりました。小説家になる気はありませんが、確かにスキル的には無理があったようです。ブログ記事は数をこなしましたが、小説となれば別物です。書いている途中でも自分の表現能力の低さ、語彙の劣化や時代遅れのキーワードにイラつきました。齢70の限界なのでしょう。
 どの世界でもトップレベルなると、そのコンテンツに関わるところで非常に価値が急上昇します。世のムーブメントを起こすようなものでは、驚異的な価値を持つ訳です。「パイナップル アッポー」などがそんな極端な例です。そこまでいくと〝山を当てる〟ギャンブル的世界ですが、自分の落選を機に(実はもっと以前から)考えていたことがメラメラと、ふつふつと湧き上がってきました。

Uアイコン お知らせ
キンドル出版にて、
山端ぼう:著つたなき遊歩・ブラインドウォーカー」を出版いたしました。定価¥500

遊歩大全をバイブルとして六甲山を巡り歩いた老いた遊歩人とブラインドサイト(盲視)という不思議な能力をもつ全盲の青年とが、巻き起こすミステリアスな物語です。 全山縦走路、旧摩耶観光ホテル、徳川道、ツエンティクロスなど六甲山系の各所から、穂高岳連峰を舞台に目の離させない遊歩が展開します。 続きは・・・

自分のコンテンツ化、自身に商品化できるものがあるか?

 その〝アイデア〟というのは、「自身が持ちえているコンテンツの最適化」というものです。これが何モノかと言えば、前述した、ちょっとした芸が数億円の価値を産んだり、確かに素晴らしい芸術や人に無い才能に対して、数十億円とかの価値が付加されることがあります。現在の商業システムでは当然なことでしょうが、その反面「逆もあるでしょう?」という訴えです。
 世に出ていない多くの市井の人たち、その人々の中にもコンテンツとして売れるものがあるんじゃないだろうか。いや全ての人にあるはずです。特に焦点を当てたいのは、日々の生活に困っている人たち、心理・精神面で追い詰められているとかでなく、単純にお金の問題で苦労している人です。一番みぢかで見る・聞くパターンは、年金が少なく、なおかつ働けない高齢者です。(私の場合も近い)行政的な支援を受けるまでのことはないが、生活はギリギリ(本当は足りない)というカテゴリーで、あと数万円、2〜3万円でもあれば、どれだけ暮らしに一息つけるのに、という人や所帯が多くある。
 若い人なら働く場は、その気になって探せばガンバれる。働いても、まだ苦しいという人たちにも、自分たちが作ったものや見つけたものをコンテンツ化する手立て、フリマやネット販売などの手立てを使うこともできるが、そういうスキルや環境をもたない高齢者には、なかなか売れるようなコンテンツを自分の周りから探し出して商品化するのは難しい。

 ここでちょっと極端な例で誤解をうむのを承知で、例として〝自伝〟というもので考えてみましょう。これは誰もが必ず一つ持っている人生というストーリーです。これをコンテンツ化して価値をつけ売買するシステムがあれば、どうでしょうか? 但し、誤解がないように念をおしますが、その人が必死になって生きてきた人生そのものを評価しようという不遜なものではありません。それは、全く意味のないことです。ここでは、自分が生きてきたことを事実関係などにあまりとらわれずに、自分が生きてきた想いやプライドをストーリーにするだけです。波乱万丈もあれば、通り一遍の人生もあるでしょう。そんなことは問題ではありません。(見かけはどうあろうと、各自の中ではそれぞれに様々なものがうず巻いていたことを他人が推し量れるものではありません)結果的にそれがフィクションであっても良い訳です。そのお話しというコンテンツに価値をつけるだけです。

