●遊歩の世界へようこそ!
カテゴリー「●読本:遊歩のススメ」
登山、トレッキング、ハイキング、散歩などと、楽しい歩きをはじめ、苦しくて辛い歩きも含めてトコトン〝歩き〟の一歩一歩を紹介していきたいと思います。〝遊歩〟このステキで幸せなアクティビティをまだ、見知らぬ方々はぜひともお立ち寄りくださいますようお願い申し上げます。
以下、カテゴリーのご案内と読本の各項目の目次を紹介させていただきます。
上記の資料を読み直しておりますと、青臭いところとか、自分でもよく分からないところがままあって、一から書き直してみるかと思いました。内容に大きな変化はありませんが、あれこれ手を加えたり、切口を変えてみたりして分かりやすく書き下ろそうと思います。一応、終活というか、総決算という気持ちで書いていこうと思います。
どこから読んでも〝遊歩とは?〟が考察しやすいように、マガジン風に再編集して、下のような項目で投稿していく予定です。(※リンク箇所は投稿済み)
●読本1・遊歩とは何か?
●読本2・幸せは歩きの距離に比例する?
●読本3・孤高の人・加藤文太郎を追いかけて・・・
●読本4・戸惑いの〝歩き〟の正体
●読本5・あるく・のぼる・あそぶ・まう・おどる・うたう・えんじる
●読本6・ウォーキングは健全なる狂気?
●読本7・遊歩のステージ(舞台)に立つ
●読本8・一人歩く時ほど孤独より遠い?
●読本9・自分の一歩、己の居場所(地図・コンパス・GPS)
・遊歩におけるエマージェンシー(遭難・道迷いとは?)
・孤高の歩き、群れた歩き
・裏山は永遠のトイボックス?
・遊学歩学
・動的な禅への誘い(立禅歩禅)
・迷うことを潔しとする
・山に入れば必ず自然と出会えるとは限らない。
・私たちにとってのウィルダネスとは(原郷とは?)
・遊歩を極めれば、人生は変わる?
●先人たちの遊歩
● 解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
● 何時までも歩いていたいよう!(中原中也)
● 世界と通じ合うための一歩一歩(アルチュール・ランボオ)
● バックパッカー芭蕉・おくのほそ道にみる〝遊歩〟(松尾芭蕉)
● 北斎にみる傑出した〝ご長寿百歳遊歩〟(葛飾北斎)
十人十色〝山歩きはアートだ!〟十人十色の〝歩き〟が百人百様の人生を彩ります。
このシンプルで根元的なアクティビティ、あなたの〝遊歩〟とは何なのか?
先人たちの歩きを通してあなたの足跡を見つめ直してみませんか?
遊歩のススメ・第1話(なぜ歩くのか?)はこちらから※歩かない人のための読本 |
カテゴリー「裏山・野山での歩き」
ダンシングサークルの仲間たちに呼びかけて、自然の中で自己の表出を!と始めた近所登山パフォーマンス(第1回 1985年)が出発点です。1986年に「六甲遊歩会」を結成して、例会などで六甲山系を中心に彷徨うように歩いた山日記をベースにしています。三十路半ばで突然のように始まった山歩きですが、思春期から二十歳代にかけての青春時代の奮闘、そのほとんどは挫折の連続でしたが、その総決算として始まった〝遊歩〟は第二の青春をしっかりと彩ってくれました。2003年、六甲遊歩会退会後は、山口県の山々を辿ったり、時折に六甲山に帰ったり、各地の気になる山々を歩いています。基本、高度な技術が必要な冬山や高山でのお話しはありません。
カテゴリー「○資料:遊歩アーカイブ」
私が六甲遊歩会時代(1984-1995年頃)に記述・編集したものを「資料:遊歩アーカイブ」としてデジタル化できた分だけを収めています。
○資料01-1・〝遊歩〟とは?(1)散歩? 登山? 冒険?
○資料01-2・〝遊歩〟とは ? (2) アート? 禅? 旅行?
○資料02 ・ステージとしての六甲山(資料)
○資料03 ・引き裂かれた六甲山(ウィルダネスとは?)
○資料04・ 調査遊歩レポート(ホタル・水質・地理など)
カテゴリー「〓回想╱阪神大震災 」
震災直後から手元にあったノートに、走り書きのように書き留めていたメモがありました。このメモは、21日目後の2月6日に途絶えていました。はっきりとはその理由は覚えてはいませんが、その時点で「何かが終わった」のだろうと思います。
それをもう一度、省察してみたいと、震災から十二支が一巡りした2007年の1月、このメモを読み返しながら、地震前日からの足跡を、さらにそこから続いた12年間の足跡を、辿ってみた旧ブログをこのカテゴリーに移しました。現在、本ブログへ転載作業中です・・
サブカテゴリー「生活周辺にある歩き」
阪神大震災契機に山口県に移住後は、じねんじょう山芋の生産・販売会社のWEB管理の縁をいただき、併せて、その産物としての高付加価値を活用した中間山間地の地域振興・農業再生・担い手育成などの活動プロジェクトに参加、その報告やエコツーリズムを介した地域資源の発掘アイディアなどの話を綴っています。
都会の遊民としての山々での自然との交感は、内なるリアリティをたくさん呼び起こしてくれ、見失っていた多くの自分と再び出会うことができましたが、田舎暮らしでの大地との交感は、生活者として正面から自然に向き合うことになりました。大地に根を下ろすための「生きるための知恵」を数多く学び、その喜びに心が躍りました。まさに第三の青春と呼ぶにふさわしいストーリーです。
七十路を超え、高齢者に向かうプレッシャーをひしひしと感じつつ、己のステージも終活に移りつつとあるとはいえ、足下の〝歩き〟は、歴然と生に向かっています。まだまだリアルタイムの一歩一歩に悪戦苦闘している次第です。脚力も衰え、物忘れや神経痛に悲鳴をあげつつも〝働く〟場所を確保していかなければなりません。そんな愚痴っぽい話もつづっていきたいと思います。
愚昧とお叱りをうけるかもしれませんが、このカテゴリーにて〝遊歩〟のコンテンツ化(商品化)を提案していこうと考えています。団塊の世代以上の諸先輩たちの〝人生の歩き〟を可視化・現金化しようとする危うい試みですが、こればかりは多くの人たちの力が必要です。どれほどの闊達なプロジェクトになるかどうか、わが第四の青春が問われるところです。
是非ともコメントなどを通して叱咤や激励をもって、ちいさな共生プランへの工夫やアイディアをいただければと思います。(目下、計画中です)