〝遊歩〟ハイキンググッズ10選・トイレ編

トイレのルールとマナー
愉快な話ではないが、上品ぶってあいまいにすることでもない

 日帰りのウォーキング(ワンディ・ハイク)では、装備、テクニック両面とも、それほどの難問は登場してこない。必要と思ったものは全部ポケットに詰めこめばいいのだし、腰か肩に小さなポーチをつければ、その中にいろいろ詰められるから、いっそう便利になる。必要と思いながらも残していかなければならないものが出てきても、心配はいらない。なんといっても、その日のうちに家に帰りつけられるのだから。(コリン・フレッチャー著、遊歩大全より)

 山歩きでのオススメ品を紹介していますが、元々〝装備をはじめ、歩き方とは、もともと主観的なものだ〟というスタンスで話が始まっていますので、結局は「自分で必要だと思うものを持って行こう」というところがベースとなります。「その1、ライト編」にフレッチャーの言葉を借りて、ワンディ・ハイクの装備品(スマホを含めて)全般のことを書いておきましたので、途中ページから入られた方は、そちらから目を通していただけましたら仕合わせます。

その2、今回のオススメのトイレグッズは・・・

 ハイキング、山登りにおいて、トイレの話は決して楽しいものではありませんが、これに対してはよく準備をして、現場でも適切に対応しなければ、楽しいはずのウォーキングに少なからず水をさしてしまうことになります。周囲に素晴らしい風景が広がり、ずっぷりとその世界に身を浸しておきたいそんな時に、次のトイレポイントのことばかり気にして歩くのはオススメできません。勿体無い限りです。また、前の日から水分補給を控えるとか、喉が渇いても我慢するとかいうのは論外です。熱中症や高山病に関わってくることですから、適切に水分は摂って歩きたいものです。コーヒー好きなら、山上でいただく一杯は、味もさりながら達成感を飲み干すような、下界では味わえない〝至福の一杯〟です。こんな贅沢をトイレごときで我慢するのも悲しいことです。
 特にこの問題、ご婦人たちにはわずらわしい話のようです。「ようです」と言ってしまうように、私ら(男)には、そこに気を配らなければと思いつつも、切実さに欠けて、うまくサポートできなかったことも多々あるようです。(女性リーダーなどがよく対策しているとは思いますが)コースリーダーは最低限、事前にトイレポイントをよく調べて、ポイントまでの時間をよく説明しておくこととが大切です。
 男の私が具体的にこうしようとか言っても説得力はないでしょう。最近、急増している山ガールたちに、そのあたりの事情をうかがうのが最適だと思います。このキーワードでググれば、いろんな対処法が紹介されていますので、それをその人なりに、予定のコース状態に合わせて活用してください。その中で、目に留まった対処法をいくつかここでも紹介しておきます。

〈ハイドレーションシステム〉
 バックパック内の水筒からチューブを使っての水分補給法です。専用品もあり、それに対応したバックパックもありますが、手作りでも簡単に作れそうです。いちいちバックパックから取り出すことが不要で、行動性が高くなります。水分補給のポイントは、体に吸収される分を効果よく摂取することです。一気にペットボトル半分程を飲み干したところで、その水分の多くは尿の方に回ってしまいます。喉が渇く前に、口内を潤すほどの水分をじわっと、舐めるように頻繁に摂っていれば、吸収率は良いし、必要以上に水分補給を我慢することないでしょう。こいつは掃除が面倒なことと、ボトルを持って「残りこれだけか」という目視が出来ませんので、水の残量が把握しにくくなるので、そこは要注意です。

お花摘み〉
 喉が渇いた状態が続くのは避けましょう。普通に水分を摂って歩くに越したことはありません。大概は汗となって放出されますので、下界にいる時よりは尿意も少なくなります。それでもトイレチャンスはいくつか必要でしょうが、その時に施設がなかったり、使えなかったりする場合も少なからずあるでしょう。そういう時は〝お花摘み〟に行くしかありません。まあ、あまり気にせず、さら〜と済ませるようになるのも、遊歩スキルというところです。が、なかなか、そういう風に馴染めない人も多いでしょう。
 レジャーシートや傘(ツェルトでも)で隠せば、急な人目があっても大丈夫とかの提案もよく聞く。まあ一般的なやり方なのでしょうが、今一つスマートさに欠けるような気もします。ここは一番ポンチョがオススメでしょう。簡便で自然な感じがよいし、さりげなく羽織れば、それが周囲への暗黙の合図にもなります。携帯トイレや処理袋がセットになった防災用のポンチョもありますが、今頃では雨具のポンチョもファッション性の高いものが出回っていますので、気に入ったものを一つザックのサイドポケットに入れておきましょう。もちろんのこと雨具としても便利です。
 お花摘みでの注意点は、安全の確保です。トイレに気を取られて集中できず、その時に起きる事故や怪我も少なからず起こっています。中には携帯電話も含めて一切の荷物を仲間に預けて、藪の奥に入っていってしまい戻れなくなったという話もあります。その他、蛇やムシにも要注意です。山慣れてないメンバーであれば、経験者が花摘み場をチェックしてあげるのも必要なことです。
 しかし、隠れるところのない稜線や草原で、しかも大きい方が催してきた。などということもあるかもしれない。お腹の調子によってはあっても不思議じゃありませんが、この時は男性でも切羽詰まるでしょう。そこまでのことを心配される方には、ポンチョとセットで、やはり携帯トイレを用意しておきましょう。一つ200〜300円のもので十分でしょう。日常生活でも役に立つことがあるモノです。

★アウトドアカルチャー『A kimama』にイラストレーターの鈴木みきさんの〝用足し風景〟が紹介されいます。

 食べる・飲む・出すの最初の2つは楽しくプランニングしますが、出す方は、ついつい消極的で、その場限りの対処で終わってしまいがちです。自然のエリアに踏み込んでいるので、自然とうまく融和して、自然に処していきたいものです。個々の工夫はその人にお任せするにしても、マナーとかエチケットは共有すべき大切な課題です。これは、山に限らずその人の生き方・ライフスタイルに関わるものだと言ってもよいでしょう。

自分の出したものは全て持ち帰る

ネコ式トイレ法

 キャパを超えた訪問者が生み出している自然フィールドでの環境問題にも、様々な論議があると思います。私自身は、無責任と思われるでしょうが、特にそういう議論に積極的に組みするつもりはありません。個人的な基本ルールは「全て持ち帰る」「現状保全」という2点です。「尿も便も持って帰っていたか?」
という問いに答える前に、ここでも師匠のフレッチャーに登場してもらいましょう。

トイレの問題は決して愉快な話ではないが、キャンパーたるものはだれでも、あまり上品ぶってあいまいにしておくことなく、他のキャンパーのためにもオープンな気持ちで考えることが必要だと思う。(遊歩大全 596頁)