札束舞う山頂
何かコンテンツ化できるものがあるはずだ。

富の差を縮め コンテンツの価値の分散を

 素晴らしい文章で、感動や共感を生むようなものであれば、価値が上がりますし、ヘタな文章で平凡なものであれば価値は下がります。それは、そういう仕組みだと割り切りましょう。ここで何百万円というような価値を得られた方は、今ある現実のシステムでも十分評価されるでしょう。このシステムで大切なことは、現状でのシステムで「ゼロ」と評価されるものに、「ゼロでないプラスα」を見いだすことです。
「このおばあちゃんのストーリー、平凡でヘタくそだけど、20円で買っちゃう」的なプラスαです。実際、現状世界では、おそらく「ゼロ」でしかないものが「20円」になるとこです。あとは、このように評価した人たちが、100人、200人と「いいね!」するように集積されれば、それなりの金額がおばあちゃんに入ってくることになります。インスタグラムの〝人生ストーリー版〟みたいなものです。現実の商業システムでも価値がつきそうなものは、すぐに卒業してもらいます。おばあちゃんに良い書き手のお孫さんでもいれば、もっと高い値がつくかもしれません。人が持っているものをコンテンツ化するサポートシステムも構築していかなければなりません。
 これは、絵でも、書でも、手芸でも、生花でも何でも良い訳で、自分がもてるスキルを使ってできたもの。その作品にだれもが気軽に値をつけていくのです。売りたいけれど売れないし、売る場がない。自分の作品を大切に手元に置いておきたいという人も多いでしょうが、日々の暮らしのために糧に替えたいと思われている方もいるでしょう。困窮者の救いにもなれば言うことはありません。
 FBのマーク・ザッカーバーグみたいなイノベーターを待つか、各方面の賛同者を探してコツコツ拡げていくか、夢のようなシステムではありますが、貧富の差もさりながら、極端な〝価値の差〟をもう少し考えるべき時代だと思います。いくら素晴らしく、この世で無二の才能と言っても、たかが一個の人間の仕業です。一人で数百億円とか数百億ドルをもっててどうするものか。その価値を支えている無数の人たちが持っているコンテンツにも価値を分散させていくことが、これからの社会としても、文化としても求められることだと思います。みなさんいかがお考えでしょうか?

 このシステムの実現の前に、自分ストーリーに500円の価値をつけて、キンドル(KDP)システムに乗せてみました。一昔前なら、数百万かけて印刷本で自費出版という手順でしたが、幸いなことに、WEBの凡庸なスキルを持ち合わせていたこともあって、他人のサポート借りることなく、経費ゼロ円で出版することができました。後はどれほど読んでもらえるか、下駄を預けるばかりです。
(作ったが売れない。通り相場なんでしょう。誰かプロモーションできる方、ぜひ、ご協力くださいませ。)

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〝遊歩〟ハイキンググッズ10選・トイレ編

※その2、出したものは全て持ち帰る

私のMac そしてジョブスとの足跡

▲ビートルズファンでもあったジョブス、 右上が20年前のMacクラシック
 下の写真はiPad、iPod発表での基調講演風景(各サイトより拝借)

 別件の仕事上で、「理念の投影」を例としてスティーブ・ジョブズの事をまとめていた矢先、「アップルCEOを辞任!」というニュースが飛び込んできた。本人はもちろん健在なのですが、失礼にも何やら逝去してしまったような衝撃をこのニュースに感じてしまった。
(日頃はあまりITやPCについて触れませんが、この機会に少しこの業界の話しを・・・)
このジョブスという人間が、いかなる人物なのか。直接にはもちろん、基調講演などにも立ち会ったこともなく、彼の書籍を読んだ訳でもないのですが、彼が生み出したMac(マッキントッシュ)というコンピューターを通して、彼の羽ばたくような理念、夢、苦悩、喜びというようなものをずっと感じ続けてきました。つまり、私にとってのMacとは彼ジョブスそのものだったといっても過言ではありません。

夢とプライドの共有

 Macを使い続けて20年程になります。その当時は、デザイン・印刷とか設計業界が、Mac(マッキントッシュ)というコンピューター導入の先導役になっていたこともあって、私も、烏口(製図用のペン)や彩色筆を捨てて、このじゃじゃ馬のように扱いにくいマシンと日々向き合っておりました。繰り返されるフリーズ、意味不明のバグ、遅々たる計算能力・・・悪戦苦闘の連続でした。16Mほどのメモリで(今では安いパソコンでも2000Mはあるでしょうか)全面イメージのA1ポスターを制作するという神業的な仕事もありました。ワンセーブ・ワンスモーク(保存に数十分もかかり、一度の保存ごとにタバコを一服していた)という今にして見ればのんきな時代なのですが、デザイナーが彩色して、線を引き、撮影し、マスクをつけ、網をつけ、刷版に焼付ける・・・何人かの人たちが、複雑な工程をへて、何日もかかる作業が、たった一台のマイコンの中、机の上(DTP)で完結する!というような夢が実現し始めていた時代です。

 「ここでこう出来ればうれしい」「ここでダメになるのは辛い」「なぜ?これが出来ないのか!」机の前でのつぶやきは、ジョブスの夢と苦悩のメッセージとして、常にMacや新しいOSを通して返ってきました。アップルの開発ニュース、新製品のスペックリリース、そして実際の最新鋭マシーンを目の前にして、「おっ!やってくましたね」「こう、こなくっちゃね」とまるで自分が創り上げたような気分でセットアップしていきます。彼と一緒に進化し、進歩しているという共有感があり、お互いのプライドを確認し合うというえも言えぬよろこびを感じていました。
 そんな私の机の上で実現しつつあった夢のような出来事が、情報の世界で、音楽の世界で、映像の世界でも実現すれば、どんなに楽しい事だろうと近未来的な夢想をついつい抱いてしまいました。そして、それらの全てをインターネット、音楽配信、映像配信と、馬車が突き進むように次々に実現させてしまったのが、天才ジョブスです。

