この道しかない春の雪ふる 種田山頭火
雪にあまり縁のない神戸に育った私には、たまに校庭等にうっすら積もった雪景色をみては、心躍らせて走り回った少年時代の記憶があります。雪には凛としたモノトーンの世界に引き込まれていく何とも魅惑的な緊張感があります。
少年期の追想・追走でもあった「六甲山遊歩」においても、雪景色は憧憬そのものでした。たまの大雪で、背山が白く染まったのを市街地から見上げ、確かめるとそわそわと登山準備を始め、尾根道に足を向けていました。雪道にかかり、シャキシャキと雪を踏みしめ、見渡す限りの白い世界に紛れ込んでいく感覚。弛緩とは真逆のこの緊張感の奥の方で、日頃では感じ得ない心が躍り、弛み、ほぐれていく様、そのコントラストと落差が何とも楽しいものでした。
今朝の散歩で、この感覚を久しぶりに思い起こしました。この地で田舎暮らしを始めて、霜や雪はさほど珍しいものではなく、生活の中のひとつの風景となっていましたが、昨日からの季節外れの大雪、あぜ道の雑草の上に覆い積もったシャーベットのような春雪を、シャキシャキと長靴で踏みしめていると…、そのリズムにつられて犬共々に躍るように夢中に走り出してしまいました。
タイトルの句は、この少年のような小生の躍るような気持ちとは違ってピリピリと切羽詰まっている。おそらく、私が山頭火の「歩き」の中で見たもので、「雪」ほどエモーションが遠く隔たった風景はないでしょう。
生死の中の雪ふりしきる
安か安か寒か寒か雪雪
安住と乞食の旅の迫間に広がる雪景色、「解くすべもない戸惑いを背負い、旅そのものが彼の生でありまた死であった」彼には、受難のモノトーンの世界でしかないようです。
幸か不幸か、戸惑いをほぐすことが出来るこの地に巡り会えた小生には、それは<原郷>という錯覚であっても、雪は雪です。多彩なリズムと色に彩られた魅惑的な景色であり続けているようです。
■山頭火の〝解くすべもない惑ひ〟を打ち払うために、やむなく己を放り出すような乞食流浪の〝歩き〟を辿ってみました。→[先人たちにみる〝遊歩〟]