と述べて、トイレの対処法を数ページ割いてあれこれ説明しています。彼の個人的セオリーは〝ネコ式トイレ法〟(cat sanitation)です。ネコのやるような方法をていねいに実践するのです。まあ、穴を掘って埋めるということなのですが、少なくとも10〜15cm、好ましいのは15〜20cmと、その穴の深さまで細かく指定しています。(場所も水系から最低は15m、理想は150mは離れたところで)使った紙はモノの上で燃やして、ハエの侵入を防ぎ、すぐに土を被せる。穴は深すぎるとダメだとも書いています。昆虫やバクテリア、菌類などが活発に働けない深い不毛地質まで掘ってしまったら意味がないとのことです。つまりこれは、有効な分解サイクルを確保するための方法なのです。分解しにくい土質であったり、多人数の場合は、石灰や消毒剤も持っていくべきだとも言っています。
 私の家も、上下水道共にないところに建てたものですから、井戸水と庭に埋め込んだ浄化槽によって下水を処理しています。その仕組みを自然のフィールドでもやりましょうということです。
 過剰が問題を引きおこす点を踏まえて、何が過剰でどこまでが過剰でないのか、判断のいるところですが、その線引きをするにはやはり、自然をよく見つめて、自然の仕組みをよく勉強しておかなければいけないということでしょうか。自然フィールドには野生の動物がくらしており、彼らも排泄をしていますが、バランスを崩すものではありません。いっときに同じ場所に過剰に集まってくると、その場所に環境の負荷がかかって、保全が崩れてくるのです。北米の広大なナショナルフォレストの中で、幾人かのキャンパーが入ったところで、そうそうバランスが崩れるものとは思いませんが、自然への細心の思いやりは必要不可欠です。

 私も毎朝夕、犬の散歩で土手道や田舎のあぜ道を使わせてもらいます。最近のペットブームでワンちゃんたちもずいぶんと増えてきました。土手道の草むらで一匹がマーキングすると、次から次にくるワンちゃんも同じ場所にマーキングしていきます。さすがにそんな風になると、草といえども悲鳴をあげて枯れてくる場合があります。尿の塩分や窒素で、木や芝も枯れることがあります。
 自然のバランスは案外とナイーブなものです。ワンちゃんには申し訳ないのですが、マーキングの後には水をかけなければなりません。少し話がズレたようですが、私がよく歩いている日本のしっけた腐葉土たっぷりの山路では、それほど厳密なネコ式トイレ方はいらないでしょう。しかも、ほとんどハイカーとも出会わないような過疎のところですから、〝出たもの〟を持って帰るという信条が、なかなか実践できておりません。しかしながら、人が集中して、環境に大きな負荷がかかっている山岳・高原では〝出たものは全て持ち帰る〟ことがセオリーとなっていくようです。既にそういう方向に向かっているエリアもありましょうし、実践されている方も多くいます。今では簡便で清潔な簡易トイレもよく普及しています。生ゴミを持ち帰るようになったように〝わが便り〟を持ちかえることなども当然のマナーになるのもそう時間はかからないでしょう。

〝遊歩〟にオススメな厳選ハイキング・グッズ10選

キャンプファイヤーの灯り
キャンプファイヤーの安らぎの灯り

〈ライト編〉

 日帰りハイキングに何を持っていくのか?
 と、ググってみるとその装備品があれこれズラ〜と出てくる。ウェア、シャツ(長袖)、雨具、パンツ、防寒着.着替え、帽子、靴下、手袋、ザック、行動用具、ヘッドライト、登山シューズ、水筒、行動食、時計、地形図・資料コピー、ビニール袋、コンパス、ティッシュ、トイレットペーパー、タオル、計画書、非常用品(薬品)、スマホ・携帯、ホイッスル等など、慎重な方はまだ、あれこれと携帯品を紹介してくれます。そして、その一つ一つをとっても、機能性の違いや価格・グレードの違いなどがあり、いく先のコース状態や天候に合わせて考えだすと、これは大仕事になってきます。しかしまあ、この準備がワクワクして一番の楽しみだと言われる方も多い。確かに明日、歩いている自分を思い浮かべながら、これを着ようとか、これを持って行こうとかいう、前日の高揚感はたまらないものがあります。

 ウォーキングの大きな枠づけ(プランニング)をするために〝設計図〟と称して、コリン・フレッチャーは、バックパッキング(BP)用具(市場状況から価格まで)、その重さの目安、歩ける距離、体調管理など家を背負って〟と題して「遊歩大全」に事細かく書き記しています。たいがいは1週間にわたるロングトレイルでの装備だし、特に用具に関しては時代の違いもあって、その細かな内容をそのまま紹介したとしても、現在の日本での裏山ハイクに必要なもののヒントになるかどうかわから無い。しかし、含蓄のあるコンセプトは大いに学べるところです。機能性が究極まで追及されたモノが多様にあふれている現代においてこそ、この古典的な本から学ぶことが多くあります。
 フレッチャー自身が、〝装備をはじめ、歩き方とは、もともと主観的なものだ〟と断言しています。道具にしても自分の目で選択して、決定し、工夫したり使い込んでいくことに価値があると言っています。自分らしく歩くことを目指した人ですから、他人が作ったようなチェックノートには関心も興味もなかったようです。書き出しにはこうあります。

 日帰りのウォーキング(ワンディ・ハイク)では、装備、テクニック両面とも、それほどの難問は登場してこない。必要と思ったものは全部ポケットに詰めこめばいいのだし、腰か肩に小さなポーチをつければ、その中にいろいろ詰められるから、いっそう便利になる。必要と思いながらも残していかなければならないものが出てきても、心配はいらない。なんといっても、その日のうちに家に帰りつけられるのだから。
 ところが一晩といえども外で夜を過ごすとなると、快適に眠るためには何らかの〝家を背負って〟行かなければならなくなる

何kgを担ぐのか?