世界を変えた〝ものづくり〟

 1995年頃、マイクロソフトのウィンドウズ95のリリースで世間は大騒ぎ、日本中のほどんどのPCメーカーがウィンドウズを搭載となり、Macもやや異端視されるようになり、アップル内部でも社内闘争があったりして、創設者の一人であるジョブスは一時会社を追い出され、業績も落ち込むことになります。辛うじてマニアックなファンが支えているような影の薄いそんな時代もありました。
 満を期して復帰したジョブスは、パソコンの革命児となる「iMac」を電撃的に世に送り出し、iPod、iPhone、iPadと怒濤の進撃を続けました。そして何と!この2011年6月には、あのお巨大なマイクロソフトやグーグルを遂に押しのけて、時価総額ランキングで世界二位に躍りでる(一位は石油のエクソンモービル)巨大企業の雄となりました。(追記:それも追い抜く)
 「ソーシャルネットワーク」という映画で紹介されたようにあの業界のドタバタには凄まじいものがあります。しかしそんなドタバタなど足下に及ばない程の修羅場を、そのカリスマ的な行動力と発想とで幾度もくぐり抜け、這い上がってきたのが奇人・鉄人ともいわれるジョブスであり、その足跡はすでに伝説と言ってよい存在でした。今回の辞任ではっきりと歴史に刻まれました。(さすがに再復帰はないと思います)

 iPhone、iPadを愛用していますが、この端末を手にして、いつも「こんなものは本当は、日本の製造業で作らなあかんやろ」と思うことがあります。ウォークマンの盛田さん(ソニー)をはじめ、本田さん(ホンダ)や松下さん(パナソニック)が産み出したジャパンブランドも、一時代を創ったとは言え、今ではもう時代を揺すぶるような創造力が枯れているのでしょうか。モノづくり「にっぽん」が、残念ながら情報産業においては後塵を拝し続けました。
 日本からは、もう世界を席巻するようなワクワクする魅惑的な商品が生まれないのでしょうか? IT技術が遅れていたという事情より、やはりジョブスのようなそのブランドイメージを一身に引き受けるリーダーシップとビジョンを持った魅惑的な人物が、今の日本には居ないことが原因だろうと思います。ジョブスは日本のPCメーカーのことを「海岸を埋めつくす死んだ魚」と表したらしいですが、確かに、21世紀的なモノづくりへのビジョンの希薄さを指したものかも知れません。

●数あるジョブス語録の中から・・・

 あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。
ドグマにとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。
 他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。
 それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。

  今や彼の言葉を、人生の師からの言葉として受け取っている若い人が多いと聞きます。
成功と挫折と敗北を繰り返し、更には死への恐怖も体感した氏の言葉は重いのでしょう。テクノロジーとの葛藤をはるかに超えて生き方そのものを示唆する教祖的存在だといってもおかしくはありません。

追記:この記事を書いてから1カ月余りの10月5日にジョブズ逝去。心より追悼したいと思います)

読本「遊歩のススメ」第一話(なぜ歩くのか?)
先人たちの遊歩(芭蕉・山頭火・中原中也・アルチュール ランボー)

田植唄もうたはず植ゑてゐる

娘たちとの田植え

移住風景断片
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 土曜日、娘たちと一緒にじいちゃんちの田植えを手伝った。
本当はもう少し前に、植え終えてしまいたかったらしい。私の休日に合わせて、小生がへこたれない程、一反弱のたんぼを残してくれていたというのが正しく、手伝いというよりは小生のこの時期の田舎暮らしのステージをわざわざしつらえてくれたのが実態のようです。
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 土や泥にまみれて生きることを体験しながら育っていない小生には「田植え」という風景に、のめり込むような憧憬を感じます。大げさにいえば本邦の文化の根底ある風景のように感じています。美しく、豊かなイメージです。テレビや古い映画に出てくるような大勢の百姓さんや田植え唄に彩られた楽しい情景なのです。
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 今どき、早乙女や田植え唄に出会うことなど希有ですが、時折、ワイワイと10数人で田植えしているグループを見かけます。昼時などは、田んぼの横でピクニックのような楽しげな食事風景を見るとほのぼのしてきます。田植えはこうじゃなければ・・・と。
残念ながら、近所で見かける田植え風景は、寂しいものばかりです。多くても夫婦二人(それも高齢の方)で、大概は一人で黙々と作業していいます。賑やかなものとは縁遠いものになっています。