 今なら私でも(師匠のように)そうしています。散歩用の靴で、必要なものはポケットかポーチに詰め込んで、裏山をのぼることも多い。たまに夏場などにペットボトル2本で済むだろうという安易な思惑が外れ、途中で水分切れするようなミスがあるけど、たいがいはそんな感じで大きく困ることはない。しかし、歩き始めた頃は、たとえワンディ・ハイクであっても、何がどれだけ必要なのかがよく分からない。神経質になって、ガイド本を買って調べ、これもあれもと、それこそ〝家を背負う〟ような装備で日帰りハイクに出かけていた。その体験の積み重ねの中で、何が必要で、何が不必要なのかが分かってきます。
 そして、一泊・二泊の山行になってくると、不必要なものは勿論ですが、必要なものでもとことん〝重さ〟を削るようになります。とにかく背中の家を軽くてコンパクトなものにしなくては、〝歩き〟の自由度が落ちてしまうのです。フレッチャーも〝重さ〟にはずいぶんと神経質です。
 BP道具を仕入れる時に商品重量が明記されていない商品があると困るので、彼は手秤をもっていくのです。テントやシュラフなどの商品は重量表示をしているでしょうが、シャツやショーツには重さまで表示されていません。2社のショーツの重さを比べようと秤を出した時の店員のうろたえぶりも書いています。(そこまでやるのかい!)まあ、確かにg単位で削っていかないと、半kg・1kgと軽くしていけません。ついでに、フレッチャーはどれほどの重さの家を背負っていたのかといいますと、おおよそ体重の3分の1が楽しく歩ける重さの目安だといっています。グランドキャニオンなどの1週間ほどのロングトレイルで、出発時で30kg強(終盤には半分以下に減ってきます)とのこと(本人体重は88kg)。確かに食料や水分が減ってくるのをアテにして、私らも体力配分(ガマン)していましたね。それにしてもやはり出発時が最悪だとフレッチャーも嘆いています。
 「初版時の1968年に、すでにBP用具の開発は混乱と興奮の状態だった」とも書かれているように、米国ではBP用具(日本では登山用具・アウトドア道具というのでしょう)の爆発的な商品開発が始まって、次から次へと新商品が生まれておりました。それ故に、製品の良し悪しを本に書いても意味がないと当時の著者も言っていますし、現代においては尚更です。日進月歩で軽くて機能性の高いものがドンドンと生まれてきます。いちいち、こんなモノが良いですよと紹介していても、とうてい追っつくものではありません。人それぞれに合ったものを、自分の好みで選んでハイキングに持っていただく他ありません。
 と言いつつも本題です・・・。そうは言ってもこれだけは!というヤツをオススメしましょう。

ハイキング用ミニライト類
 LEDによって革命的に進化したライト系のグッズ

オススメ その1.ライト

 日帰りハイクですが、ハンドルフリーのヘッドランプが機能的ですが、ペン型でもアクセサリータイプでも、ライト系は何か一つは持っていきたいです。ワンディ・ハイクでの不測の事態はいくつか想定できますが、そのうち怪我・事故はさておいて、案外と日没などのサスペンデッドな状態までイメージする人は多くありません。たいがいプラン通り歩いていけば、夕方には麓に下っているでしょう。夏場なら、それからまだ2〜3時間は明るいはずです。滅多なことで暗くなって動けなくなるということはないでしょう。
 しかし、実際のところ山中で明かりを失うということになれば、これは全く辛い状態なのです。一人きりであれば尚更、精神的にもタイトです。人は行く先が見えないことほど不安なものはありません。都会の夜道と違って山渓での夜は月が出ていないと漆黒です。(月があっても樹林の底まで届かない)日帰りハイクではそういう事態になったことはありませんが、一度、キャンプの合流に遅れ、ショートカットしようとヤブの急斜面を黄昏時に登ったことがあります。思ったほど時間が稼げず斜面の上部あたりでは、完全な闇に覆われておりました。その時、突然ヘッドランプが消えて明かりを失ったことがありました。その時は、もう泣きそうな気分になりました。すぐ脇にある崖に転落するのじゃないか、イノシシの巣に突入するのじゃないか、さすがに手探りで進むのは諦めました。予備のペン型ライトを探し出して、何とか尾根道までを辿ることができました。か細い光源でしたが何とも勇気をいただけるありがたいものでした。山中泊に慣れてくると、光源も電気系の光源が最低3つ、ロウソクのミニキャンドル、ガスのランタンとしっかり確保ができるようになりました。
 フレッチャーの頃から考えると、数多くの用具が軽量化・機能化で夢のような進化を遂げています。冬山をあまり知らない私には、極寒期のウェアやシュラフの猛烈な進化の歴史をうまく語れませんが、低山派として、ここ数十年に革命的な進化で恩恵を強く感じるモノと言えば、LEDがもたらしたライト系のグッズだと断言できます。とにかく明るく、耐久性があり、コンパクトで電池の持ちが良い。電池の数・バッテリー持続時間などに気を使うこともなくなり、ほとんど負荷のかからない装備となりました。
 ということで日帰りハイキングでも不測の暗闇に襲われることがあるかもしれせん。その時の不安を取りのぞいてくれる灯り・ライトを必携品にオススメいたします。日常生活で、もち歩いていても役に立つことが折々ありますので、その延長線上でよいと思いますので是非一つは持っておきましょう。

暗闇の山道をライトで照らす

「スマホにもライトが付いているだろう」

 (後述の)地図・ナビあたりでこのスマホの存在、圧倒的な機能性をもったグッズとしてこれは度々に登場してくるでしょう。時計や高度の計測器としても、写真やルートの記録、天候・気象情報を得るにもとても有効です。その他にも、目の前の山並みにかざすだけで、その画像に山名や標高が現れるアプリや夜には星座名も表示してくれるものもある。ヤブ蚊を撃退する周波数をだすアプリもあるし、こいつ一台でかなりのものが代用できるようです。フレッチャーは、同じ詩歌でも、家で読むのと違って、ウィルダネスの夜空の下で読むのを楽しみにしていた。そんな詩集や小説、資料本や植物・昆虫図鑑も持っていくならば、〝歩き〟の味わいももっと深めてくれる、いわゆる〝精神用品〟と彼が呼んでいたものですが、やはりその重さに挫けて多くは割愛せざるを得ません。しかし、スマホがあれば何百・何千冊分の情報を詰め込んで持っていくことも苦もなく可能です。重量に換算すれは一体何kg、何十kgを代替してくれるのでしょう。当時ではまったく夢のような話なのです。
 現代であればコリン・フレッチャーは、この千人力の小さな機器をどういう風に見て、どう扱うのでしょうか?気になるところです。便利すぎるスマホ(文明)は家に置いていくと言っていたかもしれません。が、おそらく彼のことです、バリバリと使い倒して、わがモノとしていたことは間違いないでしょう。が、「もし君にそんな体力があるなら・・・」「もし君に地形を読む想像力があるなら・・・」「君にそんな感性があるなば・・・」などと、必ずダメ出し条件を加えながら、その使い方を懇切に説明してくれるのでしょう。
 ウィルダネスでは、まず野生の力が試されます。自分の体力を推し量る、地形を読む、天候を読むなどなど、生き物がもつ本来の力と経験を土台にして、行動が決まっていきます。そういった基礎的な積み重ねがないまま、デバイスの機能性を頼りに、自然のフィールドに立ち入ることは、逆にそれに振り回される危険性もあるでしょう。フレッチャーも最後に「もし、これがバッテリー切れになったり、紛失・壊れた時のことを想像しなさい」と言って、無条件にはオススメはしてくれないでしょう。あくまで二次的な必携品・予備グッズとして考えたいものです。
 スマホがあれば歩けるが、なければ歩けない。そんな人に「遊歩のススメ」を読んでほしいと願っています。

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●読本7:遊歩のステージ(舞台)に立つ

摩耶山(702m)・掬星台での初日の出
 摩耶山(702m)・掬星台での初日の出

私たちの遊歩に観客はいるのか?

 大きな岩塊によじ登って、ピークを踏みしめたなら、360度の景色をじっくりと確かめながら達成感と高揚感をもって飽きることなくその風景を眺めることでしょう。誰だってそうでしょう。しかし、同時にそのえも言えない神々しい光景の向こうから、逆にピークに立っている私を見つめているモノを感じたことはありませんか?
 日常では見ることのできない雄大で厳かな風景を鑑賞しにやってきた観客であるはずの私は、同時にそれを実現したパフォーマーでもあります。一人っきりの私のパフォーマンスは、誰にも気を留められることがありません。観客の居ない一人芝居のようなものですが、「よくやってきたね」と労う大自然の時には厳しく、時にはやさしい眼差しをどうしても感じることがあります。向こうからも見つめられているのです。そうやって互いが向き合っている関係が、溶け合って一つになる至福の感覚がそこにはあります。まあこれが山登りの最大の目的といえるでしょう。
 つまり、私たちの山歩きシーンには、観客が必ず何処かにいるということです。それは樹々であったり、小鳥やけものであったり、風雨であったり、様々な自然の様相で私に眼差しを送って交歓してくれます。それは決して険しい山岳だけではありません。自然と触れ合えるところならどんな場所でもそうだと思います。ビルに囲まれた街中であっても、フト見上げたその先の青い空に白い雲が流れていれば、きっとそれに慈しむような眼差しを感じるでしょう。それが山上から眼下に広がる雲海と対話した経験のある方にとっては、一層心に響くものでしょう。下から見上げる雲の向こうにはピークに立ちすくんでいるもう一人の自分とも対面しているのです。
 人それぞれに、心を通じ合える裏山や、刺激や感動を分かち合える山岳との出会いがあるでしょう。そういった舞台(ステージ)で得た体感や感性を、日常に持ちかえって育むことによって、峰々とは程遠いステージにあっても自分の立ち位置を確かめることができて、自らの歩きの舞台を押し広げていくことができるものと信じています。

山頂から360度の眺望
 風景を見ている時には、私は観客とつながっている

 私の初期の歩きの舞台となった六甲山は、日本各地のどこにでもあるようなごく普通の背山です。(「遊歩の舞台としての六甲山とは」も参照ください)それも山脈とまで言えないような狭いエリアで1,000mを超えるピークもない山系(最高峰:931.3m)です。すぐ麓には神戸・大阪間の都市がぎっしりととり囲み、多くの住民を抱え込んでいます。国立公園のエリア内においても観光化が進み、自然もいたんでおり、かなり俗化された山域だといえます。ドライブウェイを始め、ケーブル、ロープウェイ数系統などによる山上へのアクセスも整備され、植物園、博物館、牧場、スキー場、ホテル、レストラン、ゴルフ場(日本最古)別荘群、郵便局、小学校などの行政施設も整った都市機能があるというか、もう都市そのものでもあります。
 エマージェンシーにおいても、危険生物や困難ルートも際立ったものはなく、山上の気象も年間を通して穏やかで、常識的な装備で注意して歩けば、さほど技術を要求されることもありません。迷った時は、山上方面へ向かえば必ずドライブウェイに出会うし、下山を選べば、どこかしらの市街地に数時間でたどり着くことができます。
 しかし、1,000mに届かない標高とはいっても、南山麓はほとんどが急斜面となっており、アプローチ地点が海抜20~50mといった地点から始まることを考えれば、内陸地の1500~2000m級と変わらない実標高差を登ることになります。(伯耆大山1,710m:実標高差930mなど)簡単に低山とは侮ってはいけないでしょう。逆に六甲山を歩き慣れた方は、2000m級の山岳においても体力的な問題はないと思います。

六甲山に深奥幽玄はあるか?

 この点では日本各地の都市近郊の山系は大なり小なり似たようなものかもしれません。さて、我が裏山もこのような紹介であれば、何も遊歩においてもさほど際立つ特色があるようには思わない舞台(ステージ)ですが、「遊歩」がより遊歩のステージとして鮮明に浮き上がる重要な条件、他の山域にはあまり類のない条件を考えてみましょう。
 それは、やはり山麓の周囲一帯に拡がる「巨大な都市圏」というものの存在が外せないようです。東西南北から圧倒的な市街地化の波を受け、緩やかな山麓のほとんどがゾンビに襲われれたように侵食され、建造が許されるギリギリの斜面まで市街化が進んでしまっています。山上周辺の観光化も前述の通りです。自然の保全という点では、ほとんど六甲山系は満身創痍といえます。六甲山には幽玄深奥というような(異空間的な)自然と残念ながら、ほとんど出会うことはありません。「六甲山で一体、在るべき自然がどれだけ残っているのか?」と訊かれることがあります。答えに窮しますが、未開のジャングルや未踏の深山のような状態を自然というなら、そういう自然は残念ながら、このエリアにはほとんど見当たらないでしょう。近代に至るまでに平安の源平合戦、戦国時代に繰り返された戦火で多くの樹木は伐採され、禿山となっていました。現在の植生の多くは明治以降の植林事業によるものだし、沢のほとんどが都市を守る名目で進んでいる堰堤100年計画で、谷は砂防ダムだらけ、都市化のあおりでクマ、猿、鹿などの野生の動物も去っていきました。この地でどれだけ自然のリアルと出会えるものでしょうか? 私たちのウィルダネスに果たしてなりうるのだろうかという疑問はぬぐえません。
 しかし、山麓に数百万という住人(ほとんどが都市生活者)を抱え、この自然と不自然がせめぎ合い、都市化の脅威と侵食をこれほど受けつつも、なおかつこの山系が 独自の自然の秩序を保ち得ているのは確かなことです。不思議なことですが、せめぎ合う近さに因る六甲山特有の厳然とした自然が在るのです。それは、時には父親のような凛々しい威風で、自然の何であるかを教えてくれますし、時には母親のような優しい慈愛を持って私たちの歩きを包んでくれます。そう感じるのは私だけでしょうか。
 それは高い山岳登山などで自然と立ち会っているときの感覚とは少し違うかもしれません。もっと身近な里と里山というような、現代ではすっかり失われしまったような距離感を感じます。
 ちょっとした山岳へ遠征といえば、はやり長いアプローチが必要で、その途中に都会の日常生活の緊張感から徐々に解きほどかれ、自然のフィールドへ向かう気持ちに対応していきます。そんなモラトリアムが与えられますが、六甲山では、そんな間がなく、登り口からいきなり自然空間へジャンプします。そういうワープ感覚が何といっても、この山系の醍醐味でしょうか。真冬なら、朝、スタバで熱々のコーヒーをすすって、昼までにはもう有馬の百間滝の氷壁を登っているってことも可能です。この山域は、自然の営みがコンパクトに納まっていて、日常の生活感からの落差を生む距離感も手伝って、私たちの感性に響きやすいところがあるようです。「トンネルを抜ければそこは北国であった」じゃないですが、一歩踏み入れば、そこそこの稜線歩きや沢歩きのコース、クライムコースなど、近しい自然に囲まれます。そして、一歩踏み出るだけで、もう都会のど真ん中という体験に見舞われます。一種のワンダーランドです。このワープ感覚が味わえることに、この六甲山のステージ(舞台)としての本領があるのでしょう。