種田山頭火行乞記で・・・・
このあたりも、ぼつ/\田植がはじまつた、二三人で唄もうたはないで植ゑてゐる、田植は農家の年中行事のうちで、最も日本的であり、田園趣味を発揮するものであるが、此頃の田植は何といふさびしいことだらう、私は少年の頃、田植の御馳走――煮〆や小豆飯や――を思ひだして、少々センチにならざるを得なかつた、早乙女のよさも永久に見られないのだらうか。

と記して、
「一人で黙つて植ゑてゐる」「田植唄もうたはず植ゑてゐる」などという句を残していますが、小生も全く共感します。
 山頭火の時代から半世紀以上経って、現代では田植え唄はエンジン音に取り代わって、黙々と田植機を走らすだけの作業と変貌していますが、出来る限り、じいちゃん・ばあちゃん・息子・娘・孫など総出の楽しいイベントで在り続けたいものです。
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■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
小説「坊ちゃん」の正体・・・(弘中又一)
零余子蔓 滝のごとくにかかりけり(高浜虚子)
貴族・宮廷食「芋粥」って?(芥川龍之介)

■読本・文人たちに見る〝遊歩〟(2021年追記)
解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
世界と通じ合うための一歩一歩(アルチュール・ランボオ
バックパッカー芭蕉・おくのほそ道にみる〝遊歩〟(松尾芭蕉)

この道しかない春の雪ふる〜放浪の遊歩

この道しかない春の雪ふる 山頭火

この道しかない春の雪ふる 種田山頭火

 雪にあまり縁のない神戸に育った私には、たまに校庭等にうっすら積もった雪景色をみては、心躍らせて走り回った少年時代の記憶があります。雪には凛としたモノトーンの世界に引き込まれていく何とも魅惑的な緊張感があります。
 少年期の追想・追走でもあった「六甲山遊歩」においても、雪景色は憧憬そのものでした。たまの大雪で、背山が白く染まったのを市街地から見上げ、確かめるとそわそわと登山準備を始め、尾根道に足を向けていました。雪道にかかり、シャキシャキと雪を踏みしめ、見渡す限りの白い世界に紛れ込んでいく感覚。弛緩とは真逆のこの緊張感の奥の方で、日頃では感じ得ない心が躍り、弛み、ほぐれていく様、そのコントラストと落差が何とも楽しいものでした。

 今朝の散歩で、この感覚を久しぶりに思い起こしました。この地で田舎暮らしを始めて、霜や雪はさほど珍しいものではなく、生活の中のひとつの風景となっていましたが、昨日からの季節外れの大雪、あぜ道の雑草の上に覆い積もったシャーベットのような春雪を、シャキシャキと長靴で踏みしめていると…、そのリズムにつられて犬共々に躍るように夢中に走り出してしまいました。

 タイトルの句は、この少年のような小生の躍るような気持ちとは違ってピリピリと切羽詰まっている。おそらく、私が山頭火の「歩き」の中で見たもので、「雪」ほどエモーションが遠く隔たった風景はないでしょう。

生死の中の雪ふりしきる
安か安か寒か寒か雪雪

 安住と乞食の旅の迫間に広がる雪景色、「解くすべもない戸惑いを背負い、旅そのものが彼の生でありまた死であった」彼には、受難のモノトーンの世界でしかないようです。
幸か不幸か、戸惑いをほぐすことが出来るこの地に巡り会えた小生には、それは<原郷>という錯覚であっても、雪は雪です。多彩なリズムと色に彩られた魅惑的な景色であり続けているようです。

■山頭火の〝解くすべもない惑ひ〟を打ち払うために、やむなく己を放り出すような乞食流浪の〝歩き〟を辿ってみました。→[先人たちにみる〝遊歩〟]

ひとアイコン
 ●あてのない行乞流転の歩き「種田山頭火」
 ●どこまでも散歩大好き「中原中也」
 ●謎めいた大歩行「アルチュール・ランボオ」
 ●覚悟のバックパッカー「松尾芭蕉」
 ●傑出したご長寿百歳遊歩「葛飾北斎」
 ●バイブル遊歩大全「コリン・フレッチャー」
 ●孤高の人を追って・・・「加藤文太郎」

■人物歳時記 関連ログ(2021年追記)
 ・小説「坊ちゃん」の正体・・・(弘中又一)
 ・零余子蔓 滝のごとくにかかりけり(高浜虚子)
 ・貴族・宮廷食「芋粥」って?(芥川龍之介)