新神戸駅前、駅橋の下に布引渓谷の入口がある
新神戸駅前(photo by TopTrip)駅橋の下に布引渓谷の入口がある

水の〝リアル〟と出会う

 新幹線・新神戸駅のホームのすぐ下に渓流への入り口があります。芦屋川の表銀座ルートと並んで人気ある摩耶山・再度山への玄関口です。この下流はすぐコンクリート護岸となって、港まで街の中心を流れ神戸港へとそそぐ二級水系です。この水がどこから流れ出てくるのだろうか? などと都会の住人たちはあまり考えもしないのですが・・・。この流れを辿ってみると様々な水との触れ合いを体験することができ、そのリアルさを体で感じることができます。
 コンクリート護岸を流れる川にはホタルも居ないし、ましてやその水を直接に飲もうとは思いませんが、すこし上流に遡ると、もう流れは渓流となって、30mを超える布引の滝の瀑布がミストになって私たちにふりそそぎます。そのすぐ先には日本最古の大型コンクリートダムがあって、市ケ原のキャンプ場へと続きます。そのあたりから流れの中に足を入れたくなります。そこを抜けると、ツエンティクロス(二十渉)といわれる水際にそった長い渓流を辿る間にたくさんの枝谷から流れ込んでくる水を見ます。この辺りでは、水は本来の水です。なんのためらいもなく頭から浴びたり、飲み干したりしています。本谷が狭まってくると、歴史古道の徳川道から流れが急になる桜谷に入ります。ちょうど上高地から梓川を遡って横尾から涸沢に回り込む感じのミニチュアコースでしょうか。距離は半分くらいで、景観の迫力には負けますが、水に触れ合ったり、流れのリズムなど身近な体感はこちらは負けません。
 少しづつ流れは細まって、登りもきつくなり、ゴールの近さを感じさせます。そこを更に源頭に向けて詰めていくと、摩耶山直下にたどり着きます。そこでチョロチョロと湧き出してくる水を目にして、そっと手のひらにとって口にすると、もう理屈抜きで水のリアルさをそのまま飲み干すことができます。

布引谷、ツエンティクロスの流れ
ツエンティクロス(二十渉)photo by 六甲遊歩会

 大阪湾へ流れ出した沢の水が、海上で温められ蒸気・大気となって雲を作り、六甲の峰々の上で雨になったり、露になって山地に戻ってきて、流れを集めてまた海へと帰っていきます。自然が永遠に繰り返している循環です。ここでは、そういうことが何気なく半日ほどの時間でコンパクトに体験できるのです。このように感じ得たリアリティが、また都会の生活でも反映してくるのです。
 ビル群の一室で、カルキ臭くなった水道水と出会う。しかし、その水の源流を知る者、沢を登り詰め岩の間からわずかに滴る水を一度でもノドに通したことがある者にとっては、水が何であるのか、自然の何であるか、また同時に不自然の何であるかを十分に知ることができのです。壁に囲まれた部屋にあっても、そこで飾られた一輪の花に豊かな自然を感じることができる人ならば、その部屋には自然が広がります。風であれ雨であれ然りです。そういった感性を培っているか、わが内にある自然が問題なのです。
 話は少し逸れましたが(「資料3:引き裂かれた六甲山」の項目にあるコリン・フレッチャーの言葉も味わってください)自然と不自然が圧倒的にせめぎあっている状態がこのエリアのいたる所にあります。そういうことを肌で感じることによって、逆に、都会における生活の中でリアリティの乖離を受け止めやすくしてくれます。そんな不思議なバランスを教えてくれることが六甲山という舞台の大きな特徴だと思います。 

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●読本6:ウォーキングは健全なる狂気である?(遊歩大全)

コリン・フレッチャー著 遊歩大全(左:1998年版 右:1978年初版)
コリン・フレッチャー著 遊歩大全(左:1998年版 右:1978年初版)

〝歩く〟ことの素晴らしい快さは、すでに「歩いている」方には、何も説明もなくても、充分に理解されると思いますが、未だ「歩くことを知らない」方には、ピンとこない、実感のつかめないものだと思います。「なぜ、そんなしんどい事を?」と仰る方が大半でしょう。そういう「歩き」を放棄している方に、遊歩の素晴らしさ、愉快さ、爽快さを説明するほど厄介なことはありません。しかし、そういう方にこそ「歩き」の心おどる素晴らしさを一番知って欲しいのです。そんな一心で仲間を募っていきました。

私たちの歩きを どう呼べばよいのだろう?

   しかし、どう言えば、どう説明すれば、最初のとっかかりなるのだろうか?「一緒に、山をあるきませんか?」で、十分良いように思うのだけれど、そんな文言で人の目がこちらへ向いてくれるだろうか? あれこれ思案の末に、やや奇をてらって〝近所登山パフォーマンス〟と銘打つことにしたが、今イチしっくりこなかったのが正直なところでした。
〝登山〟と言い切るとなにか大仰、とは言っても、〝ピクニック〟では軽すぎるし、〝ハイキング〟では何かもの足りていない。もちろん〝散歩〟とか〝そぞろ歩き〟では自然に立ち向かう勢い感が薄い。〝ワンゲル〟〝オリエンテーリング〟それっぽいようで何か違う。妥当なところでは、はやり〝トレッキング〟あたりでしょうか。トレッキングは特にピークだけが目標にするのではなく、高原や山のふもと、川沿いや里山を伝うような歩きを指します。しかしながら、マウンテンバイクや、オフロードバイクを使ったものも○×トレッキングと呼ぶらしいので、もう少し〝歩き〟に特化・純化した言葉が欲しい・・・。いろいろ考えあぐねたけどれも、帯に短しタスキに流しであった。私たちの〝歩き〟をそっくりそのままを包み込んでくれるような呼び名がなかなか見つからなかった。
 そんな時でした。前項のような経緯で出会ったのがコリン・フレッチャーの「遊歩大全」でした。まさに邂逅といえます。恐る恐る開いたページの冒頭に次の一文がありました。

テレビ、ヘロイン、株。ひたすらのめり込み、常習患者になりがちなこれらの楽しみに、ウォーキング、すなわち〝歩く〟という行為にもつながっているような気がする。だが、精神的な偏執に陥りかねないこれらの狂気の中で、〝歩く〟だけは少し異質だなと感じられるのは、その狂気が快いものであり、精神の健全さにつながっているからであろう」(C・フレッチャー著「遊歩大全」より)

ウォーキングは健全なる狂気である?

 闇雲に歩く他に手立てが無い、禁断症状がやってくると不安で拠り所をなくしてしまう。そんな「ウォーキング中毒」の真っ只中でウロウロしていた頃でしたから、これはズドンと胸の奥に突き刺さりました。そうだ!〝これは健全なる狂気〟なんだろう! いままでの人生の中で、様々な言葉に動かされたり、踊らされたりしてきましたが、この言葉が、何か一番に腑に落ちたような気がしました。大げさに言ってこの言葉に出会うために35年を生き延びてきたのかも知れないと思った程で、そして、この言葉で、これからの35年をも生き延びることができるかとも思いました。そして、この衝撃とともに、大きな安堵も連れもってやってきました。出口のない深い谷で一筋の踏み跡を見つけたような、ホッと救われる思いでした。
 この一年近くの突然の中毒症状かと思える〝狂ったような歩き〟が〝遊〟であったこと、そして、それが精神の健全につながっていることを、数行の一文の中にこれぞとばかりに押し込めて、私に知らしめてくれたこと、そして遠く離れた著者の〝狂気〟とも共感できることになったこの一文に、私は心から感謝しました。健全とは自らの内にあるリアルにつながっていくものであり、いわば社会性そのものでもあります。つまり反社でない狂気、皆と共生していける狂気なのです。このことは〝一人で歩く〟ことと〝皆んなで歩く〟という相克をよく言い表しています。そして更に、それをヒョイと乗り越えさせてくれる可能性を含蓄したものでもあります。

アラインゲンガー(単独行者)であることは、みんな歩きの十分条件で、〝みんな歩き〟は、〝ひとり歩き〟であるための必要条件なのです。

 厳しい言いようですが〝ひとり歩き〟が出来ない者は、豊かな〝みんな歩き〟ができない。〝みんな歩き〟が出来ない者は、満たされた〝ひとり歩き〟ができない。ということでしょうか?
このようなことを踏まえた上で、私たちの一歩一歩を〝遊歩〟と名付け活動を開始しました。月二回の近所登山パフォーマンス(イベント名として残った)、うち元日越年キャンプ遊歩、春秋遠足、高山遠征、就学として六甲全山縦走と〝健全たる狂気〟の発露〟をすべく、怒涛の一年を突き進むように歩きました。

コリン・フレッチャーと遊歩大全

(The New Complete Warker 芦沢一洋訳)
コリン・フレッチャー著「遊歩大全」表紙より
コリン・フレッチャー著「遊歩大全」表紙より

 この後も度々「遊歩大全」は登場してくると思いますので、この本と著者であるコリン・フレッチャーに少し触れておきます。
原著の初版は1968年、5年後の改定版が芦沢一洋訳で日本語版として、1978年に出版されてました。〝ハイキング・バックパッキングの歓びとテクニック〟という副題のもと、バックパッカーための道具とその使い方を、ぎっしりと網羅した600頁を大きく超える技術書です。このバックパッカーのためのハウツウ本が、七〇年代の米国、ベトナム戦争で疲れ果てていた青年たちに、強烈に支持され、一つの生き方・スタイルを提示することになりました。広大な自然へ立ち向い、また深奥な自然に寄りそいながら自分を見つめるバックパッカー達にとって、心地良く、快い〝ひとり歩き〟の世界を押し広げることになります。必読のバイブルとも言われた名著です。
 私おいても、強烈な出会いの勢いから〝歩きのバイブル〟というような言い回しをしますが、一気に隅から隅まで丹念に読み込んだ訳ではありませんでした。まあ、ウォーキング技術の百科事典という感じで、歩行ペースは?、水の補給は? 緊急対応は?など気になったところを辞書引きするように読みました。当然ながら、六甲山と北米のウィルダスネスのスケールや環境的な違い、グッズの時代差などがあって、そのまま適応できないところもありますが、自然を前にした個人の心構え、身の処し方の基本はなんら変わることはありません。自分を囲んでいる環境と自分自身をいかに見定められのかということです。体力勝負というより、一種の頭脳ゲームでもあります。小さな工夫やアイディアで自分の〝歩き〟を創っていく楽しみ、快さを120%を教えてくれました。
 特記すべきは、コリン・フレッチャーと私の距離感を大きく縮めてくれた訳者の存在でしょうか。深化したアウトドアスタイルを追求していた芦沢一洋氏の力量が、訳本の壁を感じさせない名訳が裏で支えになっており、日本の裏山であってもウィルダネスウォークを味わえることを違和感なく伝えてくれたように感じます。何をおいても、〝コンプリート・ウォーク〟を〝遊歩〟と訳されたことは、実に素晴らしい英断だったでしょう。東洋的な〝あそび〟の風趣も相まって、フレッチャーの瞑想的ウォークとも響きあう。私たちの一癖二癖ある〝歩き〟も十二分にすっぽりと包んでくれ、そして更なる可能性とポテンシャルを十二分に感じさせてくれるものでした。

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・歴史ロマン漂う観音岳(周南市湯野)

湯野・観音岳山頂から望む湯野温泉郷
湯野・観音岳山頂(408m)から望む湯野温泉郷

惹き寄せられた不思議なえにし

湯野・観音岳山頂(408m)から望む湯野温泉郷と黄金仏

 何故、大峰山にあってしかるべき黄金仏が、畿内から遠く離れた片田舎の湯野郷を見下ろす観音岳の山頂に埋もれていたのだろうか? 歴史ロマンをそそる黄金仏のナゾに迫る前に、この〝観音岳〟との出会いのえにしを紹介したい。
 2002年いよいよ神戸から移住することが決まって、仕事や住居を探す段になって、周南市(当時は新南陽市)を訪れた。その時に、ついでとばかりに登った山がこの山だった。周南市は、南に港湾や工業施設、北には東西に連なる山々に挟まれた東西に伸びた町です。地形的にも雰囲気的にも神戸によく似た町でした。市街地から背山を見わたすと、気をそそられるピークがいくつも望めます。山口県の山を50座ほど紹介しているガイドブックからまず最初に一つ選んだのが、この観音岳でした。
 市の西端に夜市川の流れがあって、その谷筋をぐるっと北へ回り込んだ所に里山風情にかこまれた湯野温泉郷があります。その北側にかまえているのが観音岳でした。ここに登れば温泉郷が一望でき、周囲の山並みの眺めも素晴らしいものです。山口県百名山・標高408m、低い山にしてはいささか大仰な〝観音〟という名ですが、ガイド本にもある謂れのとおり観音様を外しては語れない山のようでした。その時は、とくに名前に惹かれた訳でもなかったのだけれど、これからお世話になる移住地に於いて、まずは、この山から登ってみたいと思ったのは何かしら縁があったとしか言えません。
 考えれば、神戸でも市の西側から六甲山系を北側へ回り込んでいく神戸電鉄の先は有馬温泉があって、いくつもの登山ルートの起点となっています。ちょうど地形的にも似ているのも関心が向いた理由かもしれない。ひと登りした後の温泉は、醍醐味以外の何ものでもない。移住後しばらくしてこの湯野温泉の近くへ再転居したこともあって、この山へはよく登ることになって、温泉にもよくお世話になった。その内に〝湯野観音岳ハイキングコース協賛会〟の仲間にも混じって、年に数回の清掃登山にも参加させてもらうことにもなっていた。はじめて参加した折は、草木の繁茂が忙しい夏場であったこともあり、クリーンハイキング気分も吹っ飛ぶ大変なものだった。草刈機、チェーンソーを動員して、草刈り、枝払い、丸太の階段補修、雨水による浸食を防ぐための排水溝掘り、工兵隊の汗だくの山中進軍のようでした。

左:山頂 右:清掃・保全作業ハイク
左:秋の歩け歩け大会時の山頂風景   右:清掃・保全作業ハイク

 神戸の六甲山での山歩きは、ゴミの持ち帰りは原則。ゴミがあれば拾っておく、その程度はやっていたが、それ自体を目的したクリーンハイキングには参加したことはなかった。歩きの方ばかりにとらわれてハイキングコース自体の保全や清掃に対しての意識が希薄だったのでしょう。今更ながらに反省するところです。六甲山系の多くは、瀬戸内海国立公園のエリアに含まれており、山歩きのコースそのものが地域資源となっており、国・県・市など行政の手でほぼ管理されていることもあって、一般ハイカーによる保全活動がそれほど目につかなかったのでしょう。
 しかし、地方の平凡な低山では、行政の手がなかなかに届きません。オラが裏山という地元地域の方々の普段からのお世話が頼りです。それがなければ、とうてい山道は保全されることはなく、あっという間に雑草・雑木の中に消えてしまいます。移住後の山歩きでは、いつもそんな地域の活動を意識しつつ、感謝の念をもってお山を歩かせていただいています。まあ、高い山であれ低い山であれ、どこの山を歩こうと感謝は本来のあるべき姿なのですが・・・感謝のついでと言ってはなんですが、今回は、この山にまつわる黄金仏の歴史ロマンを紹介したいと思います。

金造菩薩形坐像(楞厳寺(りょうごんじ)所蔵)
 金造菩薩形坐像 楞厳寺(りょうごんじ)所蔵

観音様は一体どこから来たのだろう?

 その前に、大峯山系の山上ヶ岳(1719.2m)の山頂近くに本堂がある大峯山寺での出来事を、そこから話はつながっています。昭和59年、解体修理工事に伴う周辺発掘調査で出土した遺物の中に、鍍金ではなく高純金製の金で作られた平安期の仏像2体が発見されました。一体は「金造阿弥陀如来座像」もう一体は阿弥陀如来の脇侍である「勢至菩薩座像」でした。当時、この稀有ともいえる黄金仏の出土は「山岳宗教史上最大の発見」と社会ニュースにも取り上げられ話題になりました。
 仏像安置形式では、阿弥陀如来を中尊とする場合は、中尊寺や三千院の阿弥陀三尊像のように、その左右に「勢至菩薩」と「観音菩薩」を配置してワンセットとする。ここで、もう一体の脇侍「観音菩薩坐像」はどこにあるのか? というところに衆目が集まったのでしたが、ナント!それが、奈良県・大峰山から何百キロもかけ離れた本州西端の山口県周南市の温泉郷・湯野で発見!?と大騒ぎとなりました。この湯野温泉の背山の一つ観音岳の麓にある禅寺「楞厳寺」では、かつて12年毎の卯年にご本尊が開帳されていました。(現在は毎月、観音様の縁日の17日に御開帳)このご本尊である黄金仏が注目された訳です。(異説もある)
 ペリー来航の翌年(嘉永7年)好松という村の若者がウサギ狩りに登った裏山(当時、日尾山のちに観音岳と改称)の山頂近くの土中で、キラリと光る(実際光ったかどうかわからないが)小さな仏像らしきものを発見しました。麓の楞厳寺の和尚に預けて寺に安置していたものです。高さ4cm強、重さ35g、平安中期〜後期の高純度金製の金造菩薩坐像ということが判って、これで、日本に3体しかない黄金仏が「阿弥陀三尊」という形で勢揃いしたことになりましたが、何故、大峰山にあってしかるべき黄金仏が、畿内から遠く離れた片田舎の裏山「観音岳」の山頂に埋もれていたのだろうか? という新たなる謎が立ちおこり、こころ躍るような歴史ミステリーに関心が集り、諸説をにぎわすこととなりました。

左:楞厳寺本堂 右:五合目あたりの延命水
左:楞厳寺本堂  右:五合目あたりの延命水

 かつて神戸の六甲山で、役小角や空海の足跡を追って、古跡や山岳修行者の修験道ルートを探し歩きまわっていた事がありますが、この湯野温泉の近隣にも山岳宗教・密教的風景の匂いがプンプンとしている山々が数多くあります。防府の右田ケ岳の岩峰や徳地の白石山など、山岳修行のメッカであったことを思わせる奇岩・巨岩が点在しており、白石観音も祀られている。畿内の山岳地帯にも劣らないの密教的な風景が実はこの地域にも多くあったと思われます。そんな峰々を天狗もどきの修験者が飛び回っていたとしても不思議はありません。黄金仏が山岳修行者の斗そう行に携帯されるものならば(大きさから考えてそうだろう)、奈良の大峰山とこの周南の観音岳が結びついて何ら不思議な事ではありません。
 一説には「重源上人」との関係を上げられていますが、この話しも大変興味深いものです。源平の戦いで焼失した東大寺の再建という難事業を託された重源上人は、自ら巨木を求めて周防国の杣に入り、佐波川上流の山奥から道を切開き、川に堰を設けるなどして巨木の多くを奈良まで運び出したといいます。(その難事業を偲ぶことのできる施設・重源の里が平成10年にオープンしています)この国家プロジェクトといえる大事業を行う上で、上人はじめ、多くの仏教関係者が、探査・ロケハンをかねて周防国の山々を訪ね歩いていたことは、想像に難くないことです。
 観音岳の頂きからは、九州方面も望め、頂上付近には磐座の多く、平安期には修験道の舞台であったことをうかがわせます。彼の人がこの山に登ったとしても、何ら不思議はありません。一千年も前、ここを訪れた人物、それも黄金仏を携行する程ですから、名のある僧か修験者なのでしょう。しかしながら「阿弥陀三尊」の一体である黄金仏をこの山頂に残していったのでしょうか? 何がしらの意図があったのか、それとも不慮の出来事があったのでしょうか。事故なのか、事件なのか? はたまたただのうっかり(落し物)だったかも。ああ、これ以上はタイムマシンがないと・・・。真実は、この小さな観音様のみぞ知る、という事でお許しを。

四国88ケ所分霊場めぐり
       四国88ケ所分霊場めぐり

●読本5:あるく・のぼる・あそぶ・まう・おどる・うたう・えんじる

伯耆大山の連峰、北麓より望む。photo by 四万十川洞安
伯耆大山の連峰、北麓より望む。photo by 四万十川洞安

 この年(昭和60年)、極端な円高不況にみまわれましたが、これを底に世はバブル景気という浮かれた時代へ向かうことになりました。神戸では5月、バース・掛布・岡田の三連発から、秋の日本一の覇権まで、タイガースの悲願達成にむけて上に下にへの大騒ぎで、実に腰が浮いたままの一年でした。多少はその風にあおられ「よし! 我々も仲間を集めて、身体を動かしながら、気持ちの開放や表現を楽しめもう!」と芝居とか舞踊とかだけにこだわらずに、身体を使うものなら何でもありのパフォーマンスグループを作ろうと、友人三人で「曙塾」なるサークルを立ち上げ、ミソもクソも取り混ぜたような仲間(塾生)募集を始めることになりました。
 下の写真がその時の募集チラシです。ヨガ・太極拳・ダンスなどの身体表現の活動募集に混じって、社会時事を勉強する井戸端シンポジウムの参加者や、歴史・心理学の勉強会、そして、登山部を設けて、近所登山パフォーマンスと称したハイキングの参加者も募りました。阪神タイガースの二十一年ぶりの優勝ということもあって、その社会的ハイテンションに乗じたイベント、第一回井戸端シンポジウムが〝阪神タイガース優勝と私〟と題して決行された。「永遠の2位としての美学を築いてきた阪神が、思わぬ優勝によってその存在意義が問われる! 来シーズンからどう生きていくのか?」を真剣に朝まで話し合おうというものだったが、結果は居酒屋でのドンチャン騒ぎに終始してしまった。その他、思いつつままに雑多なイベントを行ったが、一番に反響が大きく、参加者が集めたのが、なんと!近所登山パフォーマンスと名付けた山歩きイベントであった。
 まだ、一般的なアウトドアレジャーといえば海水浴か山歩きしかなかった昭和30年代から40年代に比べ、この頃には、海ではサーフィンやウインドウサーフィン、山ではクライミングや各種のトレッキング、映画ランボーの影響で山奥でサバイバルを楽しむソロキャンプなど、レジャーもスポーツもかなり多様化していた折、多少色褪せかけていたハイキングや山歩きというアクティビティを、もうちょっと違う感触で、新感覚で取り組めるようにしょうとターゲットを若い世代に絞った。
 そうは言ってもやはり、近所登山・裏山ハイクなんて、中年のオジさんオバさんのお遊びなんだろうかと、気を揉んでいたところ、曙塾登山部によく反応してくれのは、嬉しいことに若い世代だった。まあ、要は単なるハイキングなのだけれど、それを態とらしく、当時、日常語になりつつあったパフォーマンスなる横文字を拝借したが受けたのか、存外、初心者が気軽に山歩きを楽しめるハイキングサークルが少なかったのか、あれよあれよと言う間に二十人を超える参加者が集ってきた。
 その曙塾の会報一号に「場と人を求めて」という理屈っぽく気負った設立趣旨がある。少し恥ずかしいのですが、当時の〝歩き〟の転換点を思い起こすためにも紹介させていただきます。

曙塾ぶんぶん第一号会報 昭和60年10月発行
曙塾ぶんぶん第一号会報 昭和60年10月発行

曙塾、そして遊歩会の誕生

〝若いうちに必死に勉学に打ち込んだ訳でもない。歳を喰ってからも、ひたすら一つのものを追い続けている訳でもない。重い腰をあげてようとしても、なかなかそんな決意を持続し実行するに至らない。色々と問題は考えられるけれど、最大のネックは〝場〟がないところにあると思い、その場づくりとなるようにと安易に思いついた。これがこの〈曙塾〉である。
 本来〝場〟とは、何かを生み出そうとするところに生じるもので、〝場〟さえあれば、そこから何かが生まれるだろうと考えるのは調子の良いサロン的発想だということは承知している。できればそうならない為に、建前だけは高遠に、修学の場としての〈塾〉、新しい価値観を模索する場としての〈曙〉を願って命名しました。
 けれども実際には、何から手をつけるにしても、指導的立場のスペシャリストも居ないし、手持ちのスキルや知識・経験も不足している。たとえ仲間が集まったとしても右往左往するばかりで、今すぐに共同作業を通して、何かを生み出していくのは困難かもしれません。でもとりあえずは、集まろうとする人々がその各々の思いで、まず歩いてみる、のぼってみる、演じてみる、唄ってみる、踊ってみる、演じてみる、つまり自分の身体を動かしてみるところから始め、そういう一人称の作業でもって集団の中で互いに触発させながら実行(パフォーマンス)することを最初のアクションとし、少しづつ積み上げることで場が〝場〟として有効に機能していくだろうという予感があります。ぜひ一緒に何かをはじめましょう


 パフォーマンスアートとは、今でこそ誰もが平易に使う言葉ですが、当時としてはまだ、ハプニングなどと並んで前衛アートの思潮としての意味合いが強く残るちょっとした流行り言葉でした。最終的に出来上がった作品そのものに芸術的な価値があるのではなく、その作品に至るまでの行為〈実行〉こそがアートなのだという意味で、私はあえて必要以上にこの言葉を使っていました。つまり、観客が居るのかどうかの以前に、都会においては生活に埋没しがちな〝歩き〟という行為を通して、六甲山という舞台で、自然の前で素直に自分を表してみよう、まず自分を晒しだすようなアートな山歩きをしてみようと訴えました。
 参加者はそんな小難しい理屈にどれほどこだわってくれたのかは別として、素直に〝面白そう〜〟と反応して、顔をだし集まってくれたと思います。大学生や社会人一~二年生の若者が集まってきました。想定していたように、ガチな山登り派は居らず、ほとんどは全くの初心者か、緩いアウトドア派でした。ちょっとしたテーマ(歴史・社会・自然)を決めて、ワイワイとそのお題について語らいながら、ボチボチと山を歩くというような〝パフォーマンス〟でしたが、中には〝自然の中で心を躍らせ、身体を踊らせよう〟というメッセージを真に受けて、当時の若者の必需品だった大きなラジカセを抱えてくる者や、サバイバルナイフを腰に差した和製ランボーもやってきました。

 にわかに大所帯になって、〈曙塾〉では収まりきらず、こうなったら、六甲山ハイキングに特化した新規の別サークルとして独立、活動の充実を図ることにしました。ちょうどその頃でした。メンバーの一人から、東京・神田の古本屋街で見つけたという、上下巻1セットの本が、東京から送られてきました。コリン・フレッチャーの「遊歩大全」でした。この本との出会い、フレッチャーとの遭遇によって、私の〝歩き〟と私たちの〝歩き〟をピッタリと表してくれる〝遊歩〟という素晴らしい名を冠することができ、飛躍へと向かうことになりました。
 そして、昭和61年、「六甲遊歩会」が誕生。加藤文太郎の後追いから始まった手綱のきかない荒馬のような〝不明な歩き〟にさまよっていた我が足先は、〝遊歩という内なるウィルダネス〟へと向かうことになりました。

曙塾会報15号1987年12月号
曙塾会報15号1987年12月号